昨年『ルーヴルの猫』で2度目となるアイズナー賞を受賞、マンガ表現の最先端を走り続ける松本大洋は、現在「ビッグコミックオリジナル」増刊号(小学館)で『東京ヒゴロ』を連載している。「マンガ家マンガ」と紹介されることも多いが、正確には「マンガ編集者マンガ」だ。編集者の塩澤は自分が立ち上げた雑誌が廃刊になった責任を取り、30年勤めた神保町の大手出版社を退職。当初はマンガと縁を切るつもりだったが、大量のコレクションをどうしても処分できず、かつて担当した女性作家の葬儀をきっかけに、敬愛する作家たちを集めて理想のマンガ誌を作ろうと決意する。
マンガ編集者マンガといえば、真っ先に思い出されるのは2012年に43歳で急逝した土田世紀の『編集王』だろう。「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載が始まったのは1994年のこと。すでにバブルははじけていたが、パソコンと携帯電話が普及する直前であり、マンガ誌は売れに売れる黄金時代を迎えていた。電車の中でマンガ誌を読む人がたくさんいた、と聞けば平成生まれ世代は驚くかもしれない。主人公のカンパチが所属する「ヤングシャウト」のような100万部雑誌がゴロゴロあり、この年の末には「週刊少年ジャンプ」(集英社)が伝説の653万部をたたき出している。
高校生でデビューした早熟の鬼才・土田世紀に対し、同年代の松本大洋がライバル意識よりもリスペクトを寄せていたのは有名な話だ。「ほぼ日刊イトイ新聞」のインタビューでも「ぼくはツッチーの『未成年』に影響を受けて、『青い春』を描いたりしました」「いつもツッチーを意識しながら連載を描いてましたね」と打ち明けている。作風や絵柄はまったく異なるが、若くして講談社でデビューし、小学館でブレークした経歴は共通している。
その土田世紀を講談社から引き抜き、異色の演歌マンガ『俺節』を始めさせた編集者が江上英樹だった。後に彼が立ち上げた「月刊IKKI」(小学館)で、松本大洋は看板作家として『ナンバーファイブ 吾』や『Sunny』を連載。同誌が休刊した2014年に50代で退職したところはそのまま『東京ヒゴロ』の塩澤と重なる。見るからにクソマジメでマンガ編集者らしくない塩澤のモデルだとはいわないが、土田世紀や江上英樹の存在が本作に影響しているのはまちがいないと思う。
『編集王』から四半世紀余り。カンパチの兄貴分である青梅デスクが予言したように「マンガの黄金時代」は終わり、中でも紙の雑誌は右肩下がりで部数を落とし続けている。今やコンスタントに100万部を売る雑誌は「少年ジャンプ」くらいしかない。そんなマンガ誌冬の時代に、大手出版社の看板も捨てて徒手空拳で立ち向かう塩澤。多くのマンガ家や編集者の姿を通して、“松本大洋が見るマンガ業界の今”が描かれていくことだろう。『青の戦士』『綿の国星』『まことちゃん』『じみへん』『バタアシ金魚』『ショート・ピース』など、塩澤の蔵書として多くの昭和の名作が実名で並んでいる絵も胸を熱くさせる。