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一穂ミチさんの読んできた本たち 怖がりなのに、怖いもの好き

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漫画もアニメも好きだった

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 たぶん、最初は世界名作童話などの系統でした。はっきり憶えているのは、小学1年生の時に習った『おおきなかぶ』ですね。「教科書にこんな話が載っているんだ」と思った記憶があります。

 国語の教科書はもらった日にぶわーっと読んでいました。でも、全部を授業で取り上げるわけじゃないんですよね。先に面白く読んでいたのに授業ではやってくれなかったりして残念だったりしました。

――読むことは好きな子どもでしたか。

 そうですね。あまり自分で「好き」と思ってはいなかったんですけれど、母親が結構本を読むタイプだったので、図書館に連れていってもらったりして。生活の中に読むことが自然にありました。

 ただ、本というか、漫画ばかり読んでいる子どもでした。小学校に上がった頃は、ひとつ上の兄が買ってもらった「コロコロコミック」を読ませてもらっていて、やっぱり『ドラえもん』が好きでしたね。当時、ゴールデンタイムで『ドラえもん』や『忍者ハットリくん』など藤子アニメがいろいろ放送されていて、それもすごく好きで。

 小学2年生くらいから、家に「週刊少年ジャンプ」がやってくるようになって私も読んでいました。『北斗の拳』が好きでしたね。そのうちに『ジョジョの奇妙な冒険』の連載が始まったんですが、「ジャンプ」あるあるで、私が「面白い」と思った漫画が打ち切られたりしていたんです。「あれ、尻切れトンボで終わっちゃったな」「私は面白いと思ったけれど、みんながそう思っていないと途中で続けられなくなるんだ」と衝撃を受けていました。そういう意味で「ジョジョ」が始まった時、古い劇画タッチだったので「すぐ終わちゃったらどうしよう」って心配していました(笑)。

――連載が終わってしまったものでは、どういう話が好きだったのですか。

 当時好きだったのは、巻来功士さんの『メタルK』という漫画ですね。婚約者に騙されて殺されかけた女性が、サイボーグに生まれ変わって復讐する話です。だから、怖い話でしたね。それがわりとすぐに連載が終わってしまったのが残念でした。

――他に「マガジン」や「サンデー」などは読みましたか?

 雑誌を買っていたわけではないですが、高橋留美子先生は好きでした。テレビで「うる星やつら」や「めぞん一刻」がやっていたので、それで知って。オタクなのでアニメはなんでも放送されていれば見ていたんです。

――少女漫画系の雑誌は読みましたか。

 あ、「りぼん」と「花とゆめ」とかは読んでいました。キラキラした絵ももちろん好きで、ああいうものに憧れましたね。当時「りぼん」で『星の瞳のシルエット』という連載があって、そのキャッチコピーが「250万乙女のバイブル」だったのを憶えています。ちょうど「りぼん」が公称250万部だったんですよね。漫画の内容は、いってみれば友達と同じ男の子を好きになるというシンプルな話でした。

――ほかに、ゲームなど夢中になったものはありましたか。

 当時はファミコンがブームで、兄が買ってもらったんです。「スーパーマリオブラザーズ」が国民的ブームの頃で、私も夢中になりました。親に「1時間言うたやろ」と叱られ、何度もACアダプターを捨てられそうになって「やめて」と泣き叫ぶという、あの頃どこの家庭でもあった修羅場が我が家でも繰り広げられていました(笑)。

怖がりなのに怖いもの好き

――小学生時代、教科書に載っていたもの以外で、印象深かった本はありますか。

 江戸川乱歩の「怪人二十面相」のシリーズですね。図書館で借りていました。怪人二十面相が小林少年を誘拐して落とし穴みたいなところに閉じ込めるエピソードで、朝ご飯を下ろすシーンがあって。未成年をさらって朝ご飯を食べさせて、「僕は君のことが可愛いんだよ」みたいなことを言っていて、子ども心に「この人、なにがしたいんだろう」と思いましたね(笑)。

 その流れでモーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」のシリーズを読んだりして。ドキドキワクワクするものが好きだったんですが、なぜかホームズよりもルパンのほうに行きました。ホームズは登場人物がみんな犬になっているアニメの「名探偵ホームズ」が好きでした。名作です。

――読む本は、図書館で借りることが多かったのですか。

 そうですね。それと、スーパーで、たまに古本のワゴンセールが出る時があって。漫画も小説もありました。その時に母親が、「なにか買ってあげる」と言って、『スケバン刑事』を買ってくれたんですよ。これが面白くて。ラストは悲しい終わり方でほろ苦くて、「ああ、こういうこともあるんだな」って。勝手に大人になった気持ちになりました。

