宇宙開発の技術を地球に還元したい
――現在のお仕事を教えてください。
2020年9月に「こうのとり」9号機のミッションが終わりました。いまは、宇宙船開発がメインの仕事です。
――宇宙船開発! どんなことされるんですか?
観光バスぐらいの大きさの宇宙船を、時速2万8000キロで回り続けている宇宙ステーションに、10m下の場所につける必要があります。管制官は、それを遠隔操作するんですね。間違っても宇宙船を宇宙ステーションにぶつけるようなことがないように、GPSなどの技術を駆使しつつ、宇宙ステーションと直接やりとりをして、確実に進めていく。
宇宙船は宇宙に打ち上げたら、そのあと何もできないんです。設計はさることながら、それを確実に組み立て、度重なる試験をして、宇宙船システムに仕上げていく。その設計や試験方法などを何度も相談しながら詰めていく。今はそういう新しい宇宙船システムを作っていく仕事をしています。
――お仕事のどんなところにやりがいを感じますか?
今まで日本でできなかったことを実現させる仕事に携われていることですね。人類は好き勝手に地球で生きていますけど、科学技術力でコントロールしていかないと、環境を壊すだけになってしまうと思うんですね。
宇宙のような極限環境で、人類が生きることができるというのは、すなわち、地球のエネルギーやリソースを使わなくても、人類が生きる方法を構築できるということ。その宇宙開発で得たものを、地球に還元できればいいなと思っているんです。
宇宙ステーションでは、水を大事に大事に再利用してるんです。今日のおしっこが明日のコーヒーになるみたいな世界。そういう技術が地球に還元できれば、地球環境に優しい世界をつくっていくことにつながっていくのではないかなと思っています。
宇宙へのあこがれを強めた大事故
――宇宙飛行士になりたいと思ったきっかけは何でしたか?
私が最初に宇宙開発に触れたのが、小学5年生のとき。1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故でした。不幸な事故ですが、アメリカでは有翼の宇宙飛行船が、地球と宇宙を往復するまで技術が進んでいると知ったんです。宇宙への憧れを強くしました。
明確に宇宙飛行士を目指し始めたのは、もう少し後のこと。高校生から大学生になる頃に、ちょうど3~4年に1回ずつ、日本から宇宙飛行士が選抜される時代になってきたんですよね。私はどちらかというと、宇宙開発の道に進みたくて、その延長上に宇宙飛行士という夢を描いていました。
――それで大学院まで進学されて、就職されて、2008年に宇宙飛行士選抜試験を受けられた。
そうですね、本当はもっと早く試験があると思ってたんです。1998年の試験のときはまだ大学院生だったので、次に挑戦しようと思っていたのですが、そこから10年も空いた。2003年にスペースシャトル・コロンビア号空中分解事故があったり、宇宙ステーション計画が延びたりしたこともあって、当初の想定よりも時間が経ってしまいました。
ゴールのない日々鍛錬
――どんな気持ちで試験に臨まれたんですか?
正直、最後まで残ると思ってなかったんですよ。というのも、到達すべきレベルが分からないんです。大学入試の合格判定のように、自分のレベルが数値的に分かればいいのですが、宇宙飛行士の資質として認められるレベルはどの程度なのか、全く分からない。試験項目もはっきりと全部は分からない。
イメージ的には、階段をずっと昇り続けるんだけど、その先が見えない状態。書類選抜と英語の試験に通って、次の扉を開けて、一次試験を通って、その次の扉を開けて……。どこまで続いているか分からない階段を昇り続ける感覚でした。とにかくゴールが見えないんですよね。語学一つとってもいくらでも向上の余地があって、それをどこのレベルまで達せられるのか。日々鍛錬でした。
――著書の中で詳細に宇宙飛行士選抜試験の内容を記されています。内山さんご自身一番大変だった試験は、やはり平衡機能検査(回転イス)でしょうか?
そうですね。もともと乗り物酔いに弱かったので、自分にとっては鬼門だなとは思っていたんです。エアーカロリック検査という、耳に温風と冷風を交互に1分ずつ吹きかけてめまいを誘発させる検査では、僕自身よりも先に、医者が僕の身体の異常を察知しました。これはまだ予備的な検査で、このあとに回転イスの本検査が待っていて。
「(回転イスは)やめておきますか?」と言われたのですが、ここでリタイアするわけにはいかないと思って、少し休ませてもらってから挑戦しました。椅子に座った状態で20~30分回され続けるんですけど、私は10分も経たずにめまいの症状が限界に達しドクターストップがかかりました。かなりきつかったですね。
――宇宙飛行士になるために必要な資質として、専門性や言語スキル、チームスキルや人間性などを挙げてらっしゃいますね。内山さんご自身はどの能力が一番長けていて、何が一番足りなかったと分析されますか?
宇宙飛行士って、全体のバランスが求められるんですよね。平均点勝負ではなく、何か一つでも苦手があってはダメなんです。その中で総合力が上位の人が選ばれていくのですが、僕自身は割とバランスはいい方かなと思っていたのですが、回転に対するフィジカル面は弱かったですね。
宇宙飛行士になると、旋回腕で回されながら8Gや9Gがかかる訓練も行われますし、そういう緊急事態にあっても正常な判断やオペレーションができるかどうかが求められます。僕は管制官として働いていて、自分の身は安全な場所にいる仕事をしている。でも、例えばパイロットは、ミスをしたら自分または同乗者が死ぬかもしれないという緊張感の中で仕事をしているわけですから、そういう世界で生きている人にはかなわない部分だったと思います。なので、それ以外のところを頑張ろうとは思ってました。
宇宙飛行士はとても不思議な選抜試験
――ファイナリストの仲間やライバルの存在というのはどんな存在でしたか?
