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春のTシャツ党 津村記久子

 これまでなんとなく「家に居過ぎること」は恥ずかしいことで、「外でパーッとやること」が人間としては正しいのだ、という風潮だったような気がするのだが、ウイルスの感染拡大で、前者の方が適切な行動であるとされることが多くなってきた。生きてきた中で、これほどまでに「家にいること」が称揚される時期はなかったように思う。

 もともと外に出ないことが好きなので、自分が家にいることに関して「おうち時間」などとは一切考えたことがない。「巣ごもり」も実感がない。自分が家にいることは、ただの「家にいる」だ。「おうち時間」「巣ごもり」という言葉を聞くと、そこまで良いイメージを付与しないと他人は家にいないものなのかと少し驚く。

 家にいることに特化した人生を送りすぎて、家でやることの選択が多すぎてつらいので外で電車に乗っている時が一番落ち着く、というわたしみたいな人間もいる。たまに外出から家に帰るのが憂鬱(ゆううつ)になることがある。だいたい娯楽とはいえ、家はやることが多すぎる。「どれをしようかな」と考えるのがつらい。

 かといって電車に乗りすぎていてもつらくなってくるように、人生はサイクルなのだと思う。どんなに楽でも同じ行動をやり続けることはできない。横になりすぎても、座りすぎても、立ちすぎてもうんざりする。家にいるなりに違いを作り出すことが大切なのではないかと思う。自分の中で今はやっているのは「休みの日にTシャツを着ること」だ。今の季節Tシャツはちょっと寒い。なので布団に入って横になると、おお……、暖かい……と、布団の外とのギャップで小一時間幸せになっていられる。テレビを見るかスマホを見るか本を読むかゲームをするか迷わなくて済む。

 調子に乗ってTシャツ時間を増やして、このエッセイにも書けるぞと喜んでいると、どうも風邪を引いたようだ。風邪薬を飲んで布団に入って失礼します。=朝日新聞2021年5月12日掲載