1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 盟友としての馬 文明の立役者、心の支えにも 東京大学名誉教授・本村凌二

盟友としての馬 文明の立役者、心の支えにも 東京大学名誉教授・本村凌二

昨年の菊花賞を制したコントレイル(左)。父のディープインパクトに次いで史上3頭目の無敗での3冠制覇を達成した=2020年10月25日、京都競馬場

 歴史をふりかえると、馬ほど人間がお世話になった動物はいないだろう。20世紀の初めごろといえば、電話や車が登場して、通信・輸送・農作業などの風景から馬の姿が消えつつある時代だった。

 もはや忘れかけられそうな馬がいかに盟友として連れ添ってきたか、それは長編の叙事詩のごとく思い返されるべきことなのだ。それをつづるJ・E・チェンバレン『馬の自然誌』をひもとけば、人間の忘恩ぶりにはあらためて悲しくなる。

 「もし馬がいなかったら」と問いかけるとき、アメリカ大陸はかっこうの舞台になる。そこでは1万年前に馬が絶滅してしまった。だから、大平原地帯の原住民部族には、貧しい少年が見たこともない動物を操って偉大なる酋長(しゅうちょう)になった伝説すらあるという。それこそ新大陸発見後に連れて来られた野生化した馬である。ユーラシアに比べて文明の進展が緩やかだったのは、馬がいなかったせいだとも言われている。

 人間は捕食者だから、食料確保のために狩りをしてきた。やがて狩猟が過去のものになっていくとき、人間はひたすら相手を追いつめる戦争というゲームを編み出したのではないか。心をえぐられるような指摘だが、そこにも馬が連れ添っていたのは偶然ではない。

 馬が速足(トロット)で走るときの連続写真を撮ろうとして動物行動観察器が開発され、映写機の原型ができ、映画が始まったとも言える。

在来馬を訪ねて

 馬は気品と躍動感にあふれ、魂をふるわせる動物であり、いつまでも人間の友であってほしいものだ。身近に感じたい読者には、わが国の馬たちに焦点をあてる高草操『人と共に生きる 日本の馬』がおすすめだ。なによりも、著者の馬にむける優しいまなざしが伝わってくるようなホッとする本。在来馬のふる里を訪ねて、カメラとともに歩きまわる。

 長野県の木曽馬は、馬がどれほど人々の生活を支えていたのか肌身に感じることができるという。愛媛県の野間馬は、小柄で「となりのみよちゃん」のような子供たちのアイドルらしい。長崎県の対州馬(たいしゅうば)は、競馬もどきの「馬とばせ」があり、馬方が口ずさむ「しんき節」もある。鹿児島県のトカラ馬は、日本最後の秘境といわれる島々に棲息(せいそく)する純粋な日本種の馬。青森県の寒立馬(かんだちめ)は、風雪に耐えるかのごとき姿から、その名が知られた。北海道のドサンコは、決してずんぐりむっくりなどではなく、均整のとれた美しい毛色の麗しい馬たち。放牧しておくと、土に養分が残り、樹木や草花が再生されるという。

 著者の「馬を愛する人」の心根を感じれば、子供たちや心を病む人々にとっても、馬がアニマルセラピーの有力株として親しまれるようになるだろう。

心理を学べば…

 競馬が好きならば、「馬の心理学」も知りたいはず。楠瀬良『サラブレッドに「心」はあるか』は絶好の本。馬の気分は、耳、目、鼻、口に表れ、とくに耳にはよく出るらしい。不安、不快、怒りなどで耳を立てたり伏せたりしながら、まさに表情豊かなのである。

 よく馬はゴール板を知っているかと話題になる。武豊騎手は、何回かのレース後には、ゴール板がわかってくると指摘する。

 また、絶好調に見える有力馬がひどく凡走すると、メンタル面の問題を考えたくなる。さらにまた、精神面でも牡馬(ぼば)と牝馬(ひんば)とはかなり差があるらしい。牡馬ならピシッと懲戒すれば素直に従いがちだが、牝馬は機嫌を損ねることが多いとは、厩舎(きゅうしゃ)人の実感らしい。

 サラブレッドの「心」にまで気を配れば、馬券の的中率は上がるかも。=朝日新聞2021年10月16日掲載