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河野裕さんの読んできた本たち 「モモ」と「二分間の冒険」と秋田禎信先生と「草枕」とスピッツでできています

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原点となる2冊の児童書

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 家に絵本はあったのですが、あまりよく憶えていなくて。今考えてみていちばん古い記憶というと、幼稚園の頃に祖父が買ってきてくれた児童書ですね。まだ文字が読めなくて母親に読んでもらいました。タイトルは『なん者ひなた丸』。『ルドルフとイッパイアッテナ』の著者の斉藤洋さんによる忍者のシリーズです。忍者になる修行をしている子どもたちの話で、見習いのうちは「なん者」で、修行を積むと「にん者」になり、さらに極めると「ぬん者」になるという世界観のなかで、忍者になろうと頑張る男の子の話です。どとんの術で土の中隠れようとしたけれどどうしても手が一本地面の上に残ってしまって、それは初心者にありがちな失敗なのでその手だけカムフラージュする手袋がある、みたいな細かい要素が楽しくて好きでした。

 そういえば、寝るときに母親が昔話をそらで話してくれて、なぜか「桃太郎」は何度もねだった記憶があります。たぶん、「どんぶらこっこ」とか「お腰につけたきびだんご」といったリズムが心地よかったからかもしれません

――どんな環境で育ったのですか。

 大学に進学するまで徳島県徳島市に住んでいました。徳島駅って出るとすぐ目の前に山があるんです。駅から徒歩10分くらいの山のふもとの小学校に通っていました。なので、大都会ではないけれどイメージが広がるほどの田舎でもない、のどかなフラットなところに住んでいました。

――本を読むのは好きでしたか。

 好きでした。両親が頻繁に図書館に行く習慣のある人たちで、自分も連れていってもらって児童書のコーナーで何冊か選んでいました。それと、祖父が本を与えるのが好きで、よく買ってもらっていた気がします。

 ただ、強く印象に残っているのは小学校の教室にあった学級文庫です。小学校3年か4年の時に、そこに岡田淳さんの『二分間の冒険』とミヒャエル・エンデの『モモ』があったんです。それを続けて読んだら両方ともめちゃくちゃ面白くて。その2冊が、本にのめりこむきっかけになりました。

 『二分間の冒険』は小学校で映画会の準備をしている時に、男の子がさぼるために、見つけたとげぬきを保健室に届けにいくんですね。その途中で喋る黒ネコに出会って、「とげをぬいてくれないか」と言われて前足を差し出されるんです。とげなんて見当たらないんですが抜くふりをしたら、お礼にひとつだけ望みをかなえてやると言われる。ちょっと待ってくれという意味で「時間をおくれ」と言うと、それが願いだと受け取ったネコが男の子を異世界に連れていくんです。

 その世界には現実のクラスメイトと同じ子どもたちがいて、彼らは定期的に、選ばれた二人一組で竜を倒しにいかなくてはいけない。でも実はそれって竜が考えたことで、旅立った子どもたちは竜のいけにえになるんです。主人公も旅立つんですが、途中で岩に刺さって誰にも抜けない剣を抜いて「選ばれた者だ」と言われて誇らしくなる。でも、門番みたいな人が岩にまた新しい剣を刺している場面があるんですよ。王道のヒロイックファンタジーに対するアンチ的なものを感じさせながら話が進むんです。

 主人公は「この世界でいちばんたしかなもの」を見つければ元の世界に戻れるとも言われている。竜を倒す旅と同時にそれを探すストーリーでもあるんです。最終的にその「たしかなもの」が何かというとこも含めて、思想性みたいなものがあるところが好きでした。こちらが物語に期待している以上の納得感がある感覚がありました。みなさんご存知の『モモ』にもそれを感じました

――『モモ』は時間どろぼうに盗まれたみんなの時間を少女が取り戻す話ですが、人生をどう過ごすかといったテーマも見えてきますよね。

 序盤で語られる、モモのキャラクター設定が好きです。あの子って、ただ真摯に人の話を聞くだけの能力に秀でている。ただ話を聞いているだけなのに、相手は喋っているうちに勝手に自分の問題を解決していくんですよね。そこがすごく魅力的でした。『モモ』と『二分間の冒険』は物語を好きになった根本にある2冊で、今にも繋がっている気がします

――その頃、自分でお話を空想するのは好きでしたか。

 小学生の頃から、小説に限らず、何かしらのフィクションを作る仕事をしたいと思っていたので、好きではあったと思うんですよね。でも当時は書いてはいませんでした。なりたいとは思っても、なれるとは思わずにただ憧れていただけでした。

 あ、でも、4年生か5年生の時の何かの授業で、8ページくらいの白紙の本を渡されて絵本でも漫画でもなんでもいいから作りましょうという時間があったんです。その時、考えた物語が入りきらなくて、めちゃめちゃツメツメで書きましたね(笑)。内容はよく憶えていないんですが、男の子が冒険する話でした

――作文を書くのは好きでしたか。

 どうだろう。字を書くこと自体があんまり好きじゃなかったんです。字が汚いし、漢字を知らなかったので。文章を考えることは苦ではないけれども、手を動かして書くのは好きじゃなかった。中学生の頃に父親が仕事場で使わなくなったワードプロセッサーを持って帰ってきて、それが小説を書き始めるきっかけです。それがなければ文章を書いていなかった可能性があります

ライトノベルとの出合い

――他に、小学生時代の読書といいますと。

 小学校の図書室にあった江戸川乱歩の少年探偵団のシリーズや、たぶんシャーロック・ホームズなども読んでいたと思います。高学年になるとお小遣いで漫画を買って読むようになるんですけれど、漫画ってすぐ読み終わってしまう。それで文庫本のほうが長持ちするなと思い、ライトノベルを読み始めるんですよ。当時はまだライトノベルという名前はなかったかもしれませんが

――最初のうちは、どのあたりを?