 そうそう、ホラー漫画も好きでした。つのだじろう先生の『恐怖新聞』とかもめっちゃ読んでいました。『うしろの百太郎』とか。当時「ハロウィン」というホラー漫画の雑誌があったんです。それを昼間読んで塾に行って、終わる頃には暗くなっているので怖くて一人で帰れなくなって、母親に電話して「迎えに来て」と言って怒られたことがあります(笑)。

――怖がりなのに怖いものが好き感覚、ありますよね(笑)。一穂さんは関西育ちだそうですが、お笑い文化の影響ってありますか。

 当時は土曜日は「半ドン」といって午前中に授業が終わったので、帰ってテレビの吉本新喜劇を見ながらお昼ご飯を食べるのは、当時の大阪の小中学生の「あるある」ですよね。

 自分ではお笑いに影響を受けていると思わないですけれど、東京の友人と話していて「ああ」と思うことはあります。私が誰かのことを「あの人、少しも面白いことを言わないね」みたいに言ったら、「そんなの言う必要ない。なんで人物評価に面白いことを言うか言わないかが入っているんだ」と言われて「あれっ」と思いました(笑)。

――外で遊ぶのと、家で本を読んだりするのと、どちらが好きだった子どもでしたか。今振り返ると、どんな子どもだったのかな、と。

 断然インドアでした。教室ではもう、目立たなかったですね。教室の隅っこで延々とノートに漫画を描いているただの陰キャでした。

――漫画家になりたかったですか。

 当時は漫画家になりたいと思っていました。

――自分で物語を空想するのは好きでしたか。

 よく好きな漫画のその後とかを空想していました。当時から二次創作が好きだったんだなという(笑)。

――ふふふ。作文など文章を書くことは好きでしたか。

 そうですね。好きというより、楽だと感じていました。別に得意ではないんですけれど、苦ではないという。作文って、「3枚以上書きなさい」とか言われると「えー」って、嫌がる反応をする子が多いじゃないですか。私は別に「何を書いたらいいか分からない」ということはなかったんです。でも、特別うまくもなく得意でもなかったとは思います。なので趣味で文章を書くということもなかったです。

ファンタジー、SF、ミステリ

――中学校時代はどのような本を読みましたか。

 新井素子先生のSFシリーズなどを読みましたね。それと、栗本薫先生の『グイン・サーガ』シリーズにドはまりして。当時ですでに何十巻と出ていたと思うんですけれど、もう、図書館で一気読みしました。確か一度に8冊まで借りられたので、1巻から8巻まで借りて読み、次は9巻から借りて。続きが待ちきれなくて、すごく楽しかったですね。

――1冊1冊がわりと薄いからすぐ読めますしね。

 そうなんです。しかも、毎回いいところで終わるんですよ。他には田中芳樹先生の『アルスラーン戦記』と『創竜伝』を読んでいましたね。

――新井素子さんは『星へ行く船』とかですか。

 そうですね、『星へ行く船』。『グリーン・レクイエム』とかも好きでした。

――当時の新井さんといえばコバルト文庫ですが、他にコバルト文庫でハマったものはありませんでしたか。

 藤本ひとみ先生の『まんが家マリナ』とか。あ、でもそれを読んだのは小学校5、6年生の頃だったかな。

――やはり本は図書館で探していましたか。

 そうですね。図書館で「ヤングアダルト」の棚を見たりして、興味が惹かれるものを適当に手に取って、という感じでした。アガサ・クリスティーなんかもよく読んでいました。『鏡は横にひび割れて』という作品がすごく好きでした。当時の私には、写真のトリックが新鮮で面白く感じたんだと思います。タイトルも印象的でしたし。

 そこから海外ミステリにハマるということはなかったんですが、中学生くらいの時に母親がパトリシア・コーンウェルの「検屍官」シリーズを買って「すごく面白い」と言うので私も読んだら、やっぱり面白かったですね。それで結構読んでいました。あれでモルグという言葉をおぼえました(笑)。

――検屍官のケイ・スカーペッタという女性が活躍するシリーズですね。日本でも大ベストセラーになった。

 そうです。スカーペッタが自分勝手だったり意地っ張りだったり、絶妙に性格が悪いところが人間臭くていいなと思っていました。それまで読んできた漫画は基本的に主人公をいい人に描きがちだったので、小説だとそうでもないのかなって。その違いはなにか、面白いなと感じていました。

 それくらいの頃に、母が高村薫先生の『マークスの山』を買ってきたんです。「これはすごく面白い」というので読んで、当時の私には難しい部分もあったんですけれど、すごく好きになりました。その時はハードカバーで読んだんですけれど、のちに文庫版で買い直したら高村先生がすごく手を入れられていて。私の一番好きだったシーンがカットされていて......

