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今は行かないカフェ 津村記久子

 行かないカフェのチラシを何枚か持っている。今は外出を控えているのでしばらくは行けない。仕事の休憩時間など、ぼーっとしている時に「カフェラテ」「アイスカフェラテ」といった商品名や、ホイップクリームがのったココアの画像などをじっと眺めている。

 だいたいは紅茶かコーヒーを飲みながらで、最近はよくお湯を飲んでいる。何か味のあるものを口に入れることがわずらわしいことが増えた。そこに表示されている紅茶やコーヒーの値段に対して、自宅にいる自分が十分の一ぐらいの出費でそれらを飲んでいることがうれしいのかもしれないけれども、お湯を飲んでいてもじっとチラシを見ているので、お金だけの問題とも言えない。おそらく、チラシを眺めているとそこに行った気分になるのだろう。

 幼稚園児の頃は、現実と「こうだったらいいな」と思うことの区別がつかず、よくうそをついた。とてもしょうもないことだ。シンデレラ姫の劇をやって自分は主役だったとか、先生たちが〈ドレミの歌〉に合わせて虹色の服を着て踊っていたとか。わたしはずっとうその内容について考えていたので、その時のうそのイメージについては本当に起こったことのようによく覚えている。カフェのチラシを眺めて満足している自分は、行ってもいないカフェに「行った」と他の人にうそをつきこそしないけれども、心理状態としてはあの頃と地続きだと思う。

 〈金枝篇(きんしへん)〉のフレイザーは、「想像とは、重力と同じぐらい現実に人間に作用するもの」だと述べていた。だから古代の人は、天候を操れるとか、王と神を同じ者だと思ったりしていた。生贄(いけにえ)を捧げたりした。

 幸福な想像はある程度人を助けるし、不幸な妄想はやはり人を苦しめるのだと思う。チラシは侮れない。実はもう申し込んでしまったカタログギフトの冊子も残してある。おいしそうな高級みかんを眺めてにやっとした後、スーパーに普通のみかんを買いに行く。=朝日新聞2022年3月16日掲載