澤田瞳子が薦める文庫この新刊!
- 『星夜航行(上・下)』 飯嶋和一著 新潮文庫 上1100円 下1155円
- 『雲と風と 伝教大師最澄(さいちょう)の生涯』 永井路子著 中公文庫 1100円
- 『幕府パリで戦う』 南條(なんじょう)範夫著 集英社文庫 836円
かつて確かに生きた人々に思いを馳(は)せる三冊。
(1)故あって主家・徳川家を出た主人公は東アジアを股にかける海商人となり、南蛮貿易の始まりと終わり、戦国の終焉(しゅうえん)、そして豊臣秀吉による文禄・慶長の役と転変を続ける世を駆け抜ける。だがそれは決して時代の覇者としてではなく、戦に蹂躙(じゅうりん)される無辜(むこ)の人々と共に生きる全き男としての歩み。歴史と人の確かな流れを豊かに織りなした大作である。
(2)最澄没後一二〇〇年を機に復刊された本作は、雲に象徴される最澄と風に象徴される桓武天皇を対比させ、日本の一大画期とも呼ぶべき平安時代初期を聖俗両面から描いている。巻末収録のエッセイに記されているように、作者が大正大学の聴講生となり、最澄の著作を講読する中で構想が練られただけあって、その足跡をたどる眼差(まなざ)しは真摯(しんし)そのもの。更に作者の特徴である芯の太い歴史観が作品の中心を貫き、まさに「最も澄みたる」男に迫る澄明な物語である。
(3)本年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一の若き日、遣欧使節の一員としてパリを訪れた彼の奮闘を、徳川幕府と薩摩藩、はたまたフランスとイギリスの対立を背後に描いた歴史長編。しかもそれをただの謀略小説ではなく、後に日本経済の基を築く彼の成長物語にも、また九十歳となった渋沢翁から話を聞く貧乏学生「私」が昭和初期のファシズムへとのみ込まれてゆく物語にも取れる構成が実に心憎い。今から半世紀も昔に書かれたとは思えぬ色褪(いろあ)せぬ物語である。=朝日新聞2021年10月16日掲載