人と話すのが苦手だった
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
年の離れた兄がいるんですが、親が兄のために買った本が家に結構あって、そこから気に入ったものを見つけて何回も読んでいました。日本の昔話や世界の民話を集めた分厚い本があって、それを一人でパラパラめくっていた記憶があります。話は簡略化されていたし、ふりがなもついていたし、挿絵もあったので、一人でも読めたようです。怖い話や悲しい話のほうが好きだった気がします。絵本でも、トロールが出てくる『三びきのやぎのがらがらどん』みたいに、何か巨大なものや怪異的なものが出てくるものを面白いと思っていました。他には、やなせたかしさんの、アンパンマンの最初の絵本『あんぱんまん』も記憶にあります。
――小学校に上がってからはいかがでしたか。
兵庫県の田舎の小学校だったんですけれど、今思うと図書室の本が充実していたんです。新着本が毎月ありました。そこで『ズッコケ三人組』とか『かいけつゾロリ』のシリーズを借りて読んだりして。ただ、小学生の頃の読書は、内容をぜんぜん憶えていないんです。あまり内容は気にせず、なんとなくのムードで読んでいたんですね。ハラハラしている雰囲気だからから楽しい、といったふうに、頭で考えるというより身体で感じるように本を読んでいたように思います。
あとは兄が『遊☆戯☆王』のカードゲームをやっていたので、そのカードを眺めてテキストを読んだりしていました。漫画もよく読んでいたんです。ちょうど『ONE PIECE』や『NARUTO』が始まった頃だったのかな。
――今振り返ってみて、どんな子どもだったと思いますか。
活発ではなくて、無口でした。外でも家でもあまり会話をしていなかったかもしれません。人見知りということもありますが、会話が大事なものだとあまり思っていなかったんです。親に「学校どうだった?」と訊かれても、「楽しかった」とも「楽しくなかった」とも言いたくなかった。家族であっても人と話すことに緊張していたんだと思います。自分のことを話して、そのことでからかわれるかもしれない、というのがあったのかもしれません。田舎だったので幼稚園から小中高と、周囲に顔なじみが多くて、小さい頃からもう一人一人のキャラクターが定着していて。そこからはみでるのが怖かったのかな。人が怖いということの反動で本を読んでいたのかもしれません。
――どんな遊びをしていましたか。
友達とも遊んでいましたが、家が学校から遠いところにあったので、帰って一人で黙々とゲームしていることが多かったですね。兄が持っていたスーパーファミコンとかプレステとか。年に1回くらい新しいゲーム機やソフトを買ってもらえたので、それをひたすらやっていました。
――学校の国語の授業は好きでしたか。
いろんな小説が載っているので国語の教科書は好きでした。授業で1人1行ずつ読ませる時なんかはものすごく退屈で、一人で勝手に話の先を読み進めていました。文章を書いたりすること自体は好きだったんですけれど、作文は好きでなかったです。求められるものが決まっている感じがして、夏休みの読書感想文の宿題なんかはテンプレを予測して、こういうふうに書いておけばいいんだろうな、と思いながら書いていました。
――いろいろ空想するのは好きでしたか。
それはすごく好きでした。たとえば『ONE PIECE』の悪魔の実なんかも、自分なら何を食べるかなといったことはよく考えていました。一人でいる時間がすごく長かったので、そういうことばかり考えていました。
――自分で物語を書いたり、漫画を描いたりはしませんでしたか。
そういえば、漫画の『金色のガッシュ!!』が流行っていたんです。魔物の子が人間の子とパートナーになる話なんですが、読者が魔物のキャラクターを考えて応募するコーナーがあったんです。それで葉書にオリジナルの魔物を描いて投稿した記憶があります。
――その頃、将来何になりたいと思っていましたか。
何にもなりたくなかったんです。卒業文集に書く将来の夢も「宝くじに当たりたい」みたいなことを書いていました(笑)。
――ふふふ。ところで、大前さんの短篇を読むと植物や動物がお好きなのかなという印象があるのですが、小さい頃から好きだったんですか。
