北米大陸の片隅で長く足止めをくったことがある。予定の帰国便は9月11日。その朝、資本主義の象徴・世界貿易センターに旅客機が突っ込んでいった。何が起きているのか、戦争でも始まるのか。テロリストたちをここまで追い詰めた米国や資本のパワーって何なんだ。不安の渦のなか、テレビを呆然(ぼうぜん)と見つめていた。
事件の1周年は攻撃を受けた街で迎えた。国際関係論を学べる大学院に大慌てで潜り込んだのだ。世界はどうなるのかという問いから離れられなくなっていた。大学院では国家の主権の絶対的な強さをたたき込まれ、国家間の力学を読む術を教えられた。だが、それとは逆の主張の一冊がずっとひっかかっていた。ネグリとハートの共著『〈帝国〉』だ。富を一方的に吸い上げる世界の秩序の中心はもはや国家などではない。領土さえも必要とせずに、ネットワークで世界隅々を覆う権力が台頭するのだ――。
あれから20年。この本のとおりGAFAのネットワークが世界中の富と人々のデータを吸い上げ、国家と肩を並べる権力となった。けれど、強い国家権力を求める人々の声も大きい。どちらの理論が正しいのか。
突き抜けた答えをくれた人がいる。対談集『未来への大分岐』(集英社新書)に参加してくれたハート氏本人だ。「一体、どういう未来を作りたいのかい? 理論家よりも現場で苦しむ人たちの作る運動の方がうんと先に進んでいるんだよ」
そうか、未来は人々の手で作るものなのか! 本を作る喜びの深さを分からせてくれた瞬間でもあった。=朝日新聞2021年8月18日掲載
◇はっとり・ゆか 集英社新書編集部編集長を経て学芸・学術書編集部編集長。