クラスター・トリアージ…まさに「戦場」
報道の現場に立つようになってから、一日も欠かさずお伝えしている「新型コロナウイルス」。今、医療現場で起こっている、まさに修羅場とも言えるような危機的状況が、まざまざと伝わってくる本に出合いました。『臨床の砦(とりで)』(小学館)。この物語を記したのは、長野県で消化器内科医として働く、作家の夏川草介さん。コロナ治療の最前線に立ち続けているお医者さんです。
北アルプスを見晴るかす信州の農道を、救急車が疾走する――。そんなシーンから、物語は始まります。酸素マスクをつけて運ばれる中年男性と、真っ白な防護服を着て同伴する主人公の医師・敷島。敷島が勤める信濃山病院の「発熱外来」に、中年男性が訪れたのは、たった5日前のことでした。軽い喉(のど)の痛みと発熱だけで、数日間の静養で収まると思っていたのが、熱はいっこうに下がらず、酸素飽和度はみるみる下がり始めていきます。中年男性は、重症患者の治療にあたる中央医療センターへの搬送が決定。救急車は走ります。
作者・夏川さんの勤める医療機関には、感染症指定機関でありながら、感染症や呼吸器内科の専門医がいないそうです。このため、内・外科など専門外の医師と共に、総がかりで診療にあたっているとのこと。その苦悶の日々が、忠実にストーリーに転写されています。フィクションの体裁をとりつつも、一つひとつの体験、言葉の重みが、濃密に迫り続けます。クラスター、トリアージ(命の選別)、高齢者を看取るということ――。ここ1年半、飛び交ってきた言葉・事柄の、これほどまでの壮絶な側面が、克明に記され、この感染症の特殊性、恐ろしさを改めて実感します。まさに戦場です。
「医療崩壊寸前」実態を伝えられているか
「医療崩壊寸前」という言葉を、僕たちは何度も耳にしてきましたよね。感染者数、病床使用率、検査数。「数字」ばかりをこの1年半にわたって、追い続けてきたように思うのですが、実態をどれだけ正確に把握しているでしょうか。
たとえば、病床使用率が「50%」という数値。これを「まだベッドが半分も残っている状態」だと捉える人が多いと思うのです(僕もそのひとりでした)。でも、使用率が示される「感染症病床」は、感染症の「専用病床」ではなく、基本的には、一般診療で使う病床のいくつかを、感染症病床として各医療機関が標榜しているだけだ、と、この本は説いています。つまり、患者を受け入れられる感染症病床が、つねに確保されているわけではない、ベッドが空いているわけではない、ということなのだそうです。
「3密回避」「午後8時閉店」「出勤3割」……僕たちが守るべき数値、それから医療キャパシティーの数値、そして、実際に苦しまれている方の数、亡くなられた方の数。数字に色はありませんが、実は、そこにはすべて温度があって、いろんな思いがあって、感情があって、苦しんでいる方、悲しまれている方がいる。報道で取り扱う際には、想像力を持ってお伝えしていきたい。
今、現実に起こっている切迫した状況が臨場感を伴って立ち上がり、読み進めるのもつらくなりますが、何よりも驚くのは、新型コロナ感染症の特殊性です。「肺炎で亡くなる」というと、まるで陸の上で溺れるように苦しみ続けるのかと漠然と想像していました。ところが、コロナ患者は軽症、中等症、重症という経過をたどるのではなく、中等症のまま亡くなる患者が大勢いるのです。ご自身が、自覚もないまま、酸素飽和度がどんどん下がり、人によっては特段苦しむ様子もなく亡くなっていく……。今までの肺炎、SARS、MARSとはまったく違う性質のものなのだということを、リアリティーをもって知りました。入院が叶わず、自宅療養中に亡くなった方々も、もしかしたら、どの程度危ない状況かを自覚しないままだったのかも知れません。
死に際を、家族と共に過ごすこともできず、遺体は灰になって帰ってくる……。ご本人、ご家族のことを思うと、ただただ胸がつぶれる思いです。(志村けんさんは、最期、どんな思いを抱いておられたのだろう……)
「負の感情のクラスターは何も生み出さない」
同じ医療機関といっても、コロナ患者の診療をする施設はごく少数で、患者を受け入れない大多数の病院との温度差には絶望的な隔たりがあることにも、改めて驚かされます。物語の設定は長野県。コロナ患者数は大都市圏と比べると少ないかも知れません。でも、その代わりに、医療態勢のキャパシティーには大きな差があります。そう考えると、都会も地方もじつは関係なく、医療崩壊に瀕した状況であるということが、読者に実感として伝わってきます。
コロナは、あらゆる分断を生みました。コロナにかかった人と、かかっていない人。中等症の人と、重症の人。入院できる人と、できない人。そして、最前線でコロナ相手に戦う人と、そうでない医療機関・行政の人。そんななかで、信濃山病院の医療現場で指揮を執る三笠医師の、物事を達観したような度量の広い、包み込む優しさが、胸に沁(し)みます。
「負の感情のクラスターは何も生み出さない」
「負の感情のクラスターからしっかりと距離を取り、静かに黙々と……」
追い込まれて余裕を失うと、ネガティブな感情が沸き起こり、爆発させてしまいがちです。でも、苦しい立場にいる人に思いを馳せ、負の感情に巻き込まれないようにすることが、きわめて大切だと僕は思います。たとえば、失言をした人を批判するにしても、一過性のヒステリックな世論に乗っかる方法を、僕は選びたくありません。騒ぎ立てたところで状況が改善するわけでもありませんから。
「コロナは肺だけでなく、心も壊す」
「コロナは、肺を壊すだけではなくて、心も壊すのでしょう」
作中で、ある医師のつぶやいた言葉が胸に突き刺さります。コロナと聞いただけで、誰もが心の落ち着きをなくし、軽薄な言動で人を傷つけるようになってしまう。緊急事態宣言の発出中に、街を出歩く人に対して怒ったって、その人の事情など、誰にもわからないじゃないですか。心がネガティブな時は、どうしても否定的に判断してしまう。僕たちの最大の敵は、もはやウイルスではなく、他人への想像力の欠如や無視、無理解なのかも知れません。
敷島医師は、最後まで淡々と、日常の地平に両脚をつけて、歩んでいく。彼の姿に胸を打たれます。彼ら医療従事者の方々が奮闘しているからこそ、僕たちが暮らしている。今一度、強く感じ、感謝の気持ちを抱いた1冊です。コロナを知る意味でも、コロナを克服した後に「記録」として振り返る意味でも、読んでほしいと思います。
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夏川さんの代表作『神様のカルテ』もぜひ、手に取ってみてください。悩みながらも一歩一歩進む、若き医者の奮闘記です。
(構成・加賀直樹)