 いちばん好きな作家は秋田禎信先生で、『魔術士オーフェンはぐれ旅』が本屋さんで平積みされているのが目に入って読むようになりましたが、最初に読んだのは神坂一先生でした。神坂先生は富士見ファンタジア文庫の『スレイヤーズ』が有名ですが、スニーカー文庫の『闇の運命を背負う者』と『日帰りクエスト』のほうが好みです。そちらのほうが『モモ』や『二分間の冒険』に似ていたというか。どういうことか整理してみると、『スレイヤーズ』はエンタメ性が前面に出ていると思うんですが、『闇の運命を背負う者』と『日帰りクエスト』は思想性を読み解きやすいんですね。

 『闇の運命を背負う者』は光の超能力者と闇の超能力者が争っている話で、最初はライトな感じで始まるものの、だんだん悲惨な闘いになっていく。そこから、「光」のトップと「闇」のトップが、実は......という真相があって、その部分に得に惹かれました。『日帰りクエスト』は高校生の女の子が突然異世界に行くんですが、そこでは戦争をしている話です。敵だと思っていた竜人族の町に迷いこむと、住民たちがそんなに悪い人たちじゃない。どっちが正義なのかというか、どっちにもそれぞれの理屈があるんだという話に寄っていくところが好きでした

――善と悪がはっきりしていたり、成長して強くなって悪を倒すような単純明快なものではないものが好きだったんですね。

 究極的には、強くなって勝つって、善悪関係なくできることですよね。なので、思想的に「それはどうなんだろう」という部分にいく話が好きですね。ただ、強くなる話が嫌いというわけではないです。10代の頃は『グラップラー刃牙』とか読んでいましたし。それはそれで面白いと思うんですが、のめり込んだ物語はやっぱり、自分の価値観や倫理観が問われるもののほうでした

――秋田禎信さんがお好きなのも、そこですか。

 そこと、あとは文体です。中学生くらいの頃から物語より文体に興味がいくんです。それでライトノベルと、夏目漱石などの純文学を読んでいたんですが、そのふたつのジャンルはアプローチは違うけれど、文体への意識が高い気がしていました。

 当時、ライトノベルではないエンタメ小説小説をあまり読んでいなかったのは、手に取った本がストーリー展開に重点が置かれたものばかりで、文体で面白みを作ろうとしている作品に出会えなかったからなんですが、秋田禎信先生は文章がめちゃくちゃ面白いんですよ。比喩表現も好きですね。たぶんですけれど、秋田先生は海外文学が好きで、英語文の翻訳みたいな文章に影響を受けていると思います。私の中では、その情報の並び方がすごくしっくりくるんです。私の文体も部分部分で英文の翻訳みたいになるんですけれど、そのほうが情報がカチッとはまるんですよね。

 作品でいうと、最初は『魔術士オーフェンはぐれ旅』をぼんやり読んでいたんですが、高校生の時かな、『閉鎖のシステム』という1冊完結の本が出て、それがめちゃくちゃ好みだったんです。それを読んだ後で「オーフェン」に戻ると解像度が上がって、面白さのポイントをしっかり押さえられるようになりました。そこから秋田先生がめちゃめちゃ好きになりました。

 『閉鎖のシステム』は、あるショッピングモールが停電して人々がそこに閉じ込められたところ、殺人鬼がいて死体が見つかって脅迫文が血で書かれていて...みたいなところから始まるんです。数人の視点が移り変わる群像劇なんですが、みんな疑心暗鬼になってどんどん暴力的になっていく。当時の理解を今憶えている理解でいうと、結局、殺人鬼がいたほうがいいんだという世界なんですよ。最初に起こった殺人事件が、普通の人間が起こした事件ではなくちゃんと狂った悪い人間が起こした事件であったほうが世界は平和なんだっていう着地なんです。その感じがすごく好きで。そういうテーマ性で書く作家さんなんだということを持ち帰って「オーフェン」を読むと解像度が上がります

――夏目漱石を読んだきっかけは。

 わりと10代20代は文字であればなんでもいいやという感じだったので、たぶん有名どころだから読んだんだと思います(笑)。最初に『吾輩は猫である』を読んで「あ、面白いな」と思い、次に読んだ『草枕』で大ファンになった流れです。『坊っちゃん』はそこまでではなくて、後期の『こころ』とかになると「じめっとしているな」という印象になっていくんですけれど。

 私の中で『草枕』って、ひとつの理想的な小説なんです。あれってわりと自己言及的というか、自分がやろうとしている活動についてずっと語っているみたいなところがある。そこに影響を受けている気がします。作中、小説の本を適当に開いて読んでいて女の人に「それで面白いんですか」と訊かれて、最初から読むと最後まで読まなきゃいけない、と言うんですよね。私もずっと、小説を最初から最後まで読まなきゃいけないことに軽い苛立ちを感じているんです。どいうことか言語化するのは難しいんですけれど、なんというか物語の接し方としては、最初から最後まで読むのってフィクションのような気がするんですよね。ページを開いて適当に読んだほうがリアルな気がする。自分で書く時には一応丁寧に書こうと気を遣うんですけれど、読む時は「こんなに丁寧に書かなくていいのに」とずっと思っているんです。「なんですべての事情が分かってしまうんだろう」って。

