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ヒコロヒーさん「きれはし」インタビュー 開高健を愛するピン芸人「うだつの上がらない生活におかしみを」

ヒコロヒーさん=篠塚ようこ撮影

好きな作家は開高健

――ヒコロヒーさんはいろいろな本を読まれているそうですが、好きな作家はいるのですか?

 開高健がすごく好きです。高校生ぐらいから、彼の著作はすべて読んでいますね。「こういう気分だから、開高健のこれを読もう」と思うほど、何回も読んできてきました。

 開高健の文体は「バターのようにねちっこい」とよく言われますが、その文章や文体が好きです。そして、あの人が書くからこういう風に表現されるのかという、オリジナリティーとユーモアがあって。とても好きですね。

――他にはどなたかお好きな作家は?

 女流作家さんも好きです。西加奈子さんの『きりこについて』とか、ユーモアがとても印象的でした。関西の方が好きなんだと思います。あとは寺田寅彦さんの本もよく読んでいますね。

――どんな時に本を読むのですか? 小説が多いですか?

 仕事の空き時間とか、移動中とかによく読みますね。小説だけでなく、エッセイも読むし、いろいろ気分に合わせて読んでいます。本って現実逃避できるじゃないですか。全然違う世界に連れて行ってくれる気がするんです。

 実家はいろいろな本があふれかえっているような家だったので、自然と本を読むようにはなったんです。そんなに熱心に勉強をしてこなかった人生なので、人様ぐらいの教養は持っておこうと思って。20歳ぐらいからですかね、教科書に載っていたであろう本を読み始めるようになりました。いまでも、2週間に1回ほど、図書館で数冊の本を借りる習慣を続けています。

タイトルは「謙遜というより恐縮」

――もともと文章を書くことはお好きだったのですか?

 いや、好きというわけではなかったですね。そもそもお金ないときに「ちょっとお金ないし書こう」ぐらいな感じでnoteを始めて。そうしたら文章を読んだ編集者さんからお声がけいただいて、今回の『きれはし』が生まれた感じです。ありがたいことだなと思っています。

――さくらももこさんが亡くなった時に「ちびまるこちゃん」を見ながら、先輩に勧められたという、あの部分ですね?

 はい、そうです。

 「ところでひこちゃん、お金、大丈夫なの?」
 花形さんが唐突にそう言うので、大丈夫なわけないんですよ、と嫌な顔をして見せた。「あ~お金欲しいなあ、私もコミックエッセイ書いてみようかなあ」とナメたぼやきを発すると、何とも育ちの良い二人である、「いいじゃんそれ! やりなよ! 絶対向いてるよ!」とキラキラしながら行ってくれたのである。更にその対象と言えば、恐ろしいほどに単純な私なので「えっ? 絶対向いてるん? そう? やろうかしら?」と猛スピード急上昇でまんざらでもなくなったのであった。でもどうやればいいのか、などと言っていると、花形さんが「noteっていうのがあるよ」と教えてくれた。

 そういうわけで、私はnoteを更新するために、エッセイ的なものを書き連ねることにし始めた。つまり始まりは「お金を稼がなければ」というところからである。品性に欠けてはいるが、背に腹は代えられない。ぼろは着てても心は錦だとしても、腹が減れば立ってはいられず、そんなのはただ「ぼろを着てへたり込んでいるだけのやつ」になってしまうのである。
――ヒコロヒー『きれはし』より

――『きれはし』というタイトルにはどんな意味を込めましたか?

 私は物書きとしては素養や実績があるわけではないですし、本当に物を書いて生計を立てていらっしゃる方からしたら、私は素人。なので「切れ端に書いているような、くだらないようなこと」という気持ちはありますよね。生まれた時点で恥ずかしいので、むしろそれをおかしんでもらえるように書こうと思っていました。謙遜というより、恐縮です。

――改めて、ヒコロヒーさんの中で、文章を書くことはどういう作業なのでしょう?

