milkは「身浮く」。waterは「おわら」。What do you say? は「和田痩せ?」……。恥をさらすようですが、米国や香港に長く駐在したくせに、私の発音は我流のまま。書けば、aとthe、sayとtellに迷い、そのコンプレックスは一向に解消しない。
最初は自分を責めた。だが、やがて英語圏で知り合った日本人が、程度の差こそあれ、私と同じ症状を抱えていることに気づく。外交官も教授も支社長さんも、日本育ちは、そこそこ読めはするのに、(1)書けない(2)聴けない(3)話せない、のである。
本書の著者は、そのわけをグイグイと深掘りし、日本語と英語の間に横たわる北極海のような隔たりを解き明かす。理解できた範囲で要約すれば、英語の単語や文法、言い回しなどは薄っぺらい氷の小岩。その海面の下には、英語を母語とする人々がふだん意識せずに共有する概念、前提、文脈、関連語といった巨大な「氷山」が隠れている、という壮大な指摘だ。
著者の専門は認知科学。乳幼児が母語を覚える仕組みを研究してきた。日英に限らず、どの言語にも母語と非母語の間には氷山のような土台構造「スキーマ」の違いがあり、そちらを学ばなければ外国語は身につかないと説く。読めば目からウロコが飛ぶようにはがれていく。
「多読ではなく熟読を」(ウロコ2枚)。「映画は好きな1本を熟見すべし」(3枚)。日本人にありがちな癖をまとめた「日本人イングリッシュあるある本」では実践力はつかない(4枚)。同じ勢いで「本書を読むだけで読者が英語の達人になれるとは言わない」(5枚)と率直な語りがうれしい。
そうですよね、やっぱり。語学に近道などありえない。スキーマの海にもぐり込み、全身で泳いでみるしかないとの結論に納得する。その限りでは、私の「身浮く」「おわら」式も、実践の海で編み出した発音法と言えなくもない。みすみす捨て去る必要はないと励まされた。=朝日新聞2021年4月10日掲載
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岩波新書・968円=6刷11万部。2020年12月刊。ビジネスで英語を使う人をはじめ、英語教育に携わる人にも好評だという。