自分のことを良く見せようとする技術が卓越している人が苦手なのだが、書評の冒頭でこう書くことによって、同じような苦手意識を持っている人に共感されたいという欲があるわけで、メッセージを発するという行為には、どうしたって、いくつもの欲がこびりついている。
朝井リョウの作家生活10周年を記念した長編小説は、あらすじの紹介を拒む。拒むような内容であると同時に、本書についてのインタビュー記事などに目を通すと、書き手もそれを拒んでいるように思える。
妻と息子の三人で暮らす検事の寺井啓喜(ひろき)、ショッピングモールの寝具売り場で働く桐生夏月、大学の学園祭実行委員の神戸(かんべ)八重子の三人の視点で動いていく物語は、一見、なんら関係がないと思いきや、とある秘密をめぐり、やがて、静かに、そして不気味に絡み合っていく……といったあらすじは、やはり不要というか、不毛なのか。
善人を見ると、その人の裏の顔を探りたくなるが、そもそも、人の顔に表や裏などあるのか。表出しない感情、趣味、そして性欲。それは裏、なのだろうか。
作品の全体に横たわるのが「多様性」という言葉。
「多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています」
「想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋(ふた)をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです」
そういう考えがあってもいいよね、という姿勢は、ありとあらゆる「生」を肯定しているように見える。だが、「生」をコーティングする正しさは、自分を、あるいは誰かを窒息させるのではないか。傷つけ合わない社会と、傷を見せないようにする社会は大きく異なる。個人に内在する欲に対して、正誤が測られる時、その基準は誰によるものなのか。正しさの異常性、異常の正当性、人間が見せたくない部分を抉(えぐ)り出している。=朝日新聞2021年6月12日掲載
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新潮社・1870円=4刷5万3千部。3月刊。直木賞作家のデビュー10周年記念として、『スター』(朝日新聞出版)を「白版」、毒の強い本作を「黒版」として刊行した。