 エッセイを書くことは、自分の気持ちや考えを言語化して、整えるような感じですかね。本を書くことと、ネタを書くことは、そんなに大きくは違わない。ただ、表現方法そのものが違うだけです。

――ラジオ好きを公言しておられるヒコロヒーさん、一人芝居のコントもラジオコントのように、言葉で多くの情報を説明するスタイルです。コントの脚本とエッセイでは表現方法が違いましたか?

 例えば、コントは一つ一つの設定でお客さんを笑かしたい。尺を3分に収めて、全部笑いに持っていって、無駄なく無駄なく削ぎ落としてく作業のような感じ。けど、文章は、遠回りできる。エッセイに余計な一文や二文があったとしても、そんなにうっとうしいとは思われないというか。そんな違いは感じています。

――どのような方に読んでほしいなと思いながら書かれたのでしょうか?

 特にこの層へ向けた本というわけではないんですけど、うだつの上がらない生活のことばかりを書いているものですから、そういう生活をしてる方たちに読んでもらえたら。そして、そういう生活ならではの“おかしみ”みたいがあるのかと思っていただければ、ラッキーだなと思います。

 単純に「こういう芸人もいていいよね」という意味です。これは本を書いている時も、ネタを書いている時も同じような感覚ですね。本やネタを見てくれた人に「こういう思いを感じてほしい」ということは、すごくおこがましいと思うので、あんまり考えたことはなくて。品行方正な人間に私はなれないものですから、もう生まれ持った気質でやっていければいいなと。本当に自分勝手なものですよ。

「感情」を大事にものづくりを

 私たちが住む世界有数のメトロポリタン・トーキョーには「コリドー街」と呼ばれるスーパーホットナンパスポットがある。(中略)
 コリドー街への参戦が決定したその日から、我が家はコリドー街の話題で持ちきりであった。今日会った先輩がコリドー街に言ったことがあるらしいとか、知人がコリドー街で彼氏作ったらしいだとか、はたまた一部はカラダ目当ての男が多いから気をつけなければならないだの、どんな服を着て行こう、めちゃくちゃかっこいい人がいたらどうしよう、やっぱり美人OLたちが持て囃されていて私たちはお呼びではないのではないかだのと、それはもう様々な期待と不安で胸を膨らませていた。
――ヒコロヒー『きれはし』より

――「コリドー街」の話、映画になりそうなくらい面白いですよね。

 ありがとうございます。

――この話は基本的に事実? 芸人さんなので、盛ったりしたのかとも思いましたが。

 あの話はほとんど事実ですね。思わぬ形で合コンに発展したことも、ちょっとほろ苦い結末も。

――松竹芸能を「モデル事務所」と書いたり、途中から現実と妄想が入り乱れる話も出てきたりして、「書かれていることは、どこまで本当なんだろう」という不思議な感覚にとらわれました。

 ありがとうございます。読んでいる皆さんが信じたいものを信じて頂ければいいと思って、あえてそんな書き方をした部分もありました。

――ネタでも本でも、日常生活のさりげない出来事をすくいとるセンスがありますよね。よく覚えているね、とか、よく気づくね、と。

 言われますね。小さい頃から、私、すぐに腹が立っちゃうんです。「なんやねん」って思ったら、割とずっと覚えているタイプ。物心ついた頃から嫌な子どもだったと思います。

 でも、そういうこともネタとして表現できるんだと気づいたんです。ここ5年ぐらいで。結局、自分だからこそ書けるものを書かないと意味がないと思って、感情というのは、とても大事にしているつもりです。皆が同じものを見たとして、それを見たときに自分がどう感じるのか。そこを粒立てて、ものを作っていきたいなと思っています。

――今後は、作家兼お笑い芸人としてやっていこう、と?

 もちろん芸人をやっていきますけど、いろいろお仕事をさせていただく中の一つという感じですかね。肩書きっていうのは、勝手に貼られるものであって、自分はやりたいことをやっているだけなので。

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