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稲森雅子さん「開戦前夜の日中学術交流 民国北京の大学人と日本人留学生」インタビュー 先人の思い知ってほしい

九州大学大学院専門研究員の稲森雅子さん

 日中戦争が迫る1930年前後。

 北京に留学した中国文学者の吉川幸次郎は「一生のうちでいちばん幸福だった」と振り返る。のちに九州大教授となる中国文学者・目加田(めかだ)誠も北京で学び、胡適(こてき)や周作人ら学者を訪ね、充実した日々を送った。

 一方、中国の戯曲小説研究の先駆者・孫楷第(そんかいだい)は、日本に残る版本を調べるため、31年に来日した。東京駅で満州事変の勃発を知る。動揺したが、「学界は政界軍界に左右せられるものではない」と考え、中国文学者・長澤規矩也(きくや)らの支えもあって調査を続け、目録を作り上げた。

 こうした状況でも続いた日中の学術交流を、新資料を含め跡づけた。熊本に生まれ、奈良女子大で中国文学を学ぶ。教師志望だったが、福岡で電話局に勤め、子ども3人を育てた。末娘の大学受験が近づいたころ、どうしても勉強したいと夫に相談した。「意外にも『いいんじゃない』と。私が、何か違うと思っていたのを、見ていたのかもしれません」

 2013年に九州大の聴講生となり、14年に50歳で大学院へ。「毎日うれしくて。学力のなさを痛感しますが、学生さんが教えてくれます。若いかたはネットで探すのが上手ですね。私は紙をめくらないと」

 入学の少し前、北京留学時代の目加田の日記が見つかった。日記には万葉集を中国語訳して自宅に日本書の図書室を作った銭稲孫(せんとうそん)や、口語文学の版本を集めた馬廉(ばれん)ら、忘れられた人々が登場する。彼らを調べた博士論文から、この本が生まれた。

 「目加田先生が私の祖父母と同世代なのでその時代を知りたいし、知ってほしい。研究は、先人の思いを知ってやらなければと思います。本は、恩返しみたいなものですね」

 あとがきは「ほんのわずかでも世のためになるのでしたらこの上ない幸いです」と結ばれている。(文・石田祐樹 写真は本人提供)=朝日新聞2021年5月22日掲載