1. HOME
  2. 書評
  3. 「東京ヴァナキュラー」書評 地域の個性に根ざした解放運動

「東京ヴァナキュラー」書評 地域の個性に根ざした解放運動

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2021年11月06日
東京ヴァナキュラー モニュメントなき都市の歴史と記憶 著者:ジョルダン・サンド 出版社:新曜社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784788517387
発売⽇: 2021/09/24
サイズ: 20cm/281p

「東京ヴァナキュラー」 [著]ジョルダン・サンド

 ヴァナキュラーとは、その土地固有の話し言葉を指し、転じて地域性や日常性を表す。再開発を繰り返し、過去の記憶に乏しい巨大都市とこの言葉は、いかなる意味で結びつくのか。
 1980年代、東京では歴史を再発見するいくつかの試みが、ほぼ同時に始まる。下町の「暮らしぶり」を聞き取り、「まちづくり」に活(い)かした「地域雑誌 谷中・根津・千駄木」。街路の隅に佇(たたず)む過去の痕跡が、「無用の長物」ゆえに宿す面白さを捉えた赤瀬川原平たちの路上観察学。庶民の生活史を中心に据えた江戸東京博物館の展示構想。
 本書はこれらを、人々が都市の日常に改めて価値を見いだし、抵抗の糧とする技法として読み解く。議論の起点を、反戦運動が占拠した69年の新宿西口地下広場に置くのは、そのためだ。この時、市民を排除すべく、「広場」は「通路」へ改称された。儀礼や記念碑(モニュメント)で公衆の一体化を促す広場を奪い合う闘争の仕方は、ひとたび挫折する。
 変革の意志は別の拠点を求め、地域の個性に根ざした転回を遂げる。雑誌がつなげた縁が、「谷根千」という新しい地域アイデンティティーを育む。それが地上げ屋をはねのける、住民の共有財産になった。路上観察と同様、一見些末(さまつ)で小さな過去に独自の意味を与えて、官や資本に占有された都市空間を共有地化する解放運動だった。
 これはバブルの徒花(あだばな)だろうか。日常や周縁も、脚光を浴びればすぐに高値がつき、出版や観光で消費された。だが当事者たちはジレンマを承知でメディアを利用し、「おどけつつ」「生真面目に」訴えて、「成功を見た叛乱(はんらん)」となった。著者の80年代評価は、消費文化論とは一線を画す。
 しかし歴史を商品化する波は容赦ない。近年の昭和30年代ブームに飲まれた博物館展示は、個々の追憶に奉仕するだけの「公衆(パブリック)不在のパブリック・ヒストリー」ではないか。耳の痛い警告こそ、真に傾聴に値する。
    ◇
Jordan Sand  1960年生まれ。米ジョージタウン大教授(日本史、日本文化)。著書に『帝国日本の生活空間』。