――高村さんは文庫化の際にかなり改稿されますよね。どの部分が削られていたんですか。

 殺人者であるマークスと、年上の看護師との淡い出会いがあるんですよね。真知子って名前まで憶えているんですけれど。マークスが殺人を犯す一方、本人もその理由を認識できないまま、ぼんやりと、真知子は大事、真知子に何かしてあげたいという感情をおぼえるところがすごく切ないんですよね。そこで唯一、人間らしさを育てていく。でも、彼の起こした事件の絡みで真知子は怪我をして、病院に運ばれるんです。その真知子が、マークスを思いながら、「ひどい運命ね」ってつぶやくんです。「大丈夫よ」とか「好きよ」とかじゃなくて、「ひどい運命ね」。当時10代の私には分かりえない、すごく重い言葉だという気がして、それが忘れられませんでした。高村先生って硬い描写が多いからこそ、そういうふっと柔らかいところに持っていかれて、忘れられなくなるんですよね。高村先生の作品はそこから読み始めました。『リヴィエラを撃て』とか『黄金を抱いて翔べ』とか。それが中学3年生から高校にかけてくらいかな。

――中学、高校と何か部活はされていましたか。

 中学は演劇部で、高校は帰宅部です。特にやりたいことはなかったんですが中学校は部活が強制で、運動部はしんどいから嫌だなと思っていた時に、わりとよく話していた友達が演劇部に入ったので。みんなと一緒にお芝居するのは楽しかったですね。

――でも、高校は帰宅部を選んだわけですね。

 漫画を読みたかったので。それに、当時はだいたい夕方にアニメを放送していたので、それまでに帰宅したかったんです。相変わらず、放送していればどんなアニメも見ていたんですよね。「少年ジャンプ」が全盛期で、『幽☆遊☆白書』や『SLAM DUNK』がばんばん売れてアニメ化もされていたので、それを楽しみに生きていました。「ファンロード」という、イラスト投稿とかが載っているアニメ雑誌を熟読したりするのに忙しかったです。

――ご自身も投稿されていたんですか。

 雑誌には投稿はしていませんでした。でもそういうオタク雑誌を介したサークルがいろいろあるんですよね。たとえば『幽☆遊☆白書』が好きな人みんなで会報を出しませんか、とかいって。同人誌の走りですね。まとめ役の人がいて、その人のところにイラストを送るとそれがコピーされて会報に掲載されて送ってもらえるみたいな制度が結構あったので、それ用にイラスト描いていたりはしました。まあ、当時の典型的なオタクです。

 あ、さきほどのコバルト文庫でいえば、桑原水菜さんの『炎の蜃気楼(ミラージュ)』がめちゃめちゃ好きでしたよ。コバルトなんですけれど男性同士の前世からの恋愛みたいなものが描かれていて。転生とか歴史とか、オタク心をくすぐるものがだいったい揃っている素敵なシリーズだったんで(笑)。それで、「『炎の蜃気楼』が好きな人、イラスト交換をしませんか」みたいな感じで文通したりとか。そういうのはやっていました。

――二次創作的なものを読みはじめたのもこの頃ですか。

 そうです、そうです。イベントに行って同人誌を買ったりもしていました。

――そこで文章で創作したりとかは。

 いや、下手なイラストを描くくらいで、小説を書いたりっていうのは特にしていないです。まだ全然、小説を書こうとは考えていないですね。

教科書掲載のあの作品

――高校時代に読んで好きだった小説はありますか。

 高3の時の国語の教科書に載っていた夏目漱石の随筆、『硝子戸の中』がすごく好きでした。漱石のところに読者の女の人がいきなり訪ねてくるんです。今だったらだいぶ戦慄する状況なんですけれど、その女の人が身の上話を語る。漱石によるとそれは聞くのも辛い大変な内容で、「先生の小説なら、この先どのようにしますか」「女は死ぬのか、それとも生きていくのか」みたいなことを訊かれるんです。漱石はとっさには何も言えないんですが、彼女を送る際に「死なずに生きてらっしゃい」と言う。いかに世の中が情けのないものに感じようとも「生きているのが苦痛なら死んだらいい」みたいなことは絶対に言えない、って。その話が載っていた教科書は今でも家のどこかにあるんですが、伊藤整が「漱石は偏屈で癇癪持ちで欠点も多い人だったけれども、人の心の一番柔らかいところにそっと触れるようなことを書く人だった」みたいなことを書いていて。当時は伊藤整の文章もあわせて『硝子戸の中』がすごく好きでした。そこから漱石は何作か読みましたね。定番の『こころ』とか。でも私は『行人』が好きだったかな。『夢十夜』も教科書に載っていて、あのオチのない不思議さが結構好きでした。

