イヌの「こころ」、膨らむ想像 青来有一
寒さがゆるんだ日の夕方、オレンジ色の西日に照らされた交差点で、飼い主とともに信号待ちをする二匹のイヌを見ました。
耳がとがった白黒の機敏な感じのイヌは、たぶん、ボーダーコリーでしょう。飼い主の男性に寄り添い、その顔をなんども仰いでは行儀よく待っています。鼻梁(びりょう)の長いすっきりとした横顔が聡明(そうめい)な印象がありました。
もう一匹のイヌは茶色のトイプードル。こちらは高齢の女性に連れられ、タータンチェックのチョッキ風の服を着ていて、冷えた路面に座りこみ、左の後脚で耳を掻(か)いては、その脚の匂いを嗅ぐといったことをくりかえしています。そのうちに脚先をぱくりとくわえ、ちょうどその瞬間、目が合いました。
トイプードルはばつが悪いといった、見られていたことに気づいての戸惑いというのか、黒いつぶらな目に白けた感じがよぎり、顔をぷいとそむけたのです。そのゆらぐ「こころ」がなんとなくわかり、ひとりにやりとしました。
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小学生の頃、学校で飼っていたニワトリの卵が孵化(ふか)したことがありました。白色レグホンにまじり、チャボのつがいがいて、そのヒナだったと思います。
クチバシはオレンジ色、淡い黄色の羽毛のふわふわとしたヒナはかわいらしく、親鶏のふくらんだ胸の羽毛や尻尾の後ろに隠れ、母鶏にまとわりついて離れません。
掃除当番で小屋に入ると、親鶏が小屋の隅に逃れ、ヒナたちも一斉にころがるように動き、ひっくり返ったり、はねたり、互いを踏んづけたりして、大騒ぎで追いかけるのでした。
当時、ヒナたちが母を慕っているのだと素朴に信じていました。人間の母と子の「こころ」の物語を鶏たちも生きているのだと思いこんでいたのです。
幼稚なぼんやりした思いこみがひっくり返ったのは、カモのヒナが風船を追い回している映像を見た時でした。大学生の頃です。鳥のヒナは生まれて初めに見たものを「親」と認識して、刷りこまれる。その「親」が動くと、その刺激が脳に伝わり、後に従うという行動が引き出されるというのです。
親だと学習するのではなく、母がいないから寂しくて後追いするでもなく、あらかじめ遺伝的に組み込まれた行動パターンが刺激によって解発(リリース)されるのであり、そのように行動する個体が生き残り、種の行動も進化してきたという考え方です。
「ソロモンの指輪」で有名なコンラート・ローレンツ博士らが確立した「動物行動学(エソロジー)」があきらかにした考え方でした。当時、一般向けの解説書も多く出版され、他の個体の発情色の赤に反応し、つついたり、追い回す攻撃行動が誘発される魚の話や、ヒナの口の中の黄色に反応して、くわえてきたエサを落とす鳥の話など多くの動物の様々な行動の事例が紹介されていました。
なわばりに侵入された怒りや、子どもへの愛情ではなく、動物は思いのほか自動化された機械に近く、刺激と反応の複雑なシステムによって行動しているようです。カラスが鳴くのは山にかわいい子どもがいるからではなく、思いのまま勝手に鳴くのでもない。やはり、なにか刺激があって、「鳴く」という反応・行動が引き起こされるのでしょう。人間と同じような「こころ」は動物にはないのか、当時、そんな戸惑いもおぼえました。
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青信号に変わり、ボーダーコリーは飼い主と歩調を合わせて歩きだし、トイプードルはリードを引っ張り、一目散に駆け出しました。夕暮れのオレンジ色の光の中、その後ろ姿を見送りながら、かれらの「こころ」をやはり感じました。もしかしたら、イヌたちは私たちの「こころ」そのものではないか、そんな奇妙な想像もふくらんだのでした。=朝日新聞2026年2月2日掲載