2次試験や最終選抜で一緒だった仲間たちは、みんな仲がいいんです。バックグラウンドがそれぞれ違うし、お互いの強みも分かる。互いを高められるような関係性です。
宇宙飛行士選抜試験は、すごく不思議な試験です。人を蹴落とす試験ではないんですよね。一人一人が宇宙飛行士としての資質を備えているかを徹底的に見られている。全員がいろいろな課題をチームで対処し、チーム全員で頑張って乗り越えようという気持ちになる。チーム活動の中でどれだけチームに貢献できたかどうかが判断されるわけです。
――宇宙飛行士の大西卓哉さんは、同級生で、選抜をともに戦ってきた仲間ですよね。嫉妬心は全くないのですか?
誰が受かって、誰が落ちたという嫉妬心はなくて。それより、自分があと少しのところまでいったのに、合格発表の日を境に、一瞬にして何もなくなって、元いた場所に連れ戻される。自分の心を整理して、現実を受け入れるのがつらい体験でした。
気がつけば10年、夢のかけらはどこに
――およそ10年。この本にまとめるまでに時間を要されました。改めてこの本を、なぜ書こうと思われたのですか?
試験が終わって最初の頃は、次に向けてまた頑張ろうという気持ちはあったんですが、試験は不定期開催なので、次がいつか分からないんですね。一方で、自分自身は宇宙船「こうのとり」のフライトディレクターとして着々とキャリアを積んで、それなりに自負がありました。気がつけば、試験から10年経っていた。
10年って、いろいろなことが変わりますよね。僕自身、結婚して子どもができた。仕事もフライトディレクターとして成果をあげていった。特に7号機は大きな計画変更があったけど、ミッションを遂行することができて、自分がやれることはやったなと思ったんです。
気持ちがひと段落した時に、宇宙飛行士を目指していた私の夢のかけらが結局どこにも収まっていないことに気がつきました。なんか中途半端な状態だなと。年齢的に宇宙飛行士に挑戦する上でのピークが過ぎているのは分かっていたし、もう一度真正面から勇気を出して、あの挑戦を振り返ろうと思えたんですよね。振り返って、自分の夢に決着をつけるというか。
――宇宙飛行士選抜試験を受けた経験は、今振り返ってみてどんな時間でしたか?
とても楽しかったし、僕を成長させてくれた経験でした。試験を受けなければ、得られなかったものがたくさんあります。そのときに出会えた仲間たちは、今でも刺激を与え合うような仲間です。中年になってからも、そういう仲間ができる。なかなかない経験をさせてもらえたなと思います。本当に後悔は1回もしたことがないですね。
大人になっても挑戦する気持ちを
――ちなみに、2021年秋に宇宙飛行士選抜試験が実施されるようですが、内山さんはもう受けないんですか?
受けないつもりです。一応、20000%受けませんと言っています(笑)。ワクワクはするものの、ちょっと他人事というか、次の世代の人たちの試験だなと。たくさんの若い人たちが宇宙を目指していることを公言されている。そういう人たちを応援する方に回りたいなと思います。
――内山さんは今のお仕事をすごく楽しそうにやってらっしゃるし、宇宙飛行士という大きな夢に向かってチャレンジをされた経験もある。いつもモチベーション高くいられる秘訣を教えてください。
結構、仕事はつらい時もありますけどね(笑)。小さい頃って、夢は無限大じゃないですか。それが年齢とともにどんどん選択肢が狭まっていくように感じると思うんです。だけど、この宇宙飛行士の試験は、中年からでもチャレンジできるし、昔の夢を思い出させてくれる面白い試験だと思うんですよね。
これは宇宙飛行士に限らず、実は意外といろいろなところにチャンスはある。今の時代は、与えられた環境のレールに一生乗っていないといけない時代ではないので。どんどんチャレンジする生き方が面白いんじゃないかなと思います。飛び込んでみると、得られるものってたくさんあるんですよね。僕は宇宙飛行士になれなかったけども、本気で目指したプロセスが成長させてくれたし、出会いもあったわけですよ。
自分が興味があって、やりたいことがあるなら、情報やチャンスはいろいろなところに転がっているので、一旦ちょっと飛び込んでみるといいと思うんです。本気で挑戦すれば、結果はどうあれ必ず何かが得られる。大人になってからも、そういう挑戦する気持ちを持ち続けていたらいいと思います。
――最後に、内山さんの今後の夢を教えてください。
宇宙船の技術で、さらに人類が遠くにいけるような世界を切り拓いていきたいです。有人宇宙開発を推進していく一端を担えたらいいなと思っています。
また、本を執筆したことなどをきっかけに、次の世代に体験談を話す機会を多くいただきます。未来の日本、未来の世界を作っていく若い人人たちに、何か少しでも心を動かすようなことや参考になることを伝えられたら。自分が貢献できることをどんどんやっていきたいですね。