「8050」とは、ひきこもったまま50代になったわが子を80代の老親が面倒を見ているような家庭を指し、ひきこもりの著しい高齢化が進む現状を象徴する言葉でもある。
都内で開業する50代の歯科医は、美しい妻と優秀な娘にめぐまれ、傍目(はため)には幸せな家庭を築いていたが、彼には大きな悩みがあった。20歳の一人息子、翔太が、もう7年間もひきこもっているのだ。翔太は医師を目指すべく有名中学校に合格したが、中学でいじめにあって不登校となり、そのまま部屋から出られなくなったのだ。
ひきこもり家庭の空気感が圧倒的なリアリティーを持って描かれる。自立支援ビジネス業者のネーミング「KIGARU塾」なども、いかにもありそうで笑ってしまった。家族から見たひきこもり本人の異質性も容赦なく描かれるが、本人の葛藤や苦悩も共感的に描かれており、ありがちな偏見とは一線を画す。ただ1点だけ不満を言えば、確かにひきこもりの家庭内暴力は珍しくないが、来客の前で暴れることはほとんどない。ストーリーを左右する場面ではないが、念のために記しておく。
同じ著者による『下流の宴』では、フリーターの息子への母親の執着ぶりが印象的だったが、本書では父親の頑(かたく)なさが読者を苛立(いらだ)たせるだろう。まともな大人の常識や正論によって、ひきこもり当事者が追いつめられていく過程が活写されている。ついには家族もばらばらになりかけ、悲劇の予感が漂い始める。
ひきこもりをテーマにした小説は、落としどころが実に難しい。就職して結婚できて良かったね、ではありきたりな適応主義を強化するだけだ。とはいえ、できれば読者に希望を残す終わりにしたい。その意味で本作の「落としどころ」は実に見事で、作家の想像力に感嘆を禁じえなかった。作者は弁護士に多くの助言を得たと言うが、その意味で当事者や家族、あるいは支援者も、読んで得るところの大きい小説であろう。=朝日新聞2021年7月10日掲載
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新潮社・1980円=9刷11万7千部。4月刊。読者層の中心は30~50代女性。「他人事とは思えない」との反響が多いという。