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【静岡編】少年の成長と青年の激情と 文芸評論家・斎藤美奈子

井上靖ゆかりの地に立つ「しろばんばの像」=静岡県伊豆市湯ケ島、全日本写真連盟・樋田進さん撮影

 熱海の海岸には、マント姿の男が日本髪の女を蹴飛ばす像が立っている。明治のベストセラー、尾崎紅葉金色夜叉』(1898年/新潮文庫ほか)の一場面を再現した、いわば熱海のランドマークだ。

 男は間貫一、女は鴫沢(しぎさわ)宮。二人は許嫁(いいなずけ)同士だが、銀行家の息子との縁談を受けた宮の裏切りが貫一には信じられない。必死の説得を試みるも失敗。ついには〈ちええ、腸(はらわた)の腐つた女! 姦婦(かんぷ)!!〉という捨てぜりふとともに恋人を蹴飛ばすのだ。

 DVの現場というべきこの像の今日的な価値はまあ、反面教師としてのそれだろう。〈話があるから今夜は一所に帰つて〉という宮の懇願に貫一は耳を貸さなかった。

 温暖なイメージとは裏腹に、静岡県はかような愁嘆場を含むドラマチックな物語の舞台になってきた。

 『金色夜叉』と同じ明治のベストセラー、泉鏡花婦系図(おんなけいず)』(1908年/新潮文庫ほか)もそう。これは知的エリートが後に豹変(ひょうへん)する、近代の日本文学には珍しいピカレスクロマン(悪漢小説)である。

 主人公の早瀬主税(ちから)は陸軍参謀本部のドイツ語翻訳官。が、前歴は「隼(はやぶさ)の力(りき)」を名乗るスリだった。芸妓(げいぎ)だった恋人との仲を引き裂かれた彼は失意の中で故郷の静岡に戻り、ドイツ語塾を営みながら、出自や血筋にこだわる上流の者たちへの復讐(ふくしゅう)を誓うのだ。ラスト、静岡の名門一族当主との対決シーンは市内の名所・久能山。しかもそれは日蝕(にっしょく)の日であった。太陽が欠ける中で火を噴くピストル。圧巻の幕切れである。

 伊豆半島に目を転じよう。

 といえば、外せないのはやっぱり川端康成伊豆の踊子(おどりこ)』(1927年/新潮文庫ほか)だろうか。天城峠の茶屋で旅芸人の一行と出会った一高生が下田に向かうロードノベルだが、彼は踊子への思いが恋だと気づき、別れた後の船で泣く。これも一種の失恋小説といえる。

 もっとも、仮に伊豆を代表する文学を1作だけ選ぶなら、私は井上靖の自伝的小説『しろばんば』(1962年/新潮文庫)をあげたい。

 舞台は大正期の中伊豆・湯ケ島。主人公の洪作は母の実家の一角にある土蔵で、曽祖父の妾(めかけ)だったおぬい婆(ばあ)さんと暮らしている。そんな複雑な人間関係の中で、少年は人生を学び、沼津や三島や下田へと行動半径を広げる過程で外への目を開いていく。『伊豆の踊子』が外から来た若者が旅する物語なら、こちらは少年が伊豆を旅立つまでの物語。胸キュンの少年文学といえるだろう。

 一転して現代の静岡。乾くるみイニシエーション・ラブ』(2004年/文春文庫)はバブル期の静岡市を舞台にした青春小説だ。主人公の鈴木は静岡大学の学生。市内の歯科医院で働くマユと合コンで出会って付き合いはじめた。が、就職した鈴木が東京勤務となり、遠距離恋愛がはじまった頃から二人の仲はこじれはじめる。都会の暮らし。新しい恋人。ありがちな恋愛の顚末(てんまつ)。

 と見せかけて、この小説、じつは最後の2行で大逆転劇が起こるのだ。巧妙なしかけで読者を驚愕(きょうがく)させた、平成のベストセラーである。

 再び熱海。貫一と宮の物語は橋本治の遺作となった『黄金夜界』(2019年/中央公論新社)で現代に甦(よみがえ)った。貫一は東大の経済学部生。美也はぐっと今風にMIAの名前でモデルもしている大学生。美也の結婚相手も今風で、大手サイトを運営するIT企業の社長である。

 〈大人になりたかったの。ごめんね〉の一言でふられた現代の貫一に恋人を蹴飛ばすなんて野蛮なまねはもうできない。熱海の海岸に立つ像を見て彼は思うのである。〈怒ってすむなら簡単だよな〉〈僕は、勘違いをしてたんだ。僕は、なんにも知らないで、ただ生きてたんだ〉

 怒るかわりに声を上げて泣き、スマホを海に投げ捨てる貫一。ここには『金色夜叉』に対する批評性が感じられる。失恋で鼻っ柱をへし折られ、泣き伏す男たち。青年の人生はそこからはじまる。穏やかな静岡の底には激情が眠っている。=朝日新聞2022年4月2日掲載