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「こころ」の深層に触れる スザンナ・キャハラン「なりすまし」など、東えりかさん注目のノンフィクション3冊

  • なりすまし
  • 誰がために医師はいる
  • ネオ・ヒューマン

 情報の洪水の現在、私たちにとって何が正解で何が間違いなのか。目に見えない「こころ」の問題はなおさらだ。

 例えば1973年1月に『サイエンス』誌に掲載された米の心理学者デヴィッド・ローゼンハンの「狂気の場所で正気でいること」という現在でも版を重ね引用されている論文について。

 これは実験者に偽の幻聴を訴えさせて精神科施設に送り込み、統合失調症と診断させた実験で、正気な人とそうでない人とを区別する信頼に足る基準がないと結論付けている。

 これに疑問を持ったのが『なりすまし』の著者だ。彼女はかつて精神病と診断されたが実は自己免疫疾患だったことが判明し、治療で完全寛解した過去を持つ。興味を持つのは当然だ。

 だがローゼンハンを含め関与した人の多くは鬼籍に入り、数少ない体験者の証言と残されたデータを突き合わせると多くの矛盾が生じた。彼がこの実験を行ったのはなぜか。権威を求めたのか、利益のためか、謎を解き明かす展開は極上の推理小説のようである。

 精神科医は患者の治療だけでなく社会の病理に対しても立ち向かうのだと教えるのは『誰(た)がために医師はいる』だ。著者は嗜癖(しへき)問題(アディクション)、特に薬物関係の治療を行う専門家だ。

 「不本意な医局人事」で依存症専門病院に赴任。アルコールより薬物の依存症に心惹かれたのは、発症年齢が10代半ばと若い彼らの過酷な生育歴に直面したからだ。自身の生育や嗜癖の経験と重ね、患者の心情を慮(おもんぱか)る。

 なぜ覚醒剤をやめられないのかという疑問に著者は、覚醒剤常用者への恐怖は刷り込まれた情報であり、かなりの部分が誤解と偏見からであることを告発している。やめるのは簡単だ、難しいのはやめつづけること――。依存症は病気であることを肝に銘じ、様々な治療の体験を記す本書はひたすら恐怖を与える反覚醒剤キャンペーンとは一線を画す。「医師は誰のためにいるのか」を改めて考えさせられる一冊だ。

 人は脳と精神だけで存在できるのか。自らの身体を「サイボーグ」にすることで人の存在とは何かを問うた衝撃的な一冊が『ネオ・ヒューマン』だ。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたロボット学者が、動かなくなる身体を最先端のAIとテクノロジーで解決しようとする挑戦の記録である。

 著者は同性のカップルに婚姻関係と同等の権利を保障したシビル・パートナーシップを英国で初めて手に入れた。彼と伴侶が世間の常識と闘い、ルールを壊していく姿は痛快である。

 機械が人間性を補完し自由に生きるための模索は、魅力的な未来の可能性を垣間見せてくれる。

記者のひとこと

 「こころ」に決まった在り方などあるのか――。そう問いかけるのは『牧師、閉鎖病棟に入る。』(沼田和也、実業之日本社)です。牧師の著者は職場で問題を起こし、精神科の閉鎖病棟へ入院。そこで少年たちとの出会いを契機に、自らの精神と対峙(たいじ)します。聖書の教えが通じぬ相手を思い著者が紡ぐ言葉は、重く響きます。「この病院にいる人たちは皆、世のなかの『まともさ』を贖(あがな)っている」

 詩人の故山尾三省が琉球大で行った連続講演を記録した『アニミズムという希望』の新装版が今春、野草社から刊行されました。「一人一人の胸の内に(中略)世界を映している鏡としての湖があるはずなんです」。山尾はそう語りかけます。激動の今、自らの「湖」と静かに向き合うのも良いでしょう。(山本悠理)=朝日新聞2021年7月28日掲載