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ヴィゴツキー「思考と言語」 能力を他者との関係で理解

Лев Семенович Выготский(1896~1934)。ロシアの心理学者

大澤真幸が読むが読む

 一八九六年、二〇世紀の心理学の方向を決定する偉大な業績を後に残すことになる二人の人物が、わずか三カ月違いで生を享(う)けた。スイスのジャン・ピアジェとロシアのレフ・ヴィゴツキー。ピアジェは、子供の思考が、感覚運動段階から形式的操作段階までの四ステップで発達すると見る理論で知られている。ヴィゴツキーとピアジェはよきライバルで、ヴィゴツキーの死の直後に刊行された彼の主著『思考と言語』も、ピアジェ批判にかなりの頁(ページ)を使っている。

 ヴィゴツキーの着想をよく示すのは、この本にも登場する「発達の最近接領域」という概念である。二人の子供にテストを受けさせ、ともに知能年齢が八歳だと判定されたとする。次に大人が少し手助けしてやると、子供たちは八歳より高いレベルの問題が解ける。が、成績は同じではない。一方の子は九歳レベルで精いっぱいだったが、他方の子は十二歳の問題を解けた。

 他者の補助によって今日できることは、明日には一人でできるようになる。明日の発達水準(九歳と十二歳)と現下の発達水準(八歳)の差で定義されるのが、最近接領域である。

 この概念は、人間が何かを「為(な)しうる」とはどういうことかを考えさせる。最近接領域にあることは、「(私に)できないこと」に分類してよいのか。「私にできること/できないこと」の二項しかなければ、そう判定されるが、これだと、あの二人の子供の能力の違いを記述できない。

 発達の最近接領域という概念は、次のような理解を示唆している。今のところ他者に(半分)担われているという形式で、私に属している能力がある、と。つまり他者性(援助者)と未来性(明日)を帯びた、私の能力というものがあるのだ。

 このように心理現象を自他関係の中で理解するのがヴィゴツキーの特徴。本書では、ピアジェが独我論的思考の残滓(ざんし)と見た子供の「自己中心的言語」(独り言の一種)でさえ、他者が共にいることに触発されて発生することが示される。=朝日新聞2021年10月2日掲載