 『草枕』はわりとそうした思想的な部分の影響を受けています。ですから小説に限っていうと、『モモ』と『二分間の冒険』と秋田禎信先生と『草枕』でわりと私はできています。小説に限らなければ、そこにスピッツが入ってきます。めちゃめちゃ影響を受けている自覚があります

――スピッツですか。いつくらいから聴いていたのですか。 

 高校生の頃からですね。歌詞がちょうど好きなひねくれ方をしているというか、ひねくれてないからこそひねくれているように見える感じが気持ち良かったんです

――具体的にどの曲のどの歌詞が好き、というのはありますか。 

 全体像としてあるので、ここのこれ、と挙げるのが難しいんです。好きな曲はその時その時で違いはするんですけれど、フラットだからこそひねくれているものの例示として挙げるなら、「8823(ハヤブサ)」の歌詞の〈君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ〉というところですね。君を幸せにできる、ということの言い換えとしての〈不幸にできる〉というワードセンスにべらぼうに憧れます。自分もこれがやりたいなと、ピンポイントで思っていた10代の頃があります。

 あとは「夢追い虫」の〈削れて減りながら進む〉という歌詞は、私の中のヒーロー像としてずっとあります。私がヒーローを書く時はだいたい、削れて減りながら進んでいる、と思いながら書いています。だって、進むと絶対削れるじゃないですか。物理的にも絶対に靴底は削れているはずだし。そこにカメラのピントを合わせるところが好きですね。息が上がるとか汗が流れるとか叫ぶとかじゃなくて、「靴底が削れる」なんです、私の中のヒーロー像は

コミックやゲームからの影響

――漱石の他にも古典的な作家は読まれたのですか。

 そうですね。太宰治も好きです。文体がいいから。『人間失格』は最初、三葉の写真の説明から始まるじゃないですか。1枚目は子どもの頃の写真で、笑っているけれど本当は少しも笑っていないという説明のあと、〈猿だ。〉の一言があるんですよね。この〈猿だ。〉と言い切る格好良さ。確かに猿って笑っているように見えるけれど、本当には笑っていないですよね。そうした部分をフィーチャーしていくと、太宰は現代の文章を変わらないことをやっていると思うんですよね。あの時代にきれいな文章を書く人はいっぱいいるけれど、今の文章の感覚で読める人、時代を無視して面白い文章を書いている人は太宰だという気がします。

 でも、『草枕』の冒頭も好きなんですけどね。〈智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。〉...好きすぎて大学生の頃は2ページくらい暗記していました。

 あとはでも、あの頃は誰の本か気にせず適当に読んでいたので、はっきり憶えてないものが多いんですよね。高校生の頃に気まぐれで借りた分厚いノベルスで、主人公が事故で視力を失って匂いだけの世界で生きるようになる話が面白くて、そこからエンタメ小説も読むようになったんですが、その本のタイトルも憶えていないんです

――読む本はどう選んでいたのですか。タイトルとか、装丁とか...。

 当時はタイトルで選ぶことが多かったと思います。高校生の頃は、自分で買う場合はお金がなかったので、本屋の単行本のコーナーには行かず、古本屋の100円均一コーナーで立ち読みしてから選んでいました。当時はまわりに本を読んでいる人がいなかったので、どの本が有名かも分かっていなかったんです。村上春樹も大学に入るまで知らなかったし。とにかく本屋や図書館を歩き回って自分で探すしかなくて、誰が有名かどうかなんて知らないで選んでいました

――海外作品を読むことは少なかったんですか。

 国内作品のほうが多かったです。でも敬愛する秋田先生が雑誌でアメリカのロス・マクドナルドという作家を褒めていたので読んでみた、などということはありました

――『さむけ』とか?

 そうです(笑)。読んで秋田先生とドライさの手触りが似ていて「あ、なるほど」と思いました。秋田先生の小説はドライではなく感情的だと思うのですが、表面部分のドライさが似ているのかな。あとは秋田先生の作品と同じキャラクター名が出てきたのでここから取ったのかな、と思ったりもしました

――漫画やアニメ、ゲームなどで影響を受けたものはありますか。

 漫画とゲームは結構ありますね。一方で映像作品はあまり得意じゃないんです。私にとっては、自分で文字を送れるところが大事なんだなと最近気づきました。あっちのスピード感で情報が入ってくるのが嫌なんです。ページをめくるにしてもボタンをクリックするにしても、こっちのスピードで情報を処理したい。気持ちが高まってくると速く読みたいですし、クリティカルな一文に出会ったら一瞬本から顔を上げたい。もちろん映画などはそういうことを完全に計算して作っていると思うんですけれど、こっちの処理スピードとは違うよな、となりがちなので。

 それで、漫画でいうと、『封神演義』ですね。「ジャンプ」の連載のを読んで面白いなと思い、原作も読んだくらいです。原作ではなかなか太公望が出てこないんですよね(笑)。太公望ではなく姜子牙(きょうしが)と呼ばれているし。

 『封神演義』の主人公像もひとつの憧れではあるんですよね。とにかく強い、という設定ではなくて、知力でなんとかしようという姿勢がある。それに頼り甲斐があるわけでもないのに信頼されている、あの感じも好きでした。ずっと影響を受けている気がします。

