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日本政治の現在地 民主的「皇帝」は生き続けるか 東京大学教授・石川健治

自民党総裁選で勝利した岸田文雄氏=9月29日、東京都港区

 二月革命から4年に満たないフランス共和国の大統領は、自らの再選や任期延長を禁止する憲法の改正を画策し、それが失敗するやクーデターを起こして皇帝となり、自分都合の人民投票(プレビシット)で民意を味方につけた。

 強者と弱者の双方から支持されたその男は、「紳士詐欺師」か「俗っぽい高等詐欺師」か「産業騎士」か。共和国に彼が加えたのは「ねらいうち」か「突発的行為」か「頭突き」か。そうした翻訳の振幅を超えて、人びとを震撼(しんかん)させる力をもってきたのが、マルクスの名作『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』だ。彼はその男を現代のシーザーとしては描かなかった。

 訳書としては、キレのある丘澤静也訳(講談社学術文庫版)を推すが、原著初版を世に出した太田出版版(現平凡社ライブラリー版)には、訳者の専門性が反映された注や資料に加え、「危機の想像的解決を唱える“ボナパルティズム”の出現」を四半世紀前に予言した、柄谷行人の評論が収められている。

 「桁の違う環境汚染」「一般的利潤率の傾向的低下」「情報・富の階級的両極分解」が、「先進国の内部に第三世界が生じる」仕方で「グローバルに進行」するなか、金融貴族を味方につける一方で、過去の「亡霊」を呼び起こし意識的演出で大衆を惹(ひ)き付けた権力者は、予言通り現代日本に現れたのだ。

まるで改憲問題

 その実質的な後継者を選出する、自民党総裁選は興味深かった。歴史の狡知(こうち)により、石破茂、小泉進次郎といったアクターが触媒として作用し、2010年代の統治システムを構成していた権力化合物が、幾つかの元素へと還元されたのである。

 一方では、原発のような集中電源から大都市へ一方向に大規模送電する、20世紀型の電力供給システムの脆弱(ぜいじゃく)性を克服し、再生可能エネルギーを中心とした、分散型双方向の21世紀型電力システムへと向かう未来図が、「小石河連合」により政策的な選択肢として、明確に示された。これに対して、経産省・トヨタ・電力会社による猛烈な巻き返しが行われ、その受け皿になったのは岸田文雄現首相である。報道から伝わる熱量は、改憲問題もかくやと思わせるものがあり、自公政権を長期化させたのは紛れもなく、この、もう一つの憲法問題の熱源である。

 この点、東日本大震災を通じて顕(あらわ)になったはずの、そうした権力構造を夙(つと)に論じ続けてきた諸富徹は、近著において『資本主義の新しい形』を追求し、「脱炭素化」に加えて「サービス産業化」「情報化」「デジタル化」といった動向に、資本主義の「非物質主義的転回」を見いだし、これに対応する社会国家(憲法25条)の新しい形として、人や社会関係への投資を推進する「社会的投資国家」を提唱している。新しい資本主義の追求は、いうまでもなく急務だ。

立憲主義を担う

 しかし、それと同時に、かねて議論されてきた「亡霊」――日本の憲法が抱える文化的かつ制度的パラドックス――の侮れない力もまた、高市早苗候補によって表象され、「見える化」された。「市場国家」と「安保国家」の圧力のなかで、東アジアで進む権威主義化傾向に抗する手立てはあるのか。

 松平徳仁がこの点を、「東アジア」「比較」「憲法学」を視野に入れつつ、例を見ない説得力をもって論じている(『東アジア立憲民主主義とそのパラドックス』)。決め手は「植民地主義」への省察と「償還」の精神態度である。パラドックスの象徴たる伊藤博文の立憲政友会の流れをくみ、日本の立憲主義の最も重要な担い手であった宏池会の伝統を受け継ぐ岸田首相を迎え撃つのは、最終的にこの論点になるだろう。=朝日新聞2021年10月9日掲載