どちらかというと、大人になってから人間以外の、人間のそばにあるものが好きだなと自覚していったように思います。
――本以外に、アニメとか映画とかテレビ番組で印象に残っているものは。
ああ、夜更かしする子どもで、わりと日付を越えるくらいまで親と一緒にテレビを見ていたのを憶えています。「ボキャブラ天国」とか(笑)。
中高生の間で流行った「ホムペ」
――中学校に入ってからはいかがでしたか。
小学校とあまり距離が離れていない中学校だったので、教室の面々も変わらず、大きな変化はなかったです。そこでも図書室で本を借りて読むことが多かったですね。たしか、山田悠介さんの『リアル鬼ごっこ』がすごく流行っていたので、その流れで学校の中でのデスゲーム的な話はすごく読んでいました。
それと、毎週何曜日かの朝に15分の読書時間があったんです。そのために買ったんだと思うんですけれど、文豪の文庫作品のカバーを人気漫画家さんが描くシリーズが出ていて。僕はちょうど『デスノート』を読んでいたので、小畑健さんが表紙を描いている『人間失格』を買いました。その頃はわりと自意識に悩んでいたりしたので、中身も面白く読みました。
他には、「ジャンプ」漫画のノベライズも読んでいました。『BLEACH』とか『銀魂』のノベライズがあって、小説オリジナルのキャラクターが出てきたりすることに興奮していました(笑)。
いま思い出したんですが、中学時代の終わりの頃に家のテレビが変わって、ケーブルテレビが導入されたんです。それまで周囲に全然文化的なものがなかったんですが、スペースシャワーTVやMTVのような音楽専門チャンネルを観たりして、漠然と、自分の知らない文化が沢山あるってことを知ったんです。
インターネットもやってはいました。でも、通信速度がめちゃくちゃ遅くて重たくて、ひとつのページを開くのに数分またないといけなくて。それでも、フラッシュ動画とかニコニコ動画などを見ていました。「歌ってみた」動画も流行っていて、こんなふうに一般の人が発信することもあるんだなと思っていました。
――高校生活はいかがでしたか。
通っていた中学校から進学するとしたら、だいたい4つか5つくらい高校の選択肢があって、そのひとつに行ったんです。なので中学からの知り合いもそこそこいて、でも初めましての人が大半、みたいな環境でした。
2年生の時だったかな、携帯を持ち始めたんです。普通のガラケーなんですけれど、当時「ホムペ」というのがあったんですよね。簡単なブログみたいなもので、中高生たちがグループや個人で日記を書いたりするのが流行っていたんです。みんな好き勝手に更新したりそれを見たりしていて、教室で直接会った時にも「昨日見たで」などと話題にしたりして。僕は個人で文章を書いていました。蚊の起源についてとか(笑)。誰かの真似なんですよね。だらだらと文章を続けていって、最後に「という情報もあったりするが、これは真っ赤な嘘である」みたいな落とし方をするのが、たしか「ホムペ」で書かれる文章のジャンルのひとつとしてあったんです。面倒くさくなって数か月で更新は辞めてしまうんですけれど。
――中高時代、部活は何かやっていましたか。
中学の時はバレーボール部でした。でも先輩たちが引退したら急にやる気がなくなってしまって、練習には参加していましたがあまり熱心ではなかったと思います。
高校の時は、家から学校が遠かったんです。20キロくらいありました。今思うとなんでそんなことができたのか分からないんですが、片道1時間半くらいかけて自転車で通学していました。親に車で送ってもらったこともありましたが、だいたい自転車でしたね。
――すごく鍛えられそう...! 学校帰りに書店に寄る、なんてことはありましたか。
TSUTAYAに寄って漫画を買ったり、たまに映画を借りて帰ったりもしていました。受験勉強が始まると参考書を買いに行ったりもしていました。
オススメ本を読み漁る
――高校卒業後、同志社大学の文学部に進学されていますが、進学先はどのように選んだのですか。
まず、一人暮らししたい、というのがありました。その後の人生についてすごく考えたんです。実家から通える距離の大学に進学したら中高生の頃の暮らしとあまり変わらないだろう、大学生になっても今のままの暮らしをしていたら、これから先もずっと今のままなんじゃないか、と勝手に思っていました。とにかく一人暮らしできるくらいの距離の大学に行きたいなと思って、京都の大学を受験したんです。