 教科書でいうと高校の時だったか、石牟礼道子さんの『苦海浄土』の一部分が抜粋されていて。夫婦で漁をしていた女性の話で、水俣病で身体の自由がきかなくなって、病院の中を看護師さんが折ってくれた紙の舟を曳いて歩くんです。死んでもまた人間に生まれかわって、またじいちゃんと舟で海にいきたい、みたいなことを言っていて、それは何度読んでも泣いてしまいますね。

――教科書きっかけ以外には、どのような読書を。

 高校時代に京極夏彦先生の『姑獲鳥の夏』を読んで衝撃を受けました。今まで読んだことのない小説だって感じがしましたね。めちゃめちゃ面白くて、すごいなって。

 鈴木光司さんの『リング』を読んだのも高校生だったかな。結構ホラーが好きで実話怪談系もよく読みましたが、オチで「後から聞きましたがその家では女の人が亡くなっていたそうです」みたいなことを言われると醒めてしまうんです。でも『リング』はめちゃめちゃ怖くて、「こんなに怖いものがこの世にはあるのか」と思うくらいに好きでした。

 図書館で、実話を集めた『新耳袋』を手に取った時も、「自分が読みたかったのはこれだ」と思って。オチもなくて怖いと言っていいのかどうか分からない話もあれば、ぞっとするような話もあって。新作が出るたびに楽しみに買うんですけれど、全10巻を家に置いていると怖くなりますね(笑)。1日で100話読まないほうがいいからちょっと残しておこう、って思ったりして。

――ふふふ、百物語になってしまうから。

 いろいろ想像しちゃうんですよね。それこそシャンプーして目を閉じて流す時も怖くなるし、夜寝る時に目を閉じると「いま何かいるんじゃないか」って思ってしまったり。「こういうこと考えていると寄ってくるっていうから楽しいこと考えよう」と思いながらもう、スパイラルなわけですよね。それで電気をつけっぱなしにして寝たりして。

――京極さんの『姑獲鳥の夏』はちょうど刊行された頃だったのでしょうか。

 私が高校の時に「ダ・ヴィンチ」が創刊されて、そこで紹介されたいたんだと思います。ネットもない時代なので、「ダ・ヴィンチ」さんにはお世話になりました。図書館に行くか「ダ・ヴィンチ」を読むかで、新刊情報を確認していました。

 小野不由美先生の『屍鬼』を読んだのもその頃ですね。めちゃめちゃ怖かった。上下巻だったんですけれど、「もう、下巻が待ちきれない」ってもどかしかったです。

ノンフィクション、新本格、純文学

――高校卒業後は。

 大学に進学しました。社会学部です。文系だったんですが、心理学にちょっと興味があったので、それがカリキュラムにある学部ということで決めました。その時たぶん、『羊たちの沈黙』にハマっていたんですよね(笑)。

――映画化作品が公開になった頃でしょうか。

 そうですね。映画を観て「おもしれえ!」と思って。当時、プロファイリングとかも流行っていたんですよね。ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』なども評判になっていて。ああいうノンフィクションのは結構読みましたね。フィクションですが『五番目のサリー』とかもすごく好きでした。

――小説はどのようなものを。

 学校に行く時も、空き時間があるなら一応本を持っていくか、という感じで読んでいました。大学時代は新本格と呼ばれるものにお世話になりました。綾辻行人先生、有栖川有栖先生、法月綸太郎先生、笠井潔先生、清涼院流水先生、それと森博嗣先生もすごく読みました。講談社ノベルスにはお世話になりました。

 その流れで古典的な名作も読むようになって、坂口安吾の『不連続殺人事件』がめちゃめちゃ面白くて。やっぱり読み継がれるものはすばらしいんだなっていう。中井英夫の『虚無への供物』も面白かったですし。

 それと、小池真理子さんの『恋』がすごく面白かったのを憶えています。最後の一文がすごかったんです。あのラストで痺れる感覚がものすごくありました。

 ミステリ以外では、大学時代に川上弘美先生を読むようになりました。『いとしい』から読んだのかな。「ああ、好きだー」と思って。川上先生の描く恋愛って、独特の感じがあるじゃないですか。冷めているような熱っぽいような、あのたんたんとした感じがすごく好きです。川上先生はSFっぽいものも好きですね。『大きな鳥にさらわれないよう』とか。最近のいちばんは『水声』。ひそやかだけどすごく不穏なあの空気感って、やっぱり川上さんにしかないんですよね。

