古くは広津柳浪と広津和郎、近年では井上光晴と井上荒野のように、親子二代にわたって文筆家として活躍する例はそう珍しくない。しかしホラーという特殊なジャンルに身を置いて、しかもそろってベストセラーを連発している親子作家となると、スティーヴン・キング&ジョー・ヒル父子くらいしか思いつかないだろう。
ジョー・ヒルは1972年生まれ。2005年のデビュー作『20世紀の幽霊たち』でブラム・ストーカー賞、英国幻想文学大賞、国際ホラー作家協会賞の三冠に輝き、新世代モダンホラーの旗手として脚光を浴びた作家だ。その後も『NOS4A2-ノスフェラトゥ-』『ファイアマン』などの話題作を相次いで執筆、世界のホラーファンを魅了している。
『怪奇日和』(白石朗・玉木亨・安野玲・高山真由美訳、ハーパーコリンズ・ジャパン)は、そのヒルによる最新中編小説集である。邦題は『STRANGE WEATHER』を訳したもので、雷や強風、死をもたらす雨などそれぞれ〝奇妙な天気〟が重要な役割を果たす4編を収めている。ホラージャンルにおける中編小説集といえば、春夏秋冬4つのシーズンを舞台にしたキングの傑作『恐怖の四季』が思い浮かぶけれど、対するヒルはお天気縛りで一冊を編んだわけだ。
いずれも甲乙つけがたい力作が並んでいる。巻頭の「スナップショット」は、呪われたポラロイド風カメラというガジェットが魅力的なアイデアストーリー。記憶を失い、近所を徘徊するようになった女性を救うため、主人公の少年は白いキャデラックとともに現れたよそ者〈ポラロイドマン〉と対決する。80年代を舞台にしたスピルバーグ映画風の作品だが、ノスタルジックな夢物語では終わらない悲痛さも漂わせる。
続く「こめられた銃弾」はスーパーナチュラル要素のないシリアスなミステリー。4人が死亡したショッピングモールでの銃撃事件。犯人を射殺した警備員は英雄として祭り上げられるが、ジャーナリストのアイシャは彼の人間性に疑惑を抱く。油断のならないストーリーが明らかにするのは銃社会アメリカの病理。迫りくる山火事の脅威とともに描かれるクライマックスには、心底ぞっとさせられる。
3作目の「雲島」は前作からは一転、子供時代の空想をそのまま小説化したかのような作品だ。亡き友を偲んで人生初のスカイダイビングに挑んだ青年は、地上三千数百メートルに浮かぶ雲の島に着陸してしまう。地上に戻る手立てを失った彼は、得体の知れない円盤状の島を探索するのだが……。限定されたシチュエーションにもかかわらず(なにせ物語の大半は雲の上)、ラストまで退屈させられないのは語りの巧さゆえ。「こめられた銃弾」とは違った意味で、こんなものも書けるのか、と感心してしまった。
そして4作目の「棘の雨」。突如空から棘状の結晶体が降り注ぐ、というショッキングなシーンから幕を開ける同作は〝奇妙な天気〟の巻末を飾るにふさわしい終末ホラーだ。鋭い棘によって傷つき、命を落としてゆく住人たち。同性の恋人を目の前で失った主人公は、彼女の父にその死を告げるため、ボールダーからデンヴァーまで徒歩での移動を開始する。世界の終わりを思わせる光景のもと、露わになってゆく人々の差別意識や暴力性。あり得ないことを読者に信じこませてしまう、ヒルの筆力が十全に発揮された傑作だ。本書のベストを選ぶならこれだろう。
中編小説という形式について「自動車競技でいえばドラッグレース。作者はアクセルをフロアまで踏みこみ、おのれの〝語り〟を一気に崖から飛びださせる」と述べているヒル。なるほど本書収録の4編は、いずれも短編ならではの勢いと、長編ならではの読み応えを兼ね備えたものだ。あまりの面白さについ一晩で読み終えてしまったが、もうちょっと腰を据えて楽しむべきだったかも、と若干反省しているところである。
そして面白いばかりでなく、本書には高い現代性がある。銃規制をテーマとした「こめられた銃弾」や、性的少数者を主人公に据えた「棘の雨」にとりわけ顕著だが、ヒルはアメリカ社会に潜むさまざまな〈分断〉に意識的な作家だ。そこで描かれる多様な人間模様(日本人にとっても他人事ではない)が、怪奇的・幻想的な物語にずっしりした重みを与えている。
時代と切り結んだ骨太なモダンホラーとして、読んで損のない一冊。もしあなたがキングのファンなら、スラングを交えた語り口や人物造型などに〝父親譲り〟の刻印を見出して嬉しくなるはずだ。