――大学生活は楽しかったですか。
楽しかったですね。最初の2年は奈良との県境近くにあるキャンパスに通っていたので周囲にあまり文化的な施設はなかったんですが、そこで繁忙期だけ不動産店のアルバイトをしたんです。そのことで、学生にとってはある程度まとまったお金と時間ができたので、なにか趣味でもほしいなと思い、読書を始めたんです。2ちゃんねるのまとめサイトに「お前らオススメの本あげとけ」みたいなスレッドがあったので、それを参考にいっぱい本を買って読みました。それが今の自分の直接的なルーツなんだろうなとは思います。
――どんな本が挙がっていたのですか。
SFの名作が多かったと思います。『星を継ぐもの』とか『夏への扉』とか。カート・ヴォネガットもあったし、日本の作家なら筒井康隆さんとか。
他にも、ポール・ギャリコの『猫語の教科書』とか、ヘッセの『デミアン』やゲーテの『若きウェルテルの悩み』も挙がっていました。伊坂幸太郎さんの『重力ピエロ』や桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』もそのサイトで知って読んだんだと思います。
本は自分で買ってもいたんですけれど、授業の関係で大学の図書館に行ったら結構小説も沢山あると気づき、ちょこちょこ借りてもいました。読んで面白かった作家の他の作品を読んだりもしていました。
――ヴォネガットや筒井さんはどのあたりが好きでしたか。
ヴォネガットは『スローターハウス5』とか『タイタンの妖女』とか。話の筋というよりも、文章の言い回しやリズム感が面白かったです。筒井さんは最初に読んだのが『旅のラゴス』だったんです。そこから他の作品も読みましたが、やっぱりいちばん面白かったのが『旅のラゴス』です。長い時間にわたる旅の話だったからこそ、めちゃくちゃ読書したなという気分になれました(笑)。
――読書記録はつけていましたか。
いえ、読んだら読みっぱなしでした。1冊1冊について思いをめぐらすというより、はやく次の何かを読みたい、という気持ちでした。大学の講義の最中も、授業を聴くのと並行して小説の文庫本を読んだりしていましたね。
――大学時代、読書以外に打ち込んだことや夢中になったことはありましたか。
映画を観るだけのサークルに入ったんです。プロジェクターで部室の壁に投影して、観たい人だけが観る集まりでした。実家にいた頃は年に1回「名探偵コナン」の映画を観に行くくらいの生活だったので、この時に、短期間に集中していろんな映画を摂取した感じです。
どちらかというと、ド直球で名作と言われている洋画が多かった気がします。「レオン」は何回も観たし、「ファイト・クラブ」もよく憶えています。ちょっとサスペンスの要素があるものが多かったのかな。
観たい映画がある人がいつ上映するか決めて、メーリングリストで「来たい人はよかったら」と伝えたりして。部室が空いていれば突発的に一人で観ることありましたし、申請すれば部室に泊まることもできたので、夜通しそこで映画を観ていたこともありました。
――すごく楽な集まりですね。先ほど、子どもの頃はあまり人と会話しなかったというお話がありましたが、その後変化はありましたか。
あまり変化はなかった気がします。映画サークルでも、誰かと一緒にいても上映中は一人で観ているわけだし、終わった後も感想を言い合うわけでもなくて、それが居心地よかったです。人といると話を盛り上げないといけない、みたいになるのが苦手だったんです。その点、自分にとって映画や本って、黙ったままそこにいられる空間ができるのがよかったのかもしれません。
――とすると、就職活動とか、社会に出て働くことを考えると憂鬱ではなかったですか。
