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上野千鶴子が読む「月夜の森の梟」 わたしにはわからない、と思っていたが

え・横山智子

 配偶者ロスについては、聞いて知っていた。

 小池真理子さんが夫を喪ってから4カ月めに書き始めて1年間。50回の連載のなかに、悲嘆のありさまが変容する痕跡を、探し求めた。喪失の経験から1年間はつらい、季節が巡るごとに悲哀は更新されると聞いた。花が咲き、木の葉が落ちる…そのつど、そういえば去年の今頃は、と記憶が甦る。やがてそれが積み重なり、歳月があいだにはさまり、過去はとおざかっていく、はずだったが。小池さんのエッセイはそうではなかった。記憶は鮮度をともなって甦り、喪失の思いはなまなましく、悲哀はそのつど新しかった。

 そういうものなのか、配偶者を喪うということは。わたしにはわからない…が、その後に続いた。

 50回の連載が、闘病記のようなクロニクルでなかったことが僥倖だったと思う。1回完結の読み切り、わずか約1300字のエッセイのなかで、時間は縦横に行き来し、子ども時代の記憶、父や母、親しい友人、その配偶者たちの喪失経験がよびおこされ、そこに夫の不在が重ねられていく。何回目かの連載から、スタイルが定まり、そこに高原の四季の移ろいが点描される。どんな眠れぬ夜の後にも確実に夜は明け、日は昇る。蝉が鳴き終われば、虫がすだき、落葉松が葉を降らしたあとには、必ず雪が降る。季節の変化が、決してあともどりしない時間を痛切に刻む。そうか、あなたはもういないのか、呼びかけても二度と返事は返ってこないのか、と。

 その1編1編が、涙が結晶した宝石のように見える。そして作家を職業とした者の、業と才とを共に感じる。書かずにいられない業と、こんなふうに書いてしまえる才と。この50回は、小池さん自身にとっては、どういう「書く」という経験だったのだろうか?

 臍(ほぞ)を噛む思い出がある。小池さんは作家同士のカップルだが、同じように音楽家同士のおしどりカップルとして知られた阿木燿子さんと、さる媒体で対談をしたときのことだ。阿木さんは、もちろん、まだ「おひとりさま」ではない。だが「いつかその日が来るかもしれない」と想像するだけで胸が締め付けられるような気がする、と率直におっしゃった。なんと返してよいか、ことばに詰まったわたしは、あろうことか、こんなことを口走ってしまった。「そんな経験も、阿木さんにとっては、ご自身の表現に生かされるのじゃないでしょうか」…瞬間、彼女はわたしをたしなめるように、こう言ったのだ。「そんなものではないわ!」

 しまった、と思ったが、手遅れだった。阿木さんのご配慮で、この部分は対談の収録からははずされたが、心ない発言をしたことを、心底後悔した。

 長年同志のように暮らしてきた夫婦の気持ちは、おひとりさまのわたしにはわからない。少なくとも、自分には縁がない、と思っていた。

 …なのにその後、わたしはかけがえのないひとを見送った。わが身をもぎとられるような悲しみ、とりかえしのつかない歎き…そうなのか、あのひともこのひとも、味わったのはこの感情だったのか、と。そうやって小池さんの連載をもう一度、たどりなおす。そうだった、わたしはこれを知っている、と確かめるために。

 小池さんが書くように、「喪失のかたちは百人百様である。…喪失はきわめて個人的な体験なのだ。他の誰とも共有することはできない」。

 小池さんのもとへは、親を見送ったり、配偶者を喪ったり、ペットを亡くしたひとたちからの手紙が次々に届くそうだ。悲しみの重さに軽重はない。身も世もない歎きや、身もだえするような哀しみを、それぞれのひとたちがそれぞれのしかたで味わっていることだろう。

 最近、友人が長年がんで闘病してきた夫を見送った。何を見ても悲しい、と言う。末期がんだとわかっていた。覚悟はしていたが、それでも予想を超える哀しみがこみあげる、と言う。

「死が迫っている百人の病人とその家族には、百通りの人生があり、百通りの人格、関係性がある。どれひとつとして、同じものはない」

 そう書く小池さんの言い分は、よくわかっているつもりだった。あなたの哀しみはあなたの哀しみで、わたしのものではない…。

 なのに、友人の悲嘆を前にして、「…わかる」と口にする自分がいる。ちょうど、がんになってみて初めてがん患者さんの気持ちがわかるようになった、と告白する医者のように。

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  小池真理子さんのエッセー「月夜の森の梟」は2020年6月から翌年6月末まで、朝日新聞土曜別刷り「be」に掲載された。2020年1月に死去した夫であり、作家の藤田宜永さんをしのぶとともに、哀しみを通して人間存在の本質を問う内容には大きな反響があった。便箋10枚、20枚といった手紙が届き、メールを含めれば千通近いメッセージが寄せられていた。11月に連載をまとめた単行本『月夜の森の梟』(朝日新聞出版)が刊行されるのを前に、追悼を文学に高めたと評されたエッセーの一部を紹介するとともに、その魅力を探っていく。
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