ポエム集でもきっと売れた
――前作『僕の人生には事件が起きない』は10万部超のベストセラーとなりました。この大反響をどう受け取られていますか?
「ゴッドタン」とか、ちょうどテレビでの露出が増えている時期で、応援してくれる人が増えていたんでしょうね。1冊目はたまたま売れただけです。エッセイ集じゃなくて、ポエム集でも同じくらい売れたんだろうなと思っていますよ。なんなら日常川柳でも(笑)。中身がどうであれ、いけたのかなと思います。
――芸人として注目が集まっていた時期で、タイミングが良かったと。
これは芸能人で本を出した人みんなに起こったことだと思っています。
――以前は文章を書くといえばネタを書く作業が主だったと思いますが、エッセイを書いてみて自分の中で何か変化や発見ってありました?
変化も発見も、ないんですよ(笑)。「日常に目を向けるようになった」とか言いそうですけど、そんなもんはラジオ(TBSラジオ「ハライチのターン!」)で既にやっていたんで。ラジオのトークもめちゃくちゃしっかり作っているから、毎週ただ垂れ流しているのももったいねえなって思っていたので、文章化して本として保存できたというのはよかったですね。
ハライチ岩井流エッセイの書き方
――エッセイには小学生の頃などのかなり過去の話があるかと思えば、最近の話もあって時系列は大きく前後していますけど、ネタってどう選んでいるんでしょうか?
エッセイを書こうと思ったときに思い出したものを書いているだけです。日常の中で「これはエッセイのネタになるから書くぞ!」と思うことはあまりないですね。その方が書くときにナチュラルな気がしています。その場、その場を楽しんでいた方が書きやすい。
――その場を楽しむ……。確かに岩井さんのエッセイって、一つの出来事や事柄をどんどん想像力をふくらませて楽しんで書いている感じがします。
そうやって書くことが多いかもしれないですね。あと、日常の些細なことも解像度を高くすることで面白く書くようにしています。
例えば、いつもは人をぽやっと見ているんですよ。でも、それをぽやっと見ないようにして……。髪を染めていて、眉毛をちょっと太めに描いていますよね。
――え? いま、私の解像度を上げてもらってます?(笑)
はい。花柄のシャツを着て一見ボタニカルそうなんだけど、腕にはApple Watchをつけていて、ここはデジタルなんだとか(笑)。こうやって細かいところを見ていくと、人となりがなんとなくわかるじゃないですか。細かいところを見るだけで、面白く見える。というか、面白いんですよね。
それまではショートカットで花柄のシャツを着ている人ぐらいにしか見ていないんですよ。でも、もっと説明できるようにすれば、それだけで何か気を引く文章になる気がします。
――1冊目と合わせて40篇ほどのエッセイを書かれてきました。印象深いものはありますか?
うーん……。誕生日プレゼントにVRをもらった話かな。……ああ、でもどうだろうな。
――「誕生日プレゼントにもらったVRの機械」ですね。これはどうして?
誕生日プレゼントにVRをもらって、ちょっと使ってみただけなのにエッセイが1本書けたってところがいい(笑)。そういうのは好きですね。映画「寅さん」を見に行っただけの話とか、暗闇ボクシングの話に関しては自分は行ってもいないですからね(笑)。
僕がコロナ禍を描くなら
――2冊目となる今回のエッセイはコロナ禍真っ只中で書かれていたと思います。日常生活を題材にしたエッセイでコロナ禍について一切触れていないというのは、あえて入れないように意識していたんでしょうか?
うーん。特に意識したわけではないです。コロナ禍でも日常がないわけじゃない。朝起きてパン食って、洗濯するし。コンビニに行こうとしたら「うわぁ、なんか小雨降ってる。これ傘いるの?……いらないか」って、行って帰ってきたらうっすら湿って「寒いな。やっぱり傘させばよかった」と思うとか。そういうことは別にコロナに関係なくあるから、そういう日常をただ書いただけです。
――コロナ禍で変わらざるを得なかった日常のことも出てくるかなと思ったんです。
多分、コロナ禍のことを書けって言われたら、そういうことは書かない。僕がコロナ禍について書くとしたら、「コロナの世の中になってしまった。世の中が大変なことになってしまい、とにかく命が危ない」と深刻なぐらい苦しい状況を説明しておきながら、さっきと同じように小雨の中コンビニに行って帰ってきて「ああ、やっぱり傘をさせばよかった」みたいなことを書くと思います。コロナ禍の世界を無駄遣いしたようなことを書く。今回の本のために書き下ろした小説も、パラレルワールドの裏の世界に行った話なのに、豚肉安いなとかしか書いてないじゃないですか(笑)。
小説はエッセイと地続き
――今回、小説を書いてみようと思ったのはなぜですか? 何かエッセイだけでは書ききれないものが出てきたとか?