すごく憂鬱でした。高校生の時からもう就職活動が憂鬱だったんです。小説を書き始めたのも、それがきっかけです。大学3年生の時に就職活動をはじめて、エントリーシートを作ったり面接に行ったりしていたんですが、ずっと働きたくないなと思っていて。読書が好きだという理由で東京の出版社を複数受けて、面接のスケジュールが被っていたので2週間くらい東京に滞在したことがあったんです。お金がないからずっとネットカフェに泊まって、それでめちゃくちゃ疲れてしまって。気分転換をしたくなって、なにか作ろうかなと考えた時に、いちばんお金がかからないの方法が小説を書くことだったんです。作家になりたいとかではなくて、ただただ、文章を書いていると他のことを考えずにすむというか、気が楽になるから書いていました。高校の時に「ホムペ」で書いていたのとあまり変わらない感じでした。毎日ひとつ書いてネットにアップする、というのを200日くらい続けました。
デビューと価値観のアップデート
――卒業後はどうされたのですか。
働かなきゃいけないけれど会社員は嫌だなと思い、アルバイトをしながら趣味で小説を書いていました。短篇ばかり書いていたんですが、小説の新人賞を見ると長篇や中篇の募集が多い。どうしようかなと思っていた時に、デビューするきっかけとなった「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」で短篇の公募が始まったんです。ちょうど文学ムックの「たべるのがおそい」が創刊されて短篇を公募し始めたりして、そういうところにちょこちょこ送るようになりました。
――2016年に「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」の公募プロジェクトに送った短篇「彼女をバスタブにいれて燃やす」が最優秀作に選出され、「たべるのがおそい」に短篇「回転草」が掲載され、その版元の書肆侃侃房から短篇集を出さないかと言われて2018年に短篇集『回転草』が刊行されたわけですね。
たまたまタイミングが重なってくれたな、と思っています。
――当時、短篇を次々書かれていたわけですが、アイデアに枯渇することはなかったのですか。
それはあまりなくて。自分でアイデアをひねり出すというより、たとえば散歩に出かけてたまたま見た面白い光景をきっかけに、自分なりに変形させて書くことが多かったです。とりあえず何か文章を書くと、次の一行が出てきて、どんどん文章が生まれてくるという感じです。たとえば、星新一さんのようなアイデアがなにより大事、みたいなな短篇は書かなかったし、書けなかったですね。
――プロになって、気持ちに変化はありましたか。
商業誌に載ったことで、「消えないようにしなきゃ」という気持ちがすごく出てきました。デビューしたことで、右も左もわからない状況ではあるんですが、いろいろな波に呑まれて自分が商業作家として消えてしまう道のりや、小説を書かなくなる道のりが出来てしまった、みたいな感覚がありました。
――読書生活に変化はありましたか。
あったかもしれません。他の人の小説の言い回しが気になるようになって。好き嫌いが激しくなりました。こういうのが書きたくない、というのが増えてしまったというか。たとえば、オチに向かって、そのオチのためにうまいこと展開していく話とか...。ある目的のための設定だったり登場人物の発言があるような、良くも悪くも作為的なものは書きたくないなと思うようになりました。
――自由な発想の短篇を書くなか、2020年に刊行した『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の表題作の中篇で注目されましたよね。「男らしさ」や「女らしさ」の押しつけが苦手な現代の大学生の繊細な感覚が鋭敏に描かれていましたが、これはどういうきっかけだったのですか。
「女性差別に気づく男の子の話」という、明確なテーマで依頼がきたんです。その頃、東京医大が入試で女性受験者に対して不公平な採点をしていたことが分かったり、それと同じようなニュースが続いていたので、「そういうのがしんどい」みたいなことをツイートしたんです。それを見た河出書房新社の方が連絡をくれて、依頼されました。ちょうど雑誌の「文藝」がリニューアルする前のタイミングでしたね。
そういうテーマの話が自分に書けるのかとか、書くことで差別を再生産しかねないかとか、小説というコンテンツとして面白い話にしてしまっていいのか、といった心理的なハードルが高かったです。めちゃくちゃ探り探りというか、恐る恐る書きました。
――その際、ジェンダー格差関連の本を読んだりしましたか。