 漫画は他に『トライガン』にも影響を受けていると思います。内藤泰弘さんの漫画です。舞台は砂漠の惑星で、プラントという巨大な電球みたいな物体の中に人工生命体がいて、その周りだけ緑が茂っていて人が生きている。その惑星で旅をしているガンマンの話です。これは漫画でしか表現できない、絵の上手さ、キメゴマの面白さといったといった瞬間瞬間の魅力がありました。設定も好きでしたね。主人公は、問題ばかり起こすからはじめて人間なのに災害に認定されたために、保険協会の女性二人に追われるガンマンなんです。でも本人は愛と平和が大好きだという(笑)

――ゲームのほうは何がお好きでしたか。

 今この瞬間でいちばん影響を受けているのが「MOTHER2」なのは間違いないです。糸井重里さんが作った「MOTHER」というゲームの2作目です。これは純粋に、文章力がものすごいんです。町の住民の台詞も全部糸井さんが書いているという、ものすごくリッチなゲームです。発売してすぐではなく、高校に入ってから友達に薦められて始めたんですが、それまで私が知らなかったタイプの文章の力で、そこから学んだ技術みたいなものは確実にあると思います。ストーリーは、少年が、落下した隕石から出てきたカブトムシ的な生き物に、もうすぐ地球がギーグという悪い奴に侵略されてヤバイことになるけれど、君とあと3人の子どもたちが力を合わせればなんとかなる、と言われて旅に出るという内容です。

 主人公は喋らないんですけれど、おそらく明るくて友達が多い元気な男の子なんですね。基本の名前がネスなのでそう呼びますが、ネスの家の隣には幼馴染みのポーキーという男の子が住んでいて、その子はずるがしこくて、たぶん親からあまり愛されていなくて、暴力性がまあまあ高い子です。

 最初に隕石を見に行った時、ポーキーも一緒にいるんです。つまりネスが「君はヒーローになる」と言われているところに一緒にいて、自分も仲間の一人になるんじゃないかとドキドキしているんですが、結局そうではない。ネスは冒険をしてどんどん仲間もできて強くなっていくんですが、ポーキーはネスの後を追ったり先回りして悪いことをする。それがちょっとずつエスカレートしていくんです。「MOTEHR2」のファンはだいたいそうだと思うんですけれど、この、ポーキーがいるってことがめちゃくちゃ大事で。ネスの体験は波乱万丈だし愛に溢れた物語で、プレイヤーはそれを体験していくんですが、その裏にずっとポーキーがいる。彼もいろんなところで成り上がるけれど毎回ちゃんと失敗して、最終的に認められない。私は基本的に悲劇は嫌いなんですが、ポーキーにはある種のヒーロー性を感じます。過去のポーキーから見たら今のポーキーは幸せそうじゃなくて、強がっているだけなんじゃないかと思うんだけれど、必死に幸せになろうとしている姿や、ネスへのゆがんだ愛情を捨てられないところに、ある種の生命力や格好良さを感じます。

 あとはゲームファンでもそうそうプレイしていない「エンドセクター」という、プレイステーションのゲームがありますね。戦闘パートはカードゲームなんですけれど、基本的にはノベルを読んで選択肢を選んでいくタイプのゲームです。これは最終的に天使と悪魔が闘う世界に行きつくんですが、大事なポイントを言うと、そのゲームの定義においては、天使側は秩序の象徴であり正義がなく、悪魔側は正義の象徴であり秩序がないんです。その建て付けがすごくいいなと思って。高校生くらいの時に感銘を受けました。

学生時代の読書と執筆

――話は戻りますが、中学生の時にワープロをもらって小説を書き始めたとのことでしたが、どのような話を書かれていたんでしょうか。

 正確には、中学3年の終わり、卒業して高校に入るまでのどっちつかずの時期から書き始めました。当時は『トライガン』が好きだったので、砂漠の惑星の話を書いたと思います

――そこからずっと小説を書いてきたのですか。

 高校時代は年に1作長篇を書こうと決めて、義務的に3年間で3冊書いたはずです。毎年夏休み中に長篇を書くことにして、春から準備して、夏の終わりくらいまで書いていました。他の時期はショートショートとかを書いていましたね。星新一も好きでしたから。

――SFやファンタジー要素のある作品でしたか。

 長篇となるとそうでしたが、短いものはなんでもありでした。3人の男が信号待ちをしながら自由とは何かを語り合うだけの話とか(笑)。赤信号で足を止められているのは自由ではないけれど、信号無視して渡るのは自由かどうか語り合っているんです。

――河野さんは倫理などにも関心がありそうだなと思うのですが、倫理とか哲学の本とかは読みませんでしたか。

 ああ、『ソフィーの世界』は好きでした。哲学は高校生の時に一瞬興味を持ちました。最新の哲学を知りたかったんですけれど、今の哲学者の本を手に取っても、だいたい過去の説学者の説明しかしていなくて。当時は即座に利益がほしかったので、「僕はお前の話を聞きたいのに」と思って(笑)、興味を失くしていきました。でも、『ソフィーの世界』は面白かったです

――大学の進学先はどのように決めたのですか。

 大阪芸術大学の文芸学科に入りました。ざっと調べた範囲で、文学の研究でなく書くほうをメインに教えている学校があまりなくて。それと、大阪に伯母が住んでいたので、そこに置いてもらえるということだったので大阪にしました