――一穂さんは以前、エンタメ作品のようなオチがなくても、文章で読ませる小説が好きだとおっしゃっていましたね。

 そうですね。文章がよくて、「分からないけれど好き」と思えるものが好きだったかもしれません。安部公房の『砂の女』とか。ちょっと怖い話が好きだったりしました。確か高校生の時に大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞されて、それではじめて大江さんの存在を知って、『燃えあがる緑の木』なんかも読んで。書いていることを理解できている気はしないのに、なにか面白いなと思っていました。大江先生って、ぬるっとした内臓感覚というか、独特の怖さがあるんですよね。安部公房を読んだ時と似た感覚があるなって勝手に思ったりしています。

――ご自身で二次創作を始めたのはいつですか。

 大学時代です。オタクがこぞってホームページを作り始めた時代で、私も作りました。友達の家のパソコンを借りるという、迷惑なやり方で(笑)。HTMLとかが分かる友達だったので、形を作ってもらって。

――どういうものを載せていたのですか。

 イラストとか小説とか。私は「ジャンプ」系だったので、毎週の「ジャンプ」の感想を書き散らして、掲示板でみんなで交流するという。当時の一般的なオタクの姿でした。

――あ、もうそこで小説を書きはじめていたのですか。

 結局絵が得意ではなかったので、思いついた話を漫画では描き切れなかったんです。単純に、時間がかかるということもありました。漫画だと、同じ制服の襟を何回描かなきゃいけないんだっていう。二次創作って鮮度が命みたいなところがあって、はやくこの妄想をアウトプットしたいという勢い任せなものなので、そういう面で私にとって文章のほうが適性があるのかなと思いました。

「分からないけれど好き」が好き

――大学を卒業した後は就職されたのですか。

 就職して働きながらオタクをしていました。その頃は何を読んでいたかな......。年代は定かではないんですが、栗田有起さんの『お縫子テルミー』がすごく好きでしたね。

 大学時代から変わらず今も有栖川先生はずっと追いかけているし、高村先生も読んでいますが、大人になってからは一人の作家さんの作品を全部読むというより、あれもこれもつまみ食いしていますね。

――読書記録はつけていますか。

 いや、全然つけていないですね。続かないんです。でも、一応、普段書いている日記に読んだ本のタイトルだけでも入れるようにはしています。読み返すことはないので、把握していないんですけれども。

――日記はずっとつけているんですか。

 ここ15年くらいですかね。2、3日分をまとめて書くこともありますが、毎日つけています。もう習慣になっているので書かないと気持ち悪いんです。たいしたことは書いていないですよ。今日は何を食べたとか、どこに行った、くらいで。あとは、週刊占いみたいなものをコピペして貼っておいて、翌週に見返して「この週は当たっていたのか」って確認します。

――結構当たってます?

 自分からこじつけにいっちゃうんですよね。「これってこういうことだよね」って。自分から当たりにいってます(笑)

――ずっと読んできている作家の作品以外、本はどのように選んでいましたか。

 本屋でジャケ買いすることが多いですね。帯のあらすじ紹介とか。オタクなので、好きな紙を使っていたら買っちゃうっていうのはありますね。特殊紙を使っていたり、装幀に凝っていたりすると買いたくなります。

――装幀がすごく好きなのって、どんな本ですか。

 蜂飼耳さんの詩集『食うものは食われる夜』とか。菊地信義さんの装幀です。菊地さんのドキュメンタリーが公開された時、観に行ったらサイン会があったのでサインももらったんです。「蜂飼耳さんの詩集持ってます」って言ったら、「ああ、あれね。凝りすぎちゃって重版かからないんだよね」みたいなことを言っていて。お金がかかりすぎて刷れないということですよね。蜂飼さんはエッセイもとても好きです。朝吹真理子さんもそうですが、ああいう静謐な感じのエッセイが好きです。

 朝吹さんは小説も好きです。たとえば『きことわ』はなんともいえないふわふわした感じがある。プールの後にとろとろっと眠くなる時のような気持ちよさがあるんです。読んでいて眠たいという意味ではなく。ああいう、世界にたゆたう感じが好きですね。『TIMELESS』も素晴らしかったですし。

 佐々木中さんの小説も好きでした。『しあわせだったころしたように』とか、『晰子の君の諸問題』とか『夜を吸って夜より昏い』とか。佐々木さんの本って、私にはかなり難易度が高いんですけれど、「よく分からないな」と思って読んでいると、どこか刺さるところがあるんです。私にとっては「分からないけれどもなんか好き、楽しい」というカテゴリーですね。