そういった文章に対しての創作意欲は皆無です。新潮社の人が書けって言うんで(笑)。
――出版社からのリクエストだったんですね(笑)。
リクエストというか、強制的に「(小説を)つけます」と(笑)。
――エッセイと小説では、書き方に違いを感じましたか?
すごく同じ感じで書きましたよ。地続きな感じです。
――確かにエッセイの延長線のような感じがしました。パラレルワールドの裏の世界にあるスーパーに行く話ですが、本当に岩井さんが体験したみたいだなと。小説のもととなる体験などあるんでしょうか?
ありますよ。スーパーに豚肉を買いに行っただけです(笑)。いつも行くスーパーでも、いつもとは違う別の道を通ってみたら、なんか心がざわつく。同じ場所なんだけど、いつもと違うところに出たような気がするんですよ。その感覚がこの小説のもとになったと思います。
想像の一人暮らし、現実にはムリ!
――今回、ファン投票で帯のデザインが決まる「“帯”総選挙」も業界初の試みとして実施されています。これは岩井さんのアイデア、ではないですよね。
まったくないですね。(担当編集者を見て)あの人だと思います。
――(笑)。初版の帯は、エッセイでも書かれていた10代の頃に思い描いた「想像の一人暮らしの部屋」を再現していますが、撮影はどうでしたか?
リビングにいたときはよかったんですけど、電子レンジでチンするシーンを撮っていたときに、この生活は嫌だなって思いましたね(笑)。想像は想像だなって。10代のときは悪い面とか嫌な面とかは見えてなかったんだなあと。
僕が十代の頃に思い描いていた一人暮らしのイメージはなぜか詳細だ。
外観が団地とも取れる旧めのマンションの4階の部屋。間取りは1K。玄関のドアは鉄でできた茶色いドアで、このドアが手で押さえてゆっくり閉めないと閉まる時にガチャン! とうるさいのだ。テレビやゲーム機、ちゃぶ台はあるが割とガランとした部屋で、ベランダも付いている。『どうやら僕の日常生活はまちがっている』収録「10代の頃に思い描いていた想像の一人暮らし」より
>>「10代の頃に思い描いていた想像の一人暮らし」試し読みはこちら
――撮影でリアリティが増した分、嫌な面が見えてきたんですね。
なんか、汚ねえなって思いましたよ(笑)。家具の配置もきっちりやっちゃうような、わりときれい好きなんで。そうなると、10代の頃に思い描いていた感じのところには住めねえなって思います。
僕のお笑いがしょうもなく見えるようなことはしたくない
――今後も執筆活動は続ける予定ですか? エッセイ3冊目は?
何かを文章で表現したいっていう気持ちは……、ないんですよね。ただ、「書け、書け」言うんで、(担当編集者を指して)あの人が。来年1月から連載をって、なし崩し的に。
――じゃあ、これからも岩井さんのエッセイが楽しめるんですね!
いや、そういうプレッシャー、かけないでもらいたいですね(笑)。
――でも、正直プレッシャーとかはないですよね。
ないんですけど、僕の労力や時間、こうやって1日に何件も取材が入るとかを考えると、読む方はたかだか税抜き1250円で読めるからいいよなって思います。その金額で読めるから、書けって言うんだよなって。無責任なこと言ってんじゃねえよって思いますね(笑)。
――無責任ですみません(笑)。確かに芸人としてお笑いで表現することが一番だとは思うんですが、最近ではエッセイ以外にも乙女ゲームや漫画原作も手がけるなど幅広い仕事をされています。岩井さんのマルチな活動に通じるものは何なんでしょう?
例えば、写真集とかビジュアルをメインにした仕事をしてしまうと、僕としてはしょうもない方向に行ってしまったなと思うんです。漫才が笑いにくくなってしまう。お笑いを最優先、最重要事項にしているので、僕のお笑いがしょうもなく見えるようなことはこれからもやりたくないですね。