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垣間見た、空き家の物語 青来有一

イラスト・竹田明日香

 国道から一本裏にはいった路地の角地に、その古びた木造の2階建ての家はありました。

 門柱もなく、磨(す)りガラスの引き戸の玄関はそのまま道路に面していて、敷地いっぱいまで平屋の部分を増築したといった印象です。

 2階建ての部分だけ短いブロック塀があるのは、増築の際に家を囲んでいた塀をそこだけ残して取り除いたのでしょう。ブロック塀と建物の狭いすきまにはツツジやアジサイなどが噴き出すといった勢いで葉を繁(しげ)らせ、板壁にはりつくように枝葉を広げた背の高いシマトネリコの枝先は、2階の窓まで伸びていました。

 空き家なのかと前を通るたびに気になったのは、親が住まなくなった家を5年ほど管理した経験があったからです。

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 所有者の母が認知症になり、施設で暮らし始めたため、売ることも貸すこともできない宙(ちゅう)ぶらりんのまま、近隣に迷惑をかけないように維持管理を続けました。実家がそれほど遠くなかったのでなんとかなりはしましたが、掃除をしたり、庭の草むしりをしたり、それでもずいぶんと労力を費やしました。

 台風のときには雨戸を閉め、厳重に戸締まりはしてくるのですが、瓦が飛びはしないか、雨漏りはしないか、暴風雨の音を聞きながら夜更けまで眠れなかったことを覚えています。

 実家を訪ねて居間の扉をひらいたとたん、突然、天井からドタバタという足音が聞こえて心底驚いたというか、まさに仰天したこともあります。なにかが屋根裏に侵入したようです。

 専門業者の依頼も検討しながら、神経質ないきものは人間の気配や騒音を嫌がると知り、まずは頻繁に通ってモップの柄で天井をどんどんと突いてまわり、一週間ほど後、謎の足音も完全に消えて、アレはいなくなったと確信できたときには、安堵(あんど)感と脱力感でソファに座りこみました。今考えると古い家とひとり格闘していたような日々だったとも思います。

 高齢者が増え、若い人々が少なくなり、家族関係もライフスタイルも変わっていく今、全国で空き家は増えています。同じ空き家といっても、個々の家にはそれぞれのっぴきならない事情があり、千差万別の家族の物語があったはずです。

 古びた家に、目をつむってじっと黙りこんで、うずくまる古老を思わせる存在感がにじみでてくるのも、その家が記憶のように抱えこんだ物語があるからかもしれません。

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 角地の家の駐車場にライトバンが停(と)まり、数人の作業服を着た人々が出入りする姿を見たのは、晴れた秋の日のことでした。

 ガレージの奥に積まれていたものがなくなり、草木が鬱蒼(うっそう)と繁り、藪(やぶ)といった状態の裏庭が見えました。玄関脇の2階の窓まで伸びたシマトネリコの木やその根もとの草の繁りといい、放っていたら家全体が植物に覆われるのかもしれません。

 まもなく家のまわりに足場が組まれてグレーのシートで目隠しがされ、そこに「解体工事」の概要が記されていました。コンクリート塀に寄せてトラックが停まり、警備員が監視するなか、次々にトラックの荷台の囲いになにかが落ちてきて、2階の屋根を仰ぎ見たら瓦を放る手が見えました。まもなく重機の唸(うな)りが聞こえるようになり、鉄の爪が建物を解体するときのバリバリという大きな音も響くようになりました。

 数日後、シートのすきまから見えたのは、藪のようだった草木がすっかり除かれた裏庭と池の跡らしいセメントで固めた窪(くぼ)み、それからざっくりと削った家の断面の奥の剥(む)き出しになった床の間でした。

 一瞬、まるで自分自身がその床の間の畳に肘(ひじ)枕をして寝ころび、裏庭の池をながめながらうたた寝をしたことがあったような、もの悲しくも、どこかなつかしいといった心持ちにもなりました。=朝日新聞2025年12月8日掲載