――海外小説は読みますか。

 イーユン・リーの『千年の祈り』とかはすごく好きですね。文章が端正で美しい。新潮クレスト・ブックスはマットPPを使った装幀もすごくいいですね。他にはキャスリン・ハリソンの『キス』やベルンハルト・シュリンクの『朗読者』なども好きででした。

 海外でいうと、毎年、ノーベル賞文学賞の人もちょっと気になったら読んだりしていて。そのなかではドリス・レッシングが結構好きです。とても読みやすい方だと思います。

 その前年の2006年に受賞したオルハン・パムクの『わたしの名は赤』(※『わたしの名は「紅」(あか)』という邦題もある)は、語り手がどんどん変わっていくんですよ。イスラムのオスマン帝国の話で、近代化やキリスト教と衝突している状態で。イスラムの細密画は厳密にお手本が決まっていて、それをなぞるのが仕事みたいなことが書いてあって、ああ、オスマン帝国時代の芸術は自分の個性を出すものじゃないらしいんだなと思って。優れた絵師に対してアラーはご褒美に目を潰してくださる、みたいな描写があるんですよ。要するに、目を瞑っても描けるくらい熟練することが素晴らしいという。やっぱり、本を読んでいるとそういう、自分が考えたことのない概念に触れる喜びがありますね。ヤスミナ・カドラさんという方の『テロル』という小説もそうでした。イスラエルのテルアビブで妻が首謀者となって自爆テロをして、夫が「なぜだ」となって真相を探ろうとする話です。
 小説ではないんですけれど、スヴェトラーナ・アレクシエービィチの『チェルノブイリの祈り』とかはすごくしんどい内容だけれど、すごく好きです。

――ノンフィクションもよく読まれるのですか。

 そうですね。わりとノンフィクションやルポ系も好きです。忘れられないのは、村上春樹さんの『アンダーグラウンド』。それと、事件ものって読んでいて辛いんですけれど、奥野修司さんの『心にナイフをしのばせて』という本は、高校生の男の子が校内で刺殺されるという事件のその後を追ったノンフィクションです。被害者のご家族が突然お兄ちゃんが同級生に首を切られて殺されたと知らされるところから、家族がどういうふうに壊れていって、今はどういうふうにしているのかとか。加害者の少年がその後どうなったのかという話もあって。すごく辛い話なんですけれど、そういうノンフィクションやドキュメンタリーはよく読みます。

 あと、ノンフィクションではないんですけれど、桐野夏生さんの『グロテスク』がすごく好きなんですよね。東電OL殺人事件を下敷きにして、昼は地味なOLで夜は売春をしていた女性の目から見た事件のフィクションを描いているんですよね。あれは「光り輝く、夜のあたしを見てくれ」って台詞が強烈に心に残っています。

――ああ、本の帯にもその言葉がありましたよね。

 桐野さんは『柔らかな頬』もすごく好きなんです。あれは本当にきつい内容ですが、それでもぐいぐいと読ませてしまうからすごいなと思います。

――さきほどの『アンダーグラウンド』は1995年の地下鉄サリン事件の関係者に話を聞いたものですよね。それで連想してしまったのですが、同じ年に起こった阪神淡路大震災の時は大丈夫だったんですか。

 自分に関しては、被害らしい被害はなかったです。大阪市内に住んでいて、体感的にはありえないくらい揺れたんですが、電気もすぐに通ったので「今日は学校に行かなくていいみたいだな」くらいの感じで。自転車で梅田を走り回ってみたら、地面がちょっとひび割れていたりしているんだけれど、バス乗り場にスキー板を持った人が並んでいて「ああ、スキーに行くのか」と思ったりして。まだネットがなかったので、その時点で神戸の状況を知らなかったんですよ。お昼になってニュースを見たら、神戸のほうからもくもくと黒煙が上がっていて、夜になっても全然消えずに、真っ暗な街の中に火の手が上がり続けている。それを見てようやく「とんでもないことになったんじゃないか」と思ったのを憶えています。

 そういう意味では、ネットを通じてすべてがあからさまだった3・11のほうがインパクトは大きかったです。そういう災害の光景を直に見るようになったのって、スマトラ島沖地震くらいからのような気がします。報道の仕事ではない人が撮ったものが、当たり前のようにどんどんネットにあがってくる。その頃から、災害ってどんどん生々しくなっていった気がします。

同人誌からプロデビューへ

――同人誌を作るようになったのはいつ頃からですか。

 大学を卒業してから始めました。

――ペンネームはその頃から変わらないんですか。

 いや、その頃は違っていたんですよ。その後BLでデビューする時に「一穂ミチ」という名前をつけて、二次創作の界隈では別になにも言わなかったんですけれど、偶然手にとった人が気づいてお手紙をいただくことがありましたね。今でもたまに「あれを書いていた方ですよね。あの頃から読んでいます」というお手紙をいただきます。