――創作が学べる学科を選んだということは、その頃にははっきりと、小説家になりたいと思っていたわけですか。

 高校生の時にはもう小説家になりたいと思っていました。中学の時に物語よりも文体が好きになったので、そうすると小説家だよね、って。でもなれるとはあまり思っていなかったんです。最初、高校卒業後の進路については自分なりに真面目に考えて、専門学校に行ってなにか手に職をつけて、働きながら裏で小説家を目指すというプランを立てたんです。親に「専門学校に行く」と伝えたら「まあ大学は行っとけ」と言われ、大学に進学したんです。なので、裏で小説を書く人ではなく、しっかり目指さないといけないなという気持ちになってきました

――授業では実際に創作をしたのですか。

 多少はしていましたが、どちらかというとサークル活動のほうが糧になりました。文芸サークルに入って、はじめて周りのみんなが本を読んでいる環境になったんです。本の情報をダイレクトに受けるようになって、楽しかったですね。たぶん、そこで伊坂幸太郎さんも読むようになったし、たしか在学中に森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』が本屋大賞2位になってサークルで話題になっていたりして。

 合評会もあって、尊敬する先輩に読んでもらうのがすごく励みになったし勉強になりました。月1回書いて部室の封筒に入れておいて、全員分刷ったものをホチキスで留めた冊子を使って合評会をして、あとは年に1回機関誌みたいなものを作っていて、そこには小説を載せたり、プロの作家さんへのインタビューを載せたりしていて。

 私、4年生の時に米澤穂信さんにインタビューしてるんです。私ともう一人、『さよなら妖精』がすごく好きな部員がいて、お話聞きたいねと話して試しにお願いしてみたら、意外と作家さんも大学生の取材を受けてくださるという

――おお、米澤さんに。何を刊行された頃でしょうか。

 『ボトルネック』が出る直前で、サークルに献本をくださってものすごく感激しました。その機関誌の同じ号には、「ひぐらしのなく頃に」などの竜騎士07さんへのインタビューも載っているんです。超リッチですよね。その瞬間だけを切り取ると輝かしいサークル活動でした(笑)

――落語研究会にも入っていたそうですね。

 1年生の時になんとなく入ったんです。どちらかというと運営側の人間でした。マネージャーとしての動きが楽しかったんですよね。会長だったので、老人ホームと交渉して部員を連れていって高座をやらせて、御車代的なものをもらってその金でみんなと飲む、とか。

 落語の文章ってきれいだなって思ったんですよ。一人称の文体で同じものが何世代にもわたって推敲され続けているので、稀有な文学ではありますよね。笑おうと思って聞くのではなく、物語の朗読を聴くテンションで聞くといろんな面白みがあります。楽しかったり怖かったり、物語として面白いと思います。もともと自分は自然な会話文を書くのが苦手なので、落語は役に立ったはずなのに、いまだに自然な会話を書くのが苦手で...。もっと学べることがあったんじゃないかと思います

――大学時代もなんでも読む、という感じでしたか。

 そうですね。当時もお金がなかったので、ブックオフの100円均一のコーナーで一番ページ数のあるものを買うとか。中身は無視して、1ページあたりの単価が安いものを選んでいました(笑)。追いかけている作家や、まわりで話題になっていて面白そうなものは泣く泣く定価で買っていましたが

――好きな作家さんはいませんでしたか。

 インタビューした米澤穂信さんは大好きでしたし、恩田陸さんも好きでした。サークルでは森博嗣さんと西尾維新さんが二大巨頭という流行り方で、そのなかで私は舞城王太郎派でした。尊敬する先輩が舞城派だったので。『世界は密室でできている。』なんてめちゃめちゃ好きでしたし、いまだに好きです。ストーリも好きなんですけれど、特にクライマックスあたりにある「何たるアンチクライマックス」っていう1文が格好良すぎてたまらないですね。

 ルンババという少年の探偵がいて、すごく聡明なんだけれど、お姉さんが転落事故で死んだことが心の中でひっかかったままなんですよね。そのことに気づいている主人公たちが、お姉さんが落ちた屋根にルンババを立たせて、下に布団をたくさん敷いて、俺たちが助けるから大丈夫、飛べ、って言うんですよね。ルンババが珍しく感動して、自分の感情を吐露しようとしたら主人公がそれを遮って「はよ飛べー!」と言うと、ルンババが「何たるアンチクライマックス」と言って飛ぶ。そこまでの持っていき方がめちゃめちゃ好きなんです。この小説のクライマックスとして、これ以外の台詞ってたぶん存在しないよなっていうくらいかっちりハマっている。

 乙一さんにも本当に影響を受けました。大学生の頃に『失はれる物語』を繰り返し読んでプロット構造とかを考えていました。私の物語づくりに関してはこの本がベースになっている気がします。

 それと、大学生の頃は筒井康隆さんにもハマりました。当時好きだったのは『虚構船団』で、今いちばん好きなのは『旅のラゴス』です。筒井さんはものすごい作家ですが、私がやりたいこととは違うことをやっていると思っていたんです。でも、『旅のラゴス』はまさに私がやりたいことをやっていて、打ちひしがれました

