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師走の分かれ道 澤田瞳子

 最近、仕事机に欠かせないグッズが増えた。それはステンレス製タンブラーだ。

 もともと私は仕事中、滅多に水分を取らない。飲食を忘れるほど執筆に集中している――わけでは決してなく、パソコンの周囲に雑然と本が積み上げられているため、水気のあるものを手近に置くのが危険なためだ。それにもかかわらず、机に向かう前に焙(ほう)じ茶か紅茶を淹(い)れ、タンブラーになみなみと注ぐようになった理由はただ一つ、仕事場のストーブの調子が悪く、手入れをせねば動かぬのだ。

 発熱ソックスを履き、膝(ひざ)に毛布をかけ、更には昨年この欄でも触れたちゃんちゃんこまで着込んでも、さすがに冬の冷えは堪(こた)える。ならさっさと説明書を引っ張り出して手入れすればいいのだが、締め切りに追われてその暇がない。そこで更に身体を温めるものはないかと家を見回し、発見したのがタンブラーなのだ。

 数年前に町内のくじ引きで当たり、そのまま食器棚の隅に入れていた品で、私の手には余るほど大きい。おかげで保温能力が高く、猫舌の私が飲みやすい温度に冷めるまで、小一時間かかる。よしよし、これで暖を取れるぞと思いながら、タンブラーを安全に置くべく、卓上の本を整理した。するとまず、失(な)くしたと思っていた資料やら使いかけの一筆箋(せん)が本の間から出てきた。ついでに返送せねばならない書類も発掘され、これは少しだけ青ざめた。加えてタンブラーを置いて仕事をすると、考え込む時はお茶を飲みながら画面を見つめるようになり、スマホを触ったり、ネットサーフィンをして時間を消費することが激減した。ひと言で言って、いいこと尽(づ)くめである。

 ただその一方で暮れも迫り、朝晩は更に寒くなってきた。そしてこのエッセイを書き終えれば、締め切りラッシュもひと段落。ここで遂(つい)にストーブを掃除して温かい仕事場を取り戻すか、それとももう少しタンブラーに頼り続けるか。私はいま、大いに悩んでいる。=朝日新聞2021年12月15日掲載