――ペンネームが違うのに、なんで分かるんでしょう。

 なんか、文章で分かるらしいんです。だから、当時からあまり進歩がないってことですね。

――いやいや、当時から上手かったということですよ。そうして同人誌で活動しているうちに、それを読んだ編集者から声がかかったのですか。

 そうですね。「オリジナルBLを書いてみませんか」みたいな感じで。「まずは雑誌掲載を目指して作っていきましょう」って。

 オリジナルって言われてもピンとこなかったです。二次創作とオリジナルって似ているようで全然土壌が違うので、私も二次創作をやっている時はBLは全然読まなかったんですよ。既存のストーリーやキャラクターがあるもので妄想するのが好きだったんです。空白を勝手に埋めるという行為が楽しいんですね。「ここで一晩空いているけれど、一緒に過ごしたりしていないのかな」とか、そういう邪推の賜物なんです。

――じゃあ、最初にオリジナルを書き上げるまでに時間がかかりましたか。

 実際雑誌に載るまでに1年近くかかったのかな。プロットを出して、直していただいて......。で、当時からあまり締切を守らなかったので(笑)。特に、「書きあがったら載せる」とか「空きがありそうな号に載せる」と言われると、全然書かないんです。

――ふふふ。でもそこから大活躍されているわけですよね。オリジナルを書いてみたら面白かった、ということでしょうか。

 そうですね。予定を入れていただいたからには書かねば、ということもありますね。「来年、こことここで載せましょう」と言われると「あ、分かりました」と安請け合いをしてしまって、「ああ、頑張って考えなきゃ」って。

――お勤めをしながらだと、大変ではないですか。

 しろ、勤めがあることで救われている部分のほうが大きいと思います。会社にいる時は小説を書かなくても居場所がある安心がある。私はメンタルが弱いので、それが必要なんです。やっぱり小説だけをやっていると、「これ書けなくなったらどうすればいいんだろう」という恐怖から逃れられないので。

 でも小説を書いていると、これでお金がいただけるなんてとてもありがたいなって思うし、仕事で嫌いな人と関わらなくていい、というのもあって。相補性が私の中でありますね。精神面と生活面の両方で、やっぱり今は会社勤めを必要としている気がします。

――オリジナルのBLを書くようになってから、他のBL作品を読むようになったりはしませんでしたか。

 漫画作品は読むようになりましたが、小説は「同業」という意識が出てしまってなかなか物語に入りにくくて。あまり読んでいないんです。

――BLって、いろいろセオリーがあると聞きますが、編集者からアドバイスはありましたか。

 よっぽどのことがない限り「死にネタ」はやめようね、という話はしました。そのあらすじだけで読者さんが引いてしまう。ずっと思い合っていた人と別れて他の人とくっつくエンドもなかなか難しいですね。思い入れを育てた相手と破局して現実的な伴侶を選ぶって、まあ現実にはあることなんですけれど、BLでそれをすると悲しまれる読者さんが多いと思います。三角関係はあっていいんです。言葉は悪いんですけれど、当て馬の人は最初から分かりやすく当て馬として出てくるんです。当て馬は別の物語で別の恋をするみたいなシステムになっていますね、今。

――なるほど。そうしてBLを書いているうちに、他のレーベルからも「書きませんか」と声がかかるようになったのですか。

 そうですね。まあちょこちょことお話をいただいて、でも何を書けばいいのか分からなくて、なかなか......。

――今大評判となっている短篇集『スモールワールズ』も、担当編集者のKさんから最初に声をかけられたのは結構前だったとうかがいました。

 最初はシリーズ化前提のお話だったんです。それで何を書けばいいのかなと思ってしまって。数年間そのままになっていたんですけれど、私が有栖川有栖先生のサイン会に行ったら、その本のご担当がKさんだったんです。行くと会ってしまうかなと思ったんですが、どうしても行きたかったので......。有栖川先生が『カナダ金貨の謎』を出された時だったかな。

――もう本当に、有栖川さんのおかげです(笑)。その時にKさんから「短篇はいかがでしょう」と言われたんですよね。

 それで、短いものなら書けるかな、と思いました。短篇同士が緩くリンクしていく形にしてまとめましょうというお話をして。

――『スモールワールズ』は各短篇、"家族という小さな世界"というテーマは共通しつつ、主人公の世代やシチュエーション、さらには文体までがらりと変えていますよね。

 いろんなスタイルを試させていただこうと思い、今回は形式から入りました。

――どれも途中で景色が反転する瞬間があったり、意外な方向に話が進んでいった先にぐっとくるものがあって、本当に素晴らしかったです。さきほど好きだとおっしゃっていた、オチのない、ただ文章だけで読ませる小説を書いてみたいとは思われますか。

 いやあ、自分が書く時はどうしても「ここに理屈をつけねば」と考えてしまうので、なかなか...。不思議な話を書いて編集さんに「これ、どういうことですか」と訊かれた時に説明できないとよくない、と思ったりしてしまうので。作品の中で説明されていなくても、自分の中でそういうのって必要じゃないかと思ってしまうんですよね。

――『スモールワールズ』に収録された「ピクニック」は今年、日本推理作家協会賞の短編部門にノミネートされましたよね。ミステリを書きたい気持ちは?

