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「私の名前を知って」 性暴力と闘い抜き尊厳取り戻す

評者: 江南亜美子 / 朝⽇新聞掲載:2021年04月24日
私の名前を知って 著者:押野素子 出版社:河出書房新社 ジャンル:ノンフィクション・ルポルタージュ

ISBN: 9784309208183
発売⽇: 2021/02/26
サイズ: 19cm/468p

「私の名前を知って」 [著]シャネル・ミラー

 エミリー・ドウという仮名で、一人の女性がレイプ未遂事件の被害者として法廷の場に立つ。記憶に空白はあるが、性暴力の事実は明白だった。体の内外に残る痕跡、不審な男の目撃者、加害者の逃亡を阻止し、通報した第三者。犯人はすぐに判明した。米スタンフォード大学1年の、将来有望とされた白人水泳選手だ。だが彼は短い勾留の後、15万ドルもの保釈金により自由の身になっていた……。
 本書は事件で一変した彼女の日々の記録である。告訴を決断し、23歳から26歳までで闘った相手は、加害者と彼の雇った名うての弁護士だけではない。性被害を人に知られる羞恥(しゅうち)心や、両親や妹を悲しませる自責の念、孤独感、またパーティーで酔って踊った彼女の落ち度を問う(好奇の目も含む)世論でもある。
 彼女は、親身なボーイフレンドに八つ当たりし、大事な証言で号泣し、感情のコントロールを失う。司法制度に精通してはおらず、資金はない。つまり私やあなたによく似た、どこにでもいる平凡な人間なのだ。
 だが、正義の実現のために闘い抜いた点で、非凡であった。弱さを露呈しながらも理不尽に立ち向かったそのエネルギー源は、自身の名誉回復のみならず、女性を取り巻く暴力の構造への義憤、そして数多(あまた)の性暴力の被害者たちの救済だったろう。服装や夜道に注意せねばならないのは常に女性、NOと抵抗の意思の証明を担うのはいつも女性。自由の制限が一方にだけかかる不均衡。そんな男性優位の社会システムの欺瞞(ぎまん)に、彼女は光を当てていく。
 小さな声は、やがてうねりを生む。ネットに公開した陳述書が広く支持されるのだ。彼女は本名のシャネル・ミラーで経緯を執筆。匿名の存在から、名前と尊厳を取り戻した証こそが、この本だ。本書は人々の意識を啓蒙(けいもう)し、#MeToo運動の先駆けとなった。「私たちは前進していると、少しでも思うことができますように」
    ◇
Chanel Miller 1992年生まれ。米国の作家、アーティスト。本書は全米批評家協会賞(自伝部門)を受賞。