――やりたいことというのは。

 なんというか...。感情の書き方なんですよね。喜怒哀楽を立たせて書くんじゃなくて、ぐっと理性で押さえつけてもなお消えない感情を書くみたいな感じ。それが私の憧れでもあるので。それと、あの小説は、ものすごく壮大な半生をあのページ数で書いておきながら書き急いでいる感じがしない時点でものすごいと思っています。この小説も最後がめちゃくちゃきれいなんですよ。旅の序盤で出会った少女がいるんですが、旅をして壮年期に入ったラゴスが彼女のところに行こうとするところで終わる。そのシーンがすごくきれいで。読んでいる間ずっと面白くて、それを超越して最後のシーンがきれいだという。基本的には一冊すべての物語がひとつのきれいなシーンに集約する小説が好きなんですが、『旅のラゴス』はまさにそういう小説ですね

作家デビュー

――そういえば、文芸サークルでは、部員のみなさん、新人賞に応募したりはしなかったのですか。

 意外とみんながっつりプロを目指している雰囲気でもなかったですね。あくまでも趣味だからという温度感の人が多かった。私は、1年生の時は自分の文章がすごく嫌いだったので小説を書くのはやめて短い文章ばかり書いて文章力を底上げをして、2年生で短篇、3年生で長篇を書こうと決めていました。なのであまり長篇は書いていないんです。気まぐれに新人賞に応募をしたこともあったけれど結果は出ていないです。それで、3年で書いた長篇を4年生の時にグループSNEという会社に送って採用されました

――それは入社試験に受かったということですか。

 非常に変わった会社なんです。普通に社員募集をしているんですが、当時は募集していたのがゲームデザイナーと小説家だったんです。私は小説家のほうで応募したという流れですね

――そういう時ってどんな小説を送るんですか。

 グループSNEの社長は安田均という、ライトノベルの歴史と密接に関わっている人なんです。「ロードス島」を世に出したり、ライトノベルの賞の審査員をやったりと、土壌を作ってきた人ですね。なので、私もライトノベル系の小説を送りました。それが22歳の時なんですが、応募作はのちに書く『サクラダリセット』に近いものがありました。ストーリーは全然違うんですけれど舞台設定やキャラクター設定はまあ近くて、主人公の名前が一緒で。あきらかに同じ文脈の上にあると思います

――入社すると、どういう形で働くことになるのですか。

 仕事を振られてそれをやったら原稿料がもらえるんです。所属している作家の小説企画を出版社にもっていったりもするので、出版社と作家の間にSNEが入っているスタンスだと説明するのが客観的には正しいのかな。

 最初のうちは先輩がやっている仕事を手伝って雑誌にちょっとした記事を書いたりもしていたんですが、私がやりたいことは小説だったので、何本か書いて統括という立場の先輩に読んでもらって、その人が出版社の人に原稿を渡して、出版しましょうとなって24歳の時に『サクラダリセット』でデビューしました

――『サクラダリセット』は全7巻ですよね。最初から全部構想があったのですか。

 全然なかったです。リセットという能力を使える女の子がいて、でも一人だとリセットした時に自分の記憶もリセットされてしまうので、全部憶えている主人公とコンビになってはじめて意味があるという建て付けだけ決めて、あとは何も決めずに書き始めました。なんとなくハードボイルドっぽくしようかなとは考えていましたね。当時チャンドラーの『長いお別れ』が好きだったので、古典的な私立探偵ものといえば猫探しだと思い、それで猫探しの話を勢いで書いて(笑)、あとは次のページが何が起きるか自分でも分からないままに書き進めました。

 本が出ることになった時に、編集者さんから「この先どういう展開になるか5冊分くらい考えておいて」と言われて慌てて全体像を考えたんです。あと5冊では終わらないなと思い、結果的に7冊になりました。

 ただ、1巻を出した後、糖尿病で入院したんです。それで出版社が望むペースで出すのは無理だ、となりました。ライトノベルのシリーズは3、4か月に1冊出すのがわりと定石なんですが、それは無理なので、その分1冊1冊丁寧に納得のいくものを作ることにして、半年に1冊くらいのペースで出していきました

――そうでしたか。事前にしっかり全貌を考えてから書かれたのかと思いました。

 私の場合、考えているのかと訊かれたら考えてない、考えてないのかと訊かれたら考えていました、と言うくらいの温度感です。

 雰囲気は決まっているんですよね。今振り返ると、もうその作り方はできないんですが、あのシリーズは感情が先に決まっていたんですよ。ストーリーを考えようとすると何かしらの感情が湧いてくるんですが、それが喜びとか哀しみといった分かりやすく表現できる感情ではないので、なぜ自分がその感情になるのか逆算する作り方でした

――それは最終的な感情ですか、それともいくつかのシーンごとの感情ですか。

 各巻、3つ4つの感情がある感じでしたね。たとえば第6巻で、相馬菫というキャラクターがシャワー室で告白するシーンがあるんですが、その時の感情は2巻くらいから頭にあって、でもどんなストーリーの結果その感情が生まれるのか分からなくて。その感情を作り上げるためにストーリーを作り上げる、という感じでした。今はもうちょっとまともにプロットを考えるんですけれど

――すごい。それであれだけのストーリーを作り上げられたのだから本当に不思議です。チャンドラーの『長いお別れ』が好きだったとのことでしたが、それはさきほどちらっと名前が出た村上春樹さんの影響もあったのですか。村上さんも新訳で『ロング・グッドバイ』を出されてますよね。

 そうですね、チャンドラーは村上春樹の影響もあったと思います。私は高校生の頃に秋田先生とスピッツの影響を受けてそれらミックスした文章を書いていたんですが、大学生になってから文体が村上春樹に似ていると言われ、じゃあ読んでみようと思って村上作品を読んでみたんです。確かに私の理想に非常に近い文体で書いていました。で、文章を学ぼうと思って小説や翻訳を読むようになったんです。『ライ麦畑でつかまえて』は春樹訳より前に読んでいたと思いますが

