自分なりのキング論の総決算
――『スティーヴン・キング論集成』は約500ページの大冊。キング論の決定版ともいえる一冊ですが、執筆のきっかけは?
2017年に角川文庫から「ダークタワー」シリーズの新装版を出したことですね。一度新潮文庫で出した訳書ということもあって、角川文庫版では全巻に詳しい解説を付けました。ご存じのとおり「ダークタワー」はキングワールドの総決算で、過去の作品のエッセンスが散りばめられています。それを論じているうちに、自分がこれまで書いてきたキング論をふり返って関連付け、まとめたくなった。それが執筆のきっかけです。
ありものの原稿を再構成するだけなので、すぐ本になるだろうと思ったら、3年も経ってしまって担当者も3人変わった。仕事中毒のキングと違って、僕は明日できることは今日するなという人間なんですよ(笑)。ただし原稿にはかなり手を入れていて、書誌情報をアップデートしたり、初出時には分からなかった新情報を盛りこんだり、新たな解釈をつけたしたりしています。
――個別の作品を論じた文章が大半ですが、キングの人生を振り返る評伝としても読めますね。
生まれ育ったメイン州との関わりから、少年時代に熱中したB級SFホラー映画やECコミックの影響、そして長編デビュー作の『キャリー』と時系列順に並べることで、作家としての歩みがよく分かる構成にしたつもりです。
当初は25年前に書いた「スティーヴン・キング伝」(『スティーヴン・キング 恐怖の愉しみ』所収、筑摩書房)を増補する形で、評伝パートを書き下ろそうと思っていたんですよ。でもこれ以上ページ数を増やしたら、とんでもない厚さになってしまう。担当者を泣かせるわけにはいかないので、今回は割愛しました。
キングとのファーストコンタクトは「霧」
――風間さんといえば日本におけるキング研究の第一人者。しかし意外にもキングとの出会いは遅かったそうですね。
僕は大学に入るまで手にしていたのはマンガばかりでほとんど小説を読んでいなくて、仏文科に進んだ後もスタンダールの『赤と黒』やバルザックの『ゴリオ爺さん』、フローベールの『ボヴァリー夫人』、ゾラの『居酒屋』、アンドレ・ジッドの『狭き門』など、当時の文学部の学生、いわゆる文学青年ならすでに読破しているような基本図書ばかり追いかけていました。ところが在学中に澁澤龍彦の著作と出会ってしまい、異端文学や幻想文学と呼ばれるジャンルに関心を抱くようになったんです。そこから読書傾向がガラッと変わりました。
その後、M・R・ジェイムズやラヴクラフトなど英米の怪奇小説も読み始めて、仏文より面白いじゃん、と夢中になった(笑)。だから古典的な怪奇小説はたくさん読んでいたけど、まだ同時代のホラーまではフォローしていなくて、キングの存在にも気づいていませんでした。
――キングとのファーストコンタクトは出版社勤務時代に読んだ「霧」。映画「ミスト」の原作としても知られるこの中編に、たいへんなショックを受けたとか。
古典的な怪奇小説って、やっぱり現代の若者には地味でかったるい部分があるんですよ。それに比べると「霧」は語りのテンポが速いし、キャラクターの描かれ方も今日的。濃霧の中から得体の知れない化けものが現れるというB級SFホラー映画のようなアイデアも面白い。こんな作家がいたんだと驚いて、キングやその他のモダンホラー作家を追いかけるようになりました。今から40年近く前になりますね。
全世界で共感を呼ぶ、スモールタウンの恐怖
――1974年に『キャリー』で長編デビューを果たしたキングは、『呪われた町』『シャイニング』とモダンホラーの傑作を相次いで執筆、世界的ベストセラー作家となります。ホラーというマイナーなジャンルで、彼はなぜ名声を得ることができたのでしょうか。
キング以前にも現代的なホラーを書く作家はいたけれど、多くは短編作家だった。ホラー長編ばかり書いて、ベストセラー作家の常連になったのは文学史上キングが初めて。ホラーの歴史はキング以前と以降に分けられるくらい、キングの登場は画期的な出来事でした。
キングがベストセラー作家になれたのは、作品の質の高さはもちろんですが、時代もよかったんでしょうね。1970年代は世界的なオカルトブームで、しかも小説と映画のタイアップが盛んに行われるようになった時代。続く80年代にはホラー映画ブームがやってくる。キングはその波に乗ったんです。ブライアン・デ・パルマやスタンリー・キューブリックなど名だたる監督が次々にキング作品を映画化し、相乗効果で原作も大ヒットした。映画とのタイアップがなければ、ここまで名を知られる作家になっていなかったかもしれません。
