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雪が降ると思い出す記憶は 小池真理子

え・横山智子

 遥か遠い日の記憶である。まだ妹が生まれる前のことで、私は四つか五つ。両親と三人、東京郊外の社宅で暮らしていた。

 当時は都内でも毎冬、よく雪が降った。その日も、午後から本降りとなり、暗くなって父が帰宅するころには十センチを超える積雪になった。

 小さな駅から、大人の足で十数分。駅前の商店街を抜けたとたん、いちめんの麦畑が拡がって、視界を遮るものがほとんどなくなるようなところだった。

 バスは通っておらず、昔のことだから駅待ちのタクシーもない。駅を降りたら歩くしかなく、しんしんと雪の降りやまない晩、いつもよりも帰りの遅い父を案じたのか、母は夕食の支度もそっちのけで、そわそわと窓から外を眺めていた。

 やがて帰宅した父は、玄関先でコートや頭に降り積もった雪を払いながら、「まいったよ」と言った。呼吸がひどく乱れていた。「雪女を見てしまった。あそこの……で。いちもくさんに逃げてきた」

 あそこの、の次の言葉は私には聞き取れなかった。母が息をのむ気配があった。両親は明らかに、私に悟られぬよう気遣いながら怯えていた。

 あれは何だったのか。青白い雪に被われた、人けのない夜の麦畑の中の「あそこ」というのはどこだったのか。万事において非科学的なことを小馬鹿にしていた父が、いちもくさんに逃げてきたという。父はそれほど恐ろしいものを見たのか。

 訊ねてみたいことは山ほどあったはずなのに、どういうわけか、長じてからは忘れてしまった。それが今頃になって、甦ってくる。降りしきる雪の中で父が見たという雪女のイメージが、ここ数日、私を刺激してやまない。

 今暮らしている土地は寒冷地で、降雪量は少ないが、積もった雪は凍りつく。月明かりを受ければきらきらと輝いて、氷のかけらのように見えてくる。

 雪は音を吸収する。積雪のあった日は、いちだんと静寂が深まる。あたりには、甘い薄荷水のような香りが漂う。雪のにおいである。……そうしたことを私は、この土地に暮らして初めて知った。

 雪かきは夫の役割だった。家庭用の小型除雪機を用意し、雪が積もった日の朝は、夫が元気よく家の前の道を除雪した。積雪量が少ない時は私も参加し、雪かき用のスコップで雪をかいた。

 昨年の冬、恐ろしいスピードで衰弱が始まった夫の代わりに、雪かきは私の役割になった。

 ある晩、いたたまれなくなって雪かきを口実に外に出た。スコップを手にふと我に返ると、雪の中にゆらゆらと佇んだまま、嗚咽を続ける自分がいた。あふれる涙が氷点下の冷たい風に吹かれていった。

 あの時の私は、間違いなく雪女だった。(作家)=朝日新聞土曜別刷り「be」2021年1月9日掲載

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〈読者のみなさんから〉

 エッセーという形を取りながらも根底にはポエジー(詩情)のようなものが流れているのを感じていました。上質で品のある文章・文体でありながらも嫌味や外連味などはまったくなく、ほのかなユーモアも含んだ文章は、雑多な情報がこれでもかこれでもかと錯綜するコロナ禍の現代において一筋の光、心地よい涼風のようにも感じました。そして、読み終えると瞑想を終えた時にも似た、静寂の世界に誘われたような気分にもなるから不思議です。まさに稀有な追悼文学といってもいいかもしれません。混迷極まるコロナ禍のなか、このような文学作品に巡り合うことができ幸運でした。(埼玉県川口市、岩田充)

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  小池真理子さんのエッセー「月夜の森の梟」は2020年6月から翌年6月末まで、朝日新聞土曜別刷り「be」に掲載された。2020年1月に死去した夫であり、作家の藤田宜永さんをしのぶとともに、哀しみを通して人間存在の本質を問う内容には大きな反響があった。便箋10枚、20枚といった手紙が届き、メールを含めれば千通近いメッセージが寄せられていた。11月に連載をまとめた単行本『月夜の森の梟』(朝日新聞出版)が刊行されるのを前に、追悼を文学に高めたと評されたエッセーの一部を紹介するとともに、その魅力を探っていく。
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 たくさんの感想、ありがとうございます。今後も読者のみなさまの声を掲載します。メールは件名に「月夜の森の梟」と入れて「好書好日」編集部(book-support@asahi.com)へ。郵便は〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2 朝日新聞社メディアデザインセンター「好書好日」編集部にお送りください。感想を掲載する場合、事前にご連絡をします。連絡の取れる電話番号またはメールアドレスなどをご記入ください。

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「月夜の森の梟」は朝日新聞デジタルで全50回を読むことができます。