最近の読書と執筆スタンス

――デビュー後の読書は変わりましたか。

 デビューしてから2~3年はそれまでと同じように読めていたんですけれど、だんんだん小説を書いている時期は他の小説が読めなくなってきて。自分の文章を書いている時は呼吸が合わないものをすべて排除するモードになるので、他の人の小説の地の文が読めなくなるタイプなんです。

 なので、読むとしたら、前に読んだことがあって、文章が好きな人の本を読み返すことが多いですね。村上春樹さんの文章は間違いなくて、深呼吸をするように読めます。

 他には、すごく話題になっているから読んでおいたほうがいい本とか、もしかしたら類似するものが書かれているかもしれない本とか。コミックは読めます。

 小説を書いていない時期には趣味の読書に近いことをしますが、その時でも、この人の文章は面白いと分かり切っている方の本を読みます。なのであまり層を広げられていないですね

――このインタビューでまだお名前が挙がっていない方で、文章がお好きな作家は。

 小野不由美さんの最近の小説は100%安心して読んでいます。大学生の頃に読んだ『屍鬼』もすごく好きで、最近ならKADOKAWAさんから出ている「営繕かるかや怪異譚」シリーズとか。家にまつわる怪異譚の、あの雰囲気が好きです。

 西加奈子さんの文章も好きです。『円卓』という小学生が出てくる小説があって、ああいうのをずっと読んでいたいですね。

 今は古川日出男さんの『MUSIC』を、ものすごくゆっくり読んでいます。よくこの文体で最初から最後までやろうとしたなあと、戦慄しながら読んでいます

――執筆時期の一日のスケジュールはどんな感じですか。

 わりとまばらなんですけれど、理想で言うと、朝、子どもと妻を送っていって、昼から夕方まで仕事をして、夕方子どもと妻を迎えに行って帰ってきて、夜は企画書作成など細々したことはしますが、あまり仕事はしない生活ですね。わりと会社で働いている方と似たタイムスケジュールです。切羽詰まってくると夜も書きますが

――ゲームのお仕事もされていますよね。

 主にアナログゲームです。SCRAPさんのリアル脱出ゲームに代表されるような謎解きゲームのボードゲーム版を作ったり、マーダーミステリーなども作っています

――小説とはまた違う工夫や苦労はありますか。

 マーダーミステリーに関していうと、私の場合はほぼ変わらないです。小説のようにいかに文章表現で見せるかという要素が少ないので、その分、マーダーミステリーは作りやすいと思っていて。それにテストプレイができるのがものすごくいいですね。どこがどういう伝わり方をするのか、プレイヤーの反応がよく分かる。小説もテストプレイしたほうがいいと思うんです。やり方がまだ確立されていませんが

――モニターに読んでもらって感想をもらう、というのとは違いますよね。

 30ページずつ読んだらアンケートに記入してもらうといった、細かなフィードバックが必要でしょうね。テストプレイにおける採点基準のリストを作る必要があるのかな。「どこで読むのをやめたくなったか」とか「どこを読み飛ばしたくなったか」とかいったリストもちゃんと作れたら、小説でもテストプレイができるかなという気はしています。

 まあその反面、小説って別に読者のために書いているとは限らないですよね。これはしっかりエンタメでやろう、という小説ならテストプレイがあるといいなと思いますが、これは自分のわがままで書いている、という小説に関してはその状態が許される世界であってほしいです

――河野さんが、自分のわがままで書いた小説はどれですか。

 そもそも『サクラダリセット』も世の中に送り出す商品として書いていないんです。階段島シリーズ1冊目の『いなくなれ、群青』なんかは意図的にエンタメをやらないようにしようとしていたくらいですし

――"捨てられた"とされる人たちが暮らす不思議な島、階段島の話ですね。そこに平穏に暮らしていた高校生の少年が、幼馴染みの少女と再会して...という。大ヒットシリーズですが、あれはエンタメをやらないようにしていたのですか。

 最初の原稿は、読み筋には頼らず書こうとしていて、連続落書き事件もなかったし、「ピストルスター」って単語もなかったです。とにかく階段島という舞台で主人公たちが会話をしているだけの話でした。最初、ムーミン谷のイメージだったんですよ。現実にある概念をより概念化した島、みたいな感じで書いていました。当時、私らしさみたいなものを模索していたんです。いちばん尖っていましたね。

 そこから編集さんに言われてエンタメ寄りになっていきました。ぼんやりと、第1巻で主人公のヒロインを書き、2巻で島を書き、3巻で現実側を書いて4巻でそれらを掘り下げて、5巻でまだ主人公たちに戻るという流れを考えていました。さらに大人の話も入れないかということになり、全6巻になりました

――2月に第6巻が刊行されたばかりの『さよならの言い方なんて知らない。』シリーズの場合はどうですか。高校生の少年が突然「あなたは架見崎の住民になる権利を得ました」という手紙を受け取り、異世界に連れていかれる。その架見崎という場所では、人々がいくつかのチームに分かれて領土争いしているという...。登場人物それぞれの能力や、争いのルールなどかなり詳細に設定が決められていますよね。

