横へ広がっていった30代
30代になったころ、音楽を縦に深く追求することに当時の自分なりの行き詰まりを感じていた。今思えば「もっと努力することもできたのに」と言えなくもないが、当時の自分としては頑張る気力の限界を感じていたのかもしれない。その頃からだ、縦へ縦へ伸びられない時は横へ横へ広がってみようと、音楽以外の様々なことに挑戦してみた。フットサル、登山、写真。もちろん、それらは趣味の範囲を出なかったので、道楽と言われても返す言葉がないが、それでも当時の自分にはそれらに夢中になることが必要だったように思う。
今回はフットサルの話をしてみたい。
朝から晩までスタジオに通い、それでも一曲もできない日々を繰り返していた30代前半の頃、当時のマネージャーさんがこの煮詰まりは良くないと判断し、「フットサルチームでも作って体を動かしてみませんか」と私をその生活の外へ連れ出してくれた。これには今でもとても感謝している。振り返ってみても、当時はスタジオでギターを抱えて絞り出してはみるものの、曲のアイデアが何も出てこず、頭だけが疲れていた。かといって体は元気なので、自律神経のバランスが崩れ、夜あまり寝付けずにお酒を飲んで、無理やり寝ていた。
そんな日々の繰り返しは、体にも心にも良いはずがなかった。そこでスタジオは午後からにして、午前中に集まれる人を募ってフットサルを始めた。フットサルは5対5で戦うミニサッカーのようなスポーツで、10人そろえば試合ができることから気軽に始める人も増えてきている。最初の頃は確か夏で、人工芝に日差しが照りつける猛暑の中、走るたびに信じられないくらい息が切れ、汗が滝のように出るので、2リットルのペットボトルがすぐに空になった。自分の運動不足を思い知った。
フットサルが居場所に
1日中スタジオに籠もりきりで誰にも会わず、誰とも話さずにいた生活は一変した。体を動かすこともそうだが、フットサルに行く度にそこに人がいて、たわいもない会話ができることが嬉しかった。バンドからソロになり、いよいよ社会との接点を失いかけていた私にとって、そこでのコミュニケーションはかけがえのないものとなった。
気づくと音楽業界以外の同世代の友達が増えていった。20代の下積みを経て、自分の仕事を任されるようになって生き生きとしている彼らから、私もずいぶん元気をもらった。思えば20代はバンドのことで一生懸命で、それ以上の生き方も、それ以下の生き方もできなかった。何も後悔はなかったし、好きなことをやらせてもらえる恵まれた環境もあったけれど、人としての幅や深みがないことは自分が一番分かっていた。追われるような日々の中、音楽の源泉が枯れてきているのではないかと焦り、本当に自分に自信が持てなかった。そのときの自縄自縛を解いてくれたのの一つは、フットサルだったように思う。
ミスをしたとき、どう振る舞うか
そんなチームは、10年近くたった現在も続いている。様々な思い出があるのだが、「音蹴杯」という音楽業界のフットサル大会で優勝したときは嬉しかった。そしてその勢いのまま挑んだ翌年は、準優勝だった。結果はさておき、その2年のチームの空気は別物だった。
あくまで素人集団なので難しい戦術などこなせない。それでチームのルールを一つだけ決めていた。どんなに疲れても、目の前の相手選手に食らいついてディフェンスをするマンツーマンディフェンスだ。とはいえ、体力や気力の限界がきて、最後までやり通せるものではない。その時のチームの雰囲気が違ったのだ。優勝した年は誰かがミスを犯しても、その分チームメイトが精神的にも体力的にもカバーしようとした。準優勝の年は、ミスを犯すたびに互いに指摘し合い、どこかギスギスした空気があった。
ここに大きな学びがあった。相手がいるスポーツは決して自分の思い通りにならない。体力にも集中力にも限界がある以上、いくら自分たちで決めた約束があっても、守る意思があっても、できない時がある。自分も相手も完璧ではないから、ミスを犯してしまう。もっと言うとミスを犯すことが人間なのであり、その際にどう振る舞うかが大切なのである。
人を育てる、育つということ
最近、知人から薦められて、ずっと頷き感嘆しながら思わず一気読みしてしまった本がある。スペインのサッカーチーム「ビジャレアル」で選手の育成に携わった佐伯夕利子さんの『教えないスキル』だ。この本はサッカーに限らず、組織について、人を育てること、人が育つということについて説いている。その中心にある考えは人格の尊重であり、決められたことを実行する能力より自分で考え行動する能力を高めることだ。
裾野を広げた30代を経て40歳を過ぎた今でもまだまだ成長したいと思うのは、学ぶことに限界がないからではないだろうか。学びがあれば人は変わっていける。その変化のあり方がまた、自身の音楽につながるよう生きていけたらと思う。