 たぶん、最初に「ミステリを書いてください」と言われたら「無理無理無理」って言っちゃいます。「ピクニック」は自分としてはミステリを書いたという認識ではなくて、ノミネートにすごくびっくりしたくらいでした。やっぱり私の中でミステリを書く人というと、時系列に沿って組み立てて、部屋割りなどもちゃんとできて、消去法で「犯人はあなたしかいない」っていえる論理の組み立てがちゃんとできる人というイメージなんですよ。私には無理ですよね。

新作について&好きな動画

――「別冊文藝春秋」の5月号からは新連載「光のとこにいてね」が始まりましたが、これは長篇ですよね。連載開始にあたってのエッセイが載っていて、これがすごくおかしくて。最初はノーアイデアノープランで、着想を得た後も執筆が遅れて、その間ずっと編集者に謝りつつ、いろんな動画を見ていたことが分かる内容で(笑)。

 本当に申し訳ないなと思いながら。でも、ちゃんと倍速で見ているんで(笑)。とはいえ2倍速で2本見ちゃうので結局同じでした(笑)。そして打ち合わせでは毎回、私が好きな芸人の話をして終わるという......。去年からおうち時間が増えて、動画に毒されています。

――魚を銛で突いて捌く動画とか、M-1グランプリとか、コンサート映像とか、いろいろ観ていますね(笑)。どんな内容が一番好きなのかなと思って。

 三大好きな動画は、猫と、ホラーゲームの実況と、お笑い芸人です。猫はただただ癒されます。ホラーゲームは、私はファミコン世代なので最近のゲームが難しくて全然できなくて、上手い人がサクサクやっている実況を見るほうがストレスがなくて楽しいんです。

――ゲームは自分ではやらないんですか。

 たまに試みます。でも、大学生の時に初代「バイオハザード」が出て、人がやっているのを見ていいなと思ってやってみたら全然できなくて。もうゾンビのビュッフェかっていうくらい齧られまくって、怖かったですね。人に「今ゾンビ来てるよ」と言うのは簡単なんですよね。「志村、後ろ」って言うのは簡単なんですけれど、自分が志村になった時にそんなことが本当にできるのかをもっと考えなければいけないなって反省したんです。それで、最近出た「バイオハザード ヴィレッジ」は発売直後からもう、毎日好きなYouTuberさんの実況配信を見ています。

――お笑いもお好きなんですね。好きな芸人さんはいますか?

 かまいたちとか。和牛が好きなんですけれど、YouTubeはやってないんです。あとは空気階段ですね。お笑いとかコントがお嫌いじゃなければ、空気階段が今年やった「anna」っていう単独ライブがめちゃめちゃ面白かったのでぜひ。5月にDVDが出ています。

 芸人さんの単独ライブって、だいたいネタの合間にフリートークがあって、あとは事前に録っておいたVTRを流したりするんですね。でも空気階段の「anna」はずーっとコントを何本もぶっ続けでやって、しかも、全体の構成がすごかったんです。人様の素晴らしい表現に触れると「ああ、それに比べて自分は全然だな」と思うことがほとんどなんですけれど、それを見た後は「自分も頑張りたいな」って思いました。こんな面白いものを作るんだって、いい刺激をいただきました。

――それは非常に気になります。それにしても一穂さん、『スモールワールズ』がこんなに話題になっているのに、あまり自信がなさそうな印象が......。

 なんでしょう、過分に褒めていただいて、なんかやばいな、って。公正取引委員会から何か言ってこないのかな、みたいな気がしてます(笑)。

――「光のとこにいてね」が本にまとまるのはまだ先ですよね。全然生活環境の違う幼い女の子2人が出会う話ですが、すごく不穏な感じがあって。この後、2人が成長して何があるのか、ドキドキしています。

 私もドキドキしています(笑)。

――あはは。他に長篇の書き下ろしを執筆中とKさんからおうかがいしました。そちらのほうが先に刊行される予定だとか。

 そうです。順調に滞っています(笑)。

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