『動きすぎてはいけない』などの思想書で知られる哲学者で、作家の千葉雅也さんが新作の小説『オーバーヒート』(新潮社)を出した。収録の中短編2作はいずれも、中年期にさしかかったゲイの男性が主人公。同性愛者の視点という「レンズ」を通して、読み手にもう一つの現実を体験させる物語だ。
表題作は、大阪に住むゲイである大学教員が主人公。学生に教え、喫茶店で原稿を書き、会社勤めの年下の恋人と体を重ねる。そんな日々の営みの断片が、哲学的な思索とともに記される。
千葉さん自身、同性愛の当事者として発言し、立命館大学大学院教授の立場で現代思想を教えている。主人公と重なる要素は多いが、「構築された物語であり、自分と部分的に関わりのある寓話(ぐうわ)」として書いたという。
ある日、恋人が女性と浴衣姿で街を歩くのに出くわしてしまった主人公。問い詰めて、涙ながらにお互いの気持ちを確かめ合った後で、ふと自問する。
〈僕たちはいつまで一緒にいられるのだろう/男同士には結婚というオチがない/どうなるかわからない薄氷の上にいる〉
有限を自覚する生
主人公が迎えた中年期は、自分の肉体と人生に限りがあることを実感する年代でもある。
「異性愛は生殖と結びついていて、2人の関係が次の世代へ、無限の彼方(かなた)へと続いていくことへの期待がどこかにあります。一方、同性愛の関係には、自分たちの肉体が滅びても続く未来への期待がありません」
だが、それは必ずしも悲哀ではないのだという。
「有限であることを自覚するがゆえに、いま目の前にいる人に、切実に真摯(しんし)に向きあう。有限者として、此岸(しがん)(この世)の生を生ききる。そんな美学がゲイカルチャーにはあります」
それゆえに、この数年の〈LGBTブームと言うべき状況〉のなかで、善意から〈LGBTは普通〉だと擁護する声に、主人公は違和感を隠さない。
〈LGBTは普通? 普通だと思われたがるなんてのは、マジョリティの仲間に入れてくださいというお涙頂戴(ちょうだい)の懇願にほかならない〉
誰もが何かの面では、マイノリティーでありうる。そう自覚することが大切なのだという。「マジョリティーこそ、自分が置かれている(社会の)息苦しさを自覚しにくい不幸があるのではないでしょうか」
2019年に野間文芸新人賞を受けたデビュー作『デッドライン』以来、同性愛をモチーフにした小説を書き続けている。
「これからも避けては通れない。自分にとって小説の執筆は、書くということ自体を問い直す作業。常に実験のつもりです」(上原佳久)=朝日新聞2021年9月8日掲載