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日常を脅かす「茶色い戦争」 青来有一

1958年、長崎市生まれ。長崎市役所に勤めながら作家活動を続け、2001年に「聖水」で芥川賞を受賞。19年春の定年退職まで約8年半、長崎原爆資料館長を務めた。

 「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました」

 中原中也の詩集「山羊(やぎ)の歌」におさめられた「サーカス」はこう始まります。長い苦難の時代を経て、今宵(こよい)、人々はサーカスのテント小屋で空中ブランコに夢中になっているという情景が浮かんできます。詩人も逆さまのままゆれるブランコ乗りをはらはらとながめている観客のひとりですが、テントの外が「真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)」だと知っていて、自らが宙ぶらりんの不安と孤独を感じています。空中ブランコが行きつ戻りつするゆれに心象をかさね、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という絶妙な表現で終わるこの詩を愛好する中也ファンは多いはずです。

イラスト・竹田明日香

 私が小説を発表するようになって四半世紀が過ぎました。1995年1月17日の早朝に起きた阪神・淡路大震災はその始まりの記憶に重なっています。朝、テレビ画面に映し出された神戸の市街地には、黒煙がのぼり、オレンジ色の炎が噴き出し、高速道路の支柱が折れて蛇のようにくねって倒れていました。私は後にデビュー作となる小説をちょうどその半月ほど前の年末に書き終え、新人文学賞に応募し、その高揚感を新年の浮かれ気分とともにひきずったままでしたが、その光景を見て、文学賞どころじゃなくなるかもしれないとも考えました。

 応募したその小説が、新人文学賞の最終候補に残ったという電話を、東京の文芸誌の編集者からいただいたのは同じ年の3月20日、地下鉄サリン事件が起きた日の夜でした。なにが起きたのかそのときはわからないまま、担架で運ばれていく人々の姿をテレビで見ながら慄然(りつぜん)として、受賞まであと一歩までたどりついたという喜びにもいま一つひたりきれませんでした。

 それから6年が過ぎた2001年9月11日、今度はニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が突入し、高層ビルが崩壊していくという衝撃の光景をテレビで見ることになります。11年3月11日には、東日本大震災によって東北地方の太平洋岸が大津波に襲われ、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きました。

 そして、昨年から続く新型コロナウイルスの感染拡大があります。最初の緊急事態宣言がでた昨年のゴールデンウィークの静寂と、マスク姿の人々が街角を行き交いはじめた当時の不安は今も続いています。私たちのすぐ外の闇の中では「茶色い戦争」が今も続いているのではないか、それが震災やテロ、事件事故、疫病となって私たちの日常をたびたび脅かすのかもしれないとも思います。

    ◇ 

 混乱の最中には、なにがほんとうで、なにが嘘(うそ)か、正義も悪もわからなくなります。事実を確認して事態を見極め、冷静に判断できればいいのですが、すべてを知ることはできないまま「おそらくこうだろう」という物語をつくり、それを信じて対処するしかありません。

 仏教に信疑一如(しんぎいちにょ)ということばがあります。平安なときには人は信じることも疑うこともありませんが、ひとたび不安や恐れが生じて思い煩うとき、人間の心は信と疑のあいだを行きつ戻りつし始めるのです。信疑は心のゆれの両端であり別のことではなく、どちらか一方の善し悪(あ)しを決めることもできません。宗教は信じる心に救いを求めますが、科学は疑いを方法にして事実を探ります。福沢諭吉は『学問のすゝめ』に「信の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑ひの世界に真理多し」と書きました。

 信じることと疑うことのあいだで思い迷う心と、そこから生じてくる様々な物語について考えることで、コロナ禍をくぐりぬけた後の世界の生き方のイメージを探ることができるかもしれません。次回から、これまでに小説を書くなかで考えてきたことも織り込んで、行きつ戻りつゆれながらことばを紡いでいきたいと思います。=朝日新聞2021年4月5日掲載