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母を追憶、冬の冷たい手 青来有一

イラスト・竹田明日香

 冷えこんだ朝、蛇口から流れ出した水の冷たさにうなりながらも、手をあえてそのままにしていたのは、ガス給湯器の点火音が聞こえたからです。水がだんだん温かくなっていくのが心地よく、思い出したのは給湯器もなく、それこそ冷え切ったままの水で顔を洗っていた遠い日の冬の寒さでした。

 給湯器やエアコンが普及する前、冬はほんとに寒かったという印象があります。特に朝、石油ストーブは部屋が暖まるのに時間がかかり、赤外線コタツもこれもなかなか暖かくなりません。子どもの頃、コタツが暖まっていたら、服を抱えてもぐりこみ、首だけ出して服を着た経験はある年齢層にはあるはずです。冷えこんだ朝のコタツの着替えは、冬の朝の風物詩といった光景だったのでしょう。

 昭和の古い木造家屋の造りも寒さの一因だったのでしょう。壁も床も断熱は今ほどではなく、当時、住んでいた家は、戦後建てられた木造の家で、床下は風の通り道の穴になっていました。屋内の熱もどんどん奪っていったはずで、やはり、「夏を旨とすべし」という家の造りだったのでしょう。

 家が冷えこむ中、寒さは女のひとの指先に集まっているようでした。女のひとといっても、いっしょに暮らしていた母と祖母の手の印象ですが、特に冬は朝早くから冷たい水をあつかい、食事が終わったら、後片付けの食器洗いや洗濯もして、母の手も祖母の手も冷えびえとしていました。風邪で熱がでて寝こんだ時には、その手の冷たさが心地よく、夜中、祖母がトイレに起こしてくれたときも、頬(ほ)っぺたに軽く触れて呼びかけるその手が、夢うつつに妙にひんやりしていたように思います。

 祖母にしても、母にしても、たまたま手に触れたときが、水洗いの後だったり、冬の深夜だったりで、冷たく感じたのでしょう。体温には一日の変化もあり、季節の変化も、年齢の変化もあるでしょうから、なにも、いつも手が冷たかったというわけでもないのでしょうが、温かな母の手の一般的なイメージとはちがい、冷たさが母と祖母の手の記憶になっています。

 中学生にもなれば母の手を握るといったこともなくなり、高校生の時に祖母は亡くなり、大人になってからは給湯器やエアコンも普及し、家全体が暖かいという暮らしになると、祖母や母の手の冷たさもいつしか忘れていました。

 長い時が過ぎ、老いた子が老いた母を見守る年齢になった数年前、コロナ禍のまだ前の春だったと思います。なんどか書きましたが、母が認知症の施設で暮らし始めた頃、母をいつものように訪ねた時、母が寒いというのでカーディガンを着せて、その手を両手で包みました。

 もう照れる年齢でもなく、すなおに温めてあげようと思ったのです。シワとシミだらけの痩せた小さな手が水洗いをした後のように妙に冷たく、家の寒さを一点に集めたような昔の手の冷たさを思い出しました。母の手をさすり、「つめたかねえ(冷たいね)」と言ったら、母は息子の手を「あんたの手、ぬっかねえ(温かいね)!」と懐炉のように手に包みこんで喜ぶのです。親の手が普通よりも冷たいのか、息子の手が普通より温かいのか、「そっちがつめたか」「そっちがぬっか」という珍問答になり、妻や施設の職員の方にも互いの手を握ってもらったら、母の手は特に冷たいわけではなく、息子であるわが手が普通よりかなり温かく、熱いぐらいだという結論でした。

 健康診断の時、たしかに別に病気ではないが、体温はいくらか一般の人より高いように言われたことがありました。

 「ぬっかね、ぬっかね」とむじゃきに喜んでいた母もいなくなった今、この手が温かいのなら、もっとすなおに手を握ったり、つないだりしたらよかったなと思いもします。=朝日新聞2026年1月12日掲載