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策略に嵌まる 澤田瞳子

 我が家の台所の隅に、根菜類を入れる籠がある。先日その中から急に、白い茎がひょろりと伸びてきた。不審に思ってジャガイモや玉ねぎをかき分ければ、それは正月に大量に買い、最後の一つをうっかり忘れていた食用ユリ根の入った袋から伸びている。あまりに長く放置していたせいで、発芽したのだ。

 茶碗(ちゃわん)蒸しに数片入っているユリ根。あれがユリの球根だとは、頭では知っている。だが日の差さぬ中で伸びた茎は目に痛いほど白く、およそ植物とは思い難い。とはいえせっかく芽吹いたのだ。すでに梅雨入りしたけど遅いかな、と案じつつ鉢に植え、日の当たる場所に移すと、ほんの数日で茎が緑色に変じ、箒(ほうき)に似た葉まで出てきた。挙句(あげく)、二週間ほどで蕾(つぼみ)をつけ、今ではすでに先端が黄色に染まっている。野菜籠での逼塞(ひっそく)期間を取り戻すかのような、凄(すさ)まじい成長速度だ。

 私は以前も、似た失敗を犯している。ある秋、拾った銀杏(ぎんなん)の外皮がまだ堅いため、庭に埋めて皮が腐った頃に掘り出し、実を美味(おい)しくいただこうと画策した。だが間抜けな私はおやつの隠し場所を忘れた犬の如(ごと)く、ほんの数日でそれを失念し、半年後、銀杏を埋めた場所からは可愛らしいイチョウの芽が出てきたのだ。

 そのイチョウもまた、現在は植木鉢に移され、順調に成長を続けている。ただイチョウは樹齢が長く、数百年の古木も珍しくないだけに、平均寿命90歳に満たぬ人間の身でそれを芽吹かせてしまった事実には、責任の重さを感じている。いずれは庭の一角を開け、どんなに大きくなっても大丈夫なよう計らうつもりだ。

 それにしても植物は鳥や獣に果実を食わせ、種を遠方に運ばせるという。ならばユリやイチョウを次々芽吹かせている私は、まんまと植物の策略に嵌(は)まっているのではあるまいか。とはいえ日々膨らむユリの蕾は愛らしく、いずれ咲く花の華やかさを考えると、「まあ、ひっかかるのも悪くはない」とついつい彼らに甘くなってしまうのである。=朝日新聞2021年6月23日掲載