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翻訳を生きる:2 名著が「名演奏家」を得るとき 英語、フランス語・村井章子

絵・三溝美知子

 世の中には出版されたときから古典になるような本があるもので、『ビジョナリー・カンパニー』はその一つだと思う。この本が書かれてから四半世紀以上が経つ。世界中のビジネスマンを虜(とりこ)にし、日本でも1995年に出版されてから今年で57刷を数える。想像するに、毎年新しく社会に出る若い人たちが必読書として読んでいるのだろう。私も駆け出しの翻訳者だった頃に熟読した。最初は一読者として、やがて「この日本語表現の英語はどうなっているのだろう」と知りたくなって原書を手に入れ、それこそ舐(な)めるように読んだものだ。そうして気づいたのは、翻訳のうまさや的確さもさることながら、じつに正統的と言おうか、堅実な言葉や表現を選んでいることだった。けっして今出来の言葉や奇を衒(てら)った表現は使わない。だから古びない。長く残る翻訳のあり方を教えられた。ビジネスパーソンの教科書は、私にとっては翻訳の教科書になったのだった。

縦横無尽の引用

 『ビジョナリー・カンパニー』シリーズを翻訳した山岡洋一さんは『国富論』の翻訳も手がけるなど古典の新訳にも意欲的だったが、本当に残念なことに2011年に急逝された。アダム・スミスのもう一冊の主著『道徳感情論』を無謀にも私などが訳すことになったのは、このためである。『道徳感情論』は1759年に刊行され、1776年の『国富論』発表後も改訂が続けられて、死の直前の1790年に第6版が出ている。つまり『道徳感情論』はスミスの最初の著作にして最後の著作という大切な本なのである。おそるおそる取りかかったが、翻訳は意外にも楽しかった。表題のいかめしさとは裏腹に、共感の役割や徳のある生き方を平明に説いており、いくらか古めかしい文体も奥ゆかしい。縦横無尽の引用、比喩、隣人の具体例なども効果的で、「なるほど」と腑(ふ)に落ちる箇所がたくさんある。たとえば権力と富をひたすら追い求めることの虚(むな)しさを説くくだりでは、「権力と富は、壮大な構造物のようなものである。建てるのに一生かかるのに、いつ何時崩壊して中にいる人を押しつぶすかわからない」という一節が印象に残った。間口が広く奥行きのある本であり、道徳哲学の本だと身構えずに親しんでもらえたらと思う。

全体像や文脈を

 『道徳感情論』には古今東西の名著名言からの引用が多いが、引用はしゃれや皮肉と並んで翻訳者泣かせの一つだ。ありがたいことに書籍検索ができるようになって、該当箇所を探すのは容易になったけれど、やはり全体像や文脈を知りたいのでできるだけ手に入れて読むようにしている。『ディスコルシ』はそんな風に出会った本の一つだ。『君主論』と並ぶマキァヴェッリの代表作なのに『君主論』ほど知られていない。2冊が相矛盾するように見えるとして後世に議論になったことも含め、『道徳感情論』と『国富論』の関係に少し似ている。ローマ史論と副題がついているように、ローマの共和政を理想として統治の要諦(ようてい)を説く。人間の本性についての鋭い洞察から戦争の必勝法、人心掌握術にいたるまで、統治者の教科書のような本である。書かれたのは16世紀初めだが、弱い国家は常に優柔不断であって逡巡(しゅんじゅん)は破滅につながるとか、青年が高度の力量を具(そな)えているならすぐに登用しないと国家の損失である、といった助言はいまなお新しい。

 自戒を込めて書くのだが、翻訳は怖いもので、いくら名著でも翻訳で台無しになることがある。ちょうどどんな名曲も演奏がへたくそだと台無しになるように。『ビジョナリー・カンパニー』や『ディスコルシ』は、名曲が名演奏家を得た好例だとつくづく感じる。=朝日新聞2021年8月7日掲載