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Saku Yanagawaさん「Get Up Stand Up!たたかうために立ち上がれ!」 日本の元野球少年、マイク1本で全米を笑わせる

文:喜久知重比呂 写真:斎藤大輔

「3分1本勝負」でコメディーの都へ

――活動の拠点にしているシカゴはどんな場所ですか?

 コメディーの都です。有名なコメディアンが全米、そして世界中に羽ばたいていったんです。ブルース・ブラザース、ビル・マーレイ、ティナ・フェイ…数えたらキリがないくらいです。コメディー専用劇場になっているクラブが5か所、コメディアンが借りて運営するレストランやバーも10か所以上はあるんです。シカゴではコメディーを見に行くことが生活の一部ですね。

 日本でいうと、大阪ですね。大阪の姉妹都市でもありますし、「セカンド・シティー」という愛称はアメリカで2番目の都市という意味です。

――アメリカでコメディアンになるには、どうすればいいんですか?

 アメリカのスタンダップコメディーは、「オープンマイク」というイベントに出ることから始めるんです。名前を書いたら誰でも舞台に上がれて、初めて舞台に立つ人も40年目の人も平等に3分間与えられます。そこでキラリと光るものがあれば、客席にいるコメディアンや、ショーを運営しているバーのオーナーとかが「面白いね、うちのショーに出ないか」と声がかかる。それを積み重ねていくうちに、クラブでブッキングされるようになって、レギュラーになって、やがてヘッドライナー(大トリ)となっていくという感じなんですね。

 僕も最初はニューヨークのオープンマイクに行ったら、たまたまシカゴから来ていた「セカンド・シティー」というシカゴの名門コメディー劇団の人に誘われて、飛んで行ったんです。失うものがない人は動くしかないという感じでした。

シカゴ市街地(Photo by Getty Images)

シカゴにあこがれた野球少年

――生い立ちから伺いたいんですが、Sakuさんはどんな子どもだったんですか?

 父は国語教師兼野球の監督で母は洋服のデザイナー、祖父が作家だったので、子供の頃から父に「読むまで外に行ったらあかん」と言われ、遠藤周作とか、大岡昇平を読まされました。小さい頃からピアノとか芸術にも触れさせられたんですが、芸術には興味がなくて、野球の方が楽しくて結果も出ていた子ども時代でした。

――野球少年がアメリカのエンターテイメントにどうして興味を持ち始めたのでしょうか?

 中学・高校になると、野球も無茶苦茶厳しくて、図書館で現実逃避のために、借り放題のDVDをあさって見てました。その中で、コメディー映画が現実逃避にはいちばん良くて。ジム・キャリーも好きだったんですけど、「ブルース・ブラザース」を見て、音楽とコメディーが交差しているのがカッコいいなと。その映画の舞台がシカゴで、漠然とした憧れを抱くきっかけでした。

 甲子園を目指して東京の高校に進んだんですが届かなくて、国立から神宮(全国大会の明治神宮野球大会)を目指そうと大阪大学に入りました。演劇専攻で、ひたすら音楽と演劇の授業でした。アイドルとダンスの歴史とか、昭和の「ニューリズム」と呼ばれるマンボやサンバがどうやって日本に入ってきたのかとか。そういった歴史を一度見つめ直せたということが、今の自分の芸の根幹に生きている気がします。歴史を押さえずに感覚だけでやっていると行き詰まるのも早いと思います。

伝えようとするエネルギーは強かった

――アメリカのシカゴを目指した大きなきっかけはなんですか?

 「メジャーリーガーになるぞ」という夢を抱いて野球を続けていたものの、大学1回生の時、ひじを怪我して野球をやめなきゃいけなくなりました。これからどうしようと思っていた時に、テレビを見ていたら、ニューヨークで頑張る日本人が特集されていて、スタンダップ・コメディアンのRio Koikeさんが登場したんです。コイケさんがニューヨークで20年くらい、マイク1本で戦っているとことに衝撃を受けたんですよ。翌日授業をサボって、ニューヨークに飛んで行きました。

――その時のネタは覚えていますか?

 飛行機の中で作ったんですけど、ものすごい巨体の人が右側に集まっていたんですよ。僕は左側にいて、「飛行機がこのまま右に傾いてオーストラリア行ってまうで」みたいな。身体的特徴を笑うネタなので、今はもうやりたくないんですけど。

――英語で伝えることはどちらで学んだのですか?

 元々は話術で勝負できるような英語力はなかったんですよ。でも、伝えようとするエネルギーは誰よりも強かったんです。大学時代にイギリスに5週間留学したんですけど、着いた初日に財布をすられて、1ポンドで買える大きなメントスとコーラで1週間過ごしてたんです。

 さすがに具合悪くなってきて。残しておいた36ポンドを握りしめて、楽器屋さんに行って中古のギターを買って、「I Lost My Wallet」(財布をなくした)という曲を作って道で弾いたら、24ポンドいただいたんです。その時食べたサンドイッチの味が今でも忘れられないですね。

※コロナ禍、トランプ現象、人種差別…。後編は、アメリカが直面する課題に、アジア人コメディアンとしてどう向き合っているのかを聞きました。

後編はこちら:「ヘイ!コロナ」ステージで浴びた罵声、どう切り返した? コメディアンSaku Yanagawaさんが直面するアメリカの「分断」