作品の質が高いということなら、キングの息子のジョー・ヒルだって優れたホラー作家です。短編なんて親父さんより上手い(笑)。でも、キングほどの知名度はないですからね。
――キングが好んで舞台にするのがキャッスルロック、バンゴアなどメイン州のスモールタウンです。その小さな世界で巻き起こる恐怖が、アメリカのみならず各国で受けいけられています。
確かにローカル色は強いですよ。『ドロレス・クレイボーン』なんて台詞がメイン州訛りで書かれていて、原文は結構読みにくい。でも、考えてみるとアメリカの大部分はスモールタウンで、都市部に住んでいる人はわずかしかいない。だからメイン州のキャッスルロックやバンゴアを舞台にしても、アメリカ全土に住んでいる人たち大半の暮らしを反映していることになるんです。
そしてキングが描いているテーマ、たとえば『キャリー』のいじめの問題とか、『シャイニング』のアルコール依存症だとか、『ミザリー』の隣のサイコさんだとかは文明国なら大体当てはまるわけです。生活がアメリカナイズされている日本ももちろんそうで、キングの描いている恐怖には現代社会に生きる人にとっての普遍性がありますね。
――アメリカ本国ではアカデミック方面からの評価も高いとか。
当初は俗受けするベストセラー作家という扱いでしたけど、1996年にO・ヘンリー賞を、2003年にはアメリカで最も権威ある文学賞と言われる全米図書賞の功労賞を受賞し、さらには2013年には文化勲章までオバマ大統領から授与されています。それで風向きが変わり、アカデミズムの世界でも研究対象になってきました。確かに論じやすい作家ではある。常に「アメリカの悪夢と超現実的光景」を描いてきた作家なので、まずはアメリカン・ゴシックの系譜で語りやすいし、そのほかにも大衆文化とか社会学とか物語論とかジェンダー論とか、切り口はいくらでも見つけられる。
しかし周囲の評価が変わっても、キング自身はあまり変わらないですね。90年代後半の『骨の袋』以降の一時期、文芸寄りになったかなと思わせる時期もありましたが、最近はまた『アウトサイダー』みたいなB級テイストのホラーを書いていますから。僕がキングの作品で好きなのは、とにかくキッチュでお下劣、悪趣味、そして読者を絶望のどん底に突き落とすようなところだけど、その部分は変わっていないと思います。まあ、最近はお年を召して、だいぶ丸くなり、ヒューマンな泣かせの展開に傾きがちですが(笑)。
冷や汗をかくほど怖かった『シャイニング』
――風間さんはキングの作品を、語りの技巧を凝らしたポストモダン小説としても評価されてきました。
最初はやっぱり奇抜な発想やトンデモ展開に惹かれていたんですよ。アメリカのベストセラー作家はさすがに話の作りが上手いねえという感じでね(笑)。でも、『IT』『ミザリー』あたりで、キング作品のナラティブ(語り)にも注目するようになりました。60年代以降のポストモダン小説で用いられるメタフィクションの技巧を、キングもかなり積極的に取り入れています。
とはいえキング本人は、メタフィクションという用語は気取っているようで嫌いだ、と言っています。ポストモダン小説とみなされることだって気分がよいとは思っていない。そもそもアカデミックな批評に対して距離を置いています。自分はハラハラドキドキする面白い小説を書いて、人をこわがらせたり驚かせたりするのが好きなんだ、と言っています。そこがまた潔くていいですね。
ふり返ってみるとこの本はキング論であると同時に、僕がこれまで書いてきた幻想文学論の総まとめ的なところもあります。僕の中ではホラーもポストモダンなメタフィクションも、アンチリアリズムの幻想文学という意味では共通している。その両方を絡めて論じられるのがキングの作品なんです。純文学と大衆小説の架け橋ですね。
――なるほど。巻末には「スティーヴン・キング全作品(1974~2020)紹介」という便利なリストも掲載されています。数ある作品の中でも「怖さ」で★5つを獲得しているのは『シャイニング』だけです。
