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わたしの専門性 津村記久子

 ときどきお手紙をいただく。とてもありがたい。この場を借りて申し上げますが、本当にありがたいです。ありがとうございます。どの方の視点も文章もとてもおもしろい。目を通して欲しい記事を送ってくださる方もいるし、ブローチや豆本といった個人的なクラフトをくださる方もいる。すごく上手だし、わたし自身細かい手仕事がけっこう好きで、雑貨を見て回るのも好きなので、なんだか仲間ができたみたいでとてもうれしい。

 感心して眺めながら、自分がこういうものを送っていただけることを本当にしているかなとも思う。一応小説を書いて発表しているからと頭では考えてみるものの、とにかく「これをやってください」と言われたことをひたすらこなしているだけなので、なんだか降って湧いた僥倖(ぎょうこう)のように思える。イベントで自分の本に自分の名前を書く時に(〈サイン〉と言うのにいまだ抵抗がある)話しかけていただいたり、お手紙や贈り物をいただいたりする時もそう思う。

 なんでこの人たちはこんなにおもしろいことを考えているのに、少なくともわたしのわかるところでは小説を書いていないのか、と不思議に思うこともある。それでなんでわたしは小説を書いているのか。たまたまだと思う。母親が、本を与えていたらこの厄介な子供は静かなので、という理由でよく本を与えていたら自分でも書き始めていた、というだけのことだ。そしてわたしの母親は一切本を読まない人だ。

 ほとんど確信に近い感覚で思っていることなのだけれども、世の中の人全員が小説を書き始めたら、間違いなく、人生経験もなければ専門性もないわたしは下から数えたほうが早い書き手になる。みんな忙しいしすごくおもしろい作業というわけでもないから小説を書かないだけだ。

 なのでずっと心許(こころもと)ない。そのことにだけは自信がある。もしかしたら、心許ないことが自分の専門性なのかもしれない。=朝日新聞2021年9月1日掲載