 他の作品よりはわりと世界観を作っているんですけれど、このシリーズはいちばんストーリーがどうなるか分からないですね。いつもシリーズものって、書き進めているうちにだんだん分からなくなるんですけれど、これはようやく分からなくなるところまで来たんです(笑)。ゲームの細かいルールについては、自分はわりと作れるほうだと思うので、基本的には書きながら詳細を作っています

――5巻で判明する真実にもう、びっくりしました。

 私は、こうせざるをえないな、みたいなところをそのまま書くところがあります。今回も、SF的な構造を考えた時に、ああいうことにしないと私が納得できなかったので

――そうした設定の緻密さや破綻のなさはもちろん、相手の戦略や戦術を読んで展開する頭脳戦に関しても、すごく理性的でロジカルですね。

 勢いで書いているので詳細に検証すると穴がある気はするんですけれど。私の基本的な姿勢として、理性も感情のひとつだと思っているんですよ。

 「理性的」と「感情的」を対立項として考えていないんですよね。理性的でありたい人が理性を選ぶ理由って、感情でしかありえないじゃないですか。自分が理性的な人間であるのが好きだという感情がある。だから作中の人物がめちゃくちゃ理性的に話しているシーンは、感情的な気持ちで書いていると思います

――『さよならの~』はこの先、どこまで話が続くのでしょうか。

 編集者からは「長くしましょう」と言われています(笑)。『サクラダリセット』や階段島のシリーズは、ライトノベルとしては短いんですよね。なので、エンタメシリーズとして、これはもっと長くしましょう、という提案ですね。

 さきほど私らしさを模索していた時期の話をしましたが、このシリーズが始まる頃は自分のスタイルがまとまったかなと感じた時期で、エンタメシリーズと並行して自分の我を通した1冊完結の本を出していこうと考えていました。

 なので、『さよならの~』はエンタメとして書いていますが、1冊完結の『昨日星を探した言い訳』や『君の名前の横顔』では、我を通したんですよね。私が考える小説像をそのままやろうとしました。小説ってつまりこういうことである、というのがあの2作のイメージです。

 でもその2作でやり切ったので、このスタンスもひと休みしようかなと思っていて。理想の小説像ってそんなにパターンはないので、今の自分にとっての理想をまた書いても同じものになってしまう。なので、我を通した小説については私の中の理想の小説像が進展するまでちょっと寝かせて、今はエンタメ寄りのものをたくさん書こうと思っています

――『昨日星を探した言い訳』と『君の名前の横顔』で書いた、ご自身にとっての理想というのは。

 言葉で表すのは難しいんですけれど、小説に対する誠実さというか。テーマをいかに大事に扱っているか、ですね。その意味でいうと、『昨日星を探した言い訳』で1回やり切っているんです。あれは明確なテーマがあって、それについて書いて、テーマに対して一行も一文字も矛盾していない小説ですから。エンタメ性も読者の納得感も捨てて書いたので、テーマに対して誠実で、他のすべてに対して不誠実な小説です。

 次の『君の名前の横顔』ではなんとかその先をみつけたくて、今の私の生活環境に寄せた小説にしようと思って。それで今の私にとって身近な存在である、子どもの話にしたんです。その代わり、やっぱり完全にテーマだけの小説にはならなかったですね。語りたいことだけではなく、物語展開のためにこうしている、というところがあります。

 なので、やりたいことをやろうとした、ということでいうと私の中で『サクラダリセット』と階段島シリーズと『昨日星を探した言い訳』の3作が繋がっていますね。『サクラダリセット』の時はまだやりたいことしかやれなくて、階段島では意識的にそれをやろうとして、『昨日星を探した言い訳』はその延長線上で書いて、そこで一連の流れがいったん完結しています。だから、5年くらいはほったらかそうと思っていて。5年も経てば、自分の中での理想も変わっているでしょうから

――『君の名前の横顔』で思い出したんのですが、あの小説では少年が「ジャバウォック」を怖れるようになり、兄がその正体を探りますよね。ジャバウォックは『鏡の国のアリス』に出てくる正体の分からない怪物ですが、ああいうふうに作中に入ってくる先行作品のタイトルやモチーフもやはり、読んで好きだったものから選んでいるのですか。

 やっぱり小説そのものが好きなので、作中に他の小説を出すのは好きです。『鏡の国のアリス』に関しては、何年か前にあれを題材にしたアナログの謎解きゲームを作ったことがあって、その時に情報を取り込み直していたので使いやすかったんです。他にもホームズの謎解きゲームも作りましたが、その時も作る前にちゃんと調べて情報を取り込み直しています

――小説を書く際に、何か調べたりインプットしたりすることはありますか。

 ごくごくまれですが、必要があればやります。今ちょうど、必要があって日本の神様について調べています。でも私は記憶力がないので、今調べていることもその小説を書き終えてしまえば忘れちゃうんだろうなと思います

――日本の神話が関わってくる小説を書かれているのですか。

 「別冊文藝春秋」で連載する予定の小説を書いています。1000年前に恋仲の男女が水の神様によって引き裂かれ、そこから彼らは転生を繰り返してきたという、現代の話です。女性は転生した記憶を持っているけれど、その男性に恋した瞬間にすべてを忘れてしまう。男性は転生した記憶を失っているけれど、その女性に恋した瞬間にすべてを思い出す。愛し合った瞬間にすれ違う二人の話です

――面白そう! 他にはどんなご予定がありますか。

 ボードゲームの仕事などもやっていますが、メインの仕事でいうと、これから『さよならの言い方なんて知らない。』の7巻にシフトしていきます。早々にプロットを固めないと、と思っています

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