『シャイニング』は怖かった! 読んだのは結婚したての頃で、当時は築50年くらいの古い借家で暮らしていたんです。その日は嫁さんが里帰りしていて、夜一人で読んでいたらあまりの怖さに手のひらに汗をかいていて、本のカバー袖がぐっしょり濡れたのを覚えています。読書であんな思いをしたのは、今のところ『シャイニング』だけですね。
キューブリックの映画もよく出来ているけど、原作はさらに容赦ないんですよ。それまで悪霊に取り憑かれていた父親が一瞬我に返って、もう大丈夫かと思ったらガンガンと自分の顔面を槌で殴りつけ、ぐちゃぐちゃにしてから改めて襲いかかってくる。怖がらせるためにそこまでやるのかと。容赦のなさでは『オールド・ボーイ』とか『悪魔を見た』のような韓国映画のリベンジ・サスペンスに近いものがある。
――「そこまでやるのか」というキングの過剰さが、風間さんの琴線に触れるわけですね。
そうそう、僕って基本的にペシミストで性悪だから(笑)。ヒューマンドラマより、徹底的に悪意や絶望を描いた作品の方が好きなんです。キングはその点容赦ないでしょ。『クージョ』はあまりにもひどいバッドエンドで抗議の手紙が来たというし、『ペット・セマタリー』だって救いがない。家族のいる読者なら落ち込むこと請け合い。そういう作品を読んでいると、これが現実だよな、と再確認できます(笑)。
「愛と正義は最後に勝つ」とか「お天道様はすべてお見通し」、「この世に悪の栄えた試しはない」といった、いわゆる〈社会派メロドラマ〉の真逆を描く稀有な作家ですよ、キングは。言うなれば、「悪を知らずして善を語ることなかれ」ってことかな。
――キングの描く悲観的な世界は、哲学者ショーペンハウアーの説く「共苦」に近い、ともお書きになっています。
共苦とは一緒に苦難を味わうことで、初めて共感や同情が生まれてくるということ。ブッダの説いた「一切皆苦」ですよね。生きることは苦しみの連続で、一瞬快楽を味わったとしても、その先には快楽の喪失という新たな苦が待ち受けている。人は誰しも老いる。最終的には死が待ち構えている。生きるということはそういうこと。死というゴールに向かって突き進むだけです。
じゃあどうしたらいいの、っていうとすべては諸行無常だと諦めるしかない。そこから他者を思いやる気持ちも生まれてくるんです。「諦める」は「明らめる」と同義です。つまり、物事の理を明らかにするということ。ほとんど悟りの世界。言うなればキングはホラー界のブッダかな(笑)。キングは自分の宗教的・思想的バックグラウンドについてはほとんど語らないのでよく分からないけど、ベビーブーマーでヒッピー世代の人だから、東洋思想の影響を受けているのかもしれないですね。
僕はキングのNO.1宣教師みたいなもの
――近年もキングの創作意欲はまったく衰えず、『ドクター・スリープ』『ミスター・メルセデス』などの力作を発表、新たな読者を獲得しています。
物語を書かずにはいられない、生まれついてのストーリーテラーなんでしょうね。かつて引退宣言の噂が出た際も、作品を公にしないだけで創作は続けると語っていたらしいから。アメリカの新しいフォークロアを紡ぎ続ける、生まれついての現代の語り部なんじゃないかな。マーク・トゥエインの系譜を受け継ぐ、「ホラ話」の語り手とも言えると思います。
――30年以上にわたるキングとの格闘を記録した『スティーヴン・キング論集成』。本書の刊行をもって風間さんのキング評論は一段落でしょうか。
まだまだです。キングより10年は長生きして、キング論の増補決定版を出したいですね(笑)。この本では「ビル・ホッジス」3部作など近年のミステリーやクライム・フィクションについてあまりページ数を割いていないので、2010年代以降のキング作品についても論じる機会を持ちたいと思っています。
残念なことに、最近はキングが若い人に読まれなくなっていて、まあ、それを言うならキングにかぎらず海外作家の小説を読まなくなっていて、大学の授業でアンケートを取っても、キングの名前を知っている学生は100人中1人か2人くらい。以前は映画『スタンド・バイ・ミー』や『ショーシャンクの空に』の原作者だと言うと、まだ反応があったんですが、近頃はそれすらない。もっとキングの面白さを積極的に発信する必要があるなと考えています。この本はそのための布教の書。僕はキングのNo.1ファンならぬNo.1宣教師みたいなものです。