ちょうどフェミニズム関連の読みやすい本がたくさん翻訳された時期だったんです。レベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』とか、それこそチョ・ナムジュさんの『82年生まれ、キム・ジヨン』とか。そういう本を沢山読んでいました。そのなかで、被害を受ける側にも共感したし、男性文化みたいなところで育ってきた者として気づかないうちに加害する側になってしまうところにも共感しました。どの立場にも共感してしまう感じだったので、それを書けないだろうかと思いました。
――東京医大のニュースに対して「しんどい」と感じたように、大前さんはそもそも男性優位社会の価値観に染まらずにきた印象です。なぜ、そうしたものの見方ができるようになったと思いますか。
もともと僕はあまり、「男だから」とか「女だから」ということに興味を持てずにいたんです。それともしかしたら、僕、背が低いんですけれど、そのことで中高生の頃にわりとからかわれたりしたので、それが大きかったりするのかな。からかう側というか、ホモソーシャル側への抵抗というか、苦手意識がずっと漠然とあったりしたのかもしれません。
――他にも、大前さんは『おもろい以外いらんねん』では、芸人となった二人組と、彼らをずっと見てきた友人の姿を通して、人を傷つける笑いへの違和感を浮き彫りにしていますよね。
コロナ禍になってから無観客のお笑い動画配信を見ていたら、ゲームコーナーの罰ゲームで、本気で嫌がっている芸人さんに対して、他の人たちが罰をほとんど強要する、というか、本人たちはよかれと思ってやっているのかもしれないけれど、配信の画面で見ているとそういう風に見えてしまう場面があって。お客さんがいなくて反応がないからこそ、既存のノリがどんどんエスカレートしているのかなと感じました。場のノリが生まれるとどうしてもみんなそこに乗っかっていって、個人よりも場の空気が優先されてしまう。それは劇場に限ったことではなく、学校でも近いノリがあるなと思い、すごく気になったんです。
――話題となっている恋愛小説『きみだからさびしい』は長篇ですよね。はじめて長篇の依頼がきた時はどう思われましたか。
プロットを先に作ったこともなかったし、自分に長篇を書く体力があるか分からなくて、どうしようという感じでした。でも、編集者さんがめちゃくちゃ綿密に打ち合わせをしてくれたんです。打ち合わせをするたびに、次の展開ができていく感じ、ものすごく助かりました。
――舞台はコロナ禍の京都。恋愛において、自分の男性性が相手を傷つけてしまうのではと感じている青年が恋した相手は、複数のパートナーと関係を持つポリアモリーの女性。作中、他にもさまざまな恋の形が描かれますよね。大前さんはジェンダー観や恋愛観のアップデートを示してくれる作家だというイメージがますます強まりましたが、ご自身はどういう思いなのでしょうか。
せっかくだから書いておきたい、みたいな気持ちがあります。今の時代の渦中にいるからこそ出てくる悩みとか葛藤、そうした曖昧なものは小説だと書きやすいというか。SNSやYouTubeだとどうしても白黒はっきりつけがちですよね。再生数などアテンションの数に繋がるからだと思うんですけれど、それだけだと、どんどん世の中が苦しくなっていく気がします。でも小説は、あまり答えを決めたりするものではなく、曖昧なものを曖昧なままにしやすい表現形式であるし、だから大事だなと思います。
デビュー後の読書と創作
――『きみだからさびしい』の刊行記念として、青山ブックセンターで大前さんが選書したフェアをされたそうですね。選書リストを拝見したところ、幅広く選ばれているなあ、と。
この選書フェアは、『きみだからさびしい』に関連づけて恋とか愛に関するものを沢山挙げる企画ですね。ちょうど引っ越しの準備で本をすでに段ボールに詰めてしまった後だったので、本棚を見なくても頭に浮かんでくる本を列挙していきました。
――懐かしい漫画作品も挙がっていますが、大前さん、その世代ではないですよね。
大学生の頃、80年代の文化にはまっていた時期があって。それで吉野朔実さんの『少年は荒野をめざす』や日渡早紀さんの『ぼくの地球を守って』、紡木たくさんの『ホットロード』などを読み、そこから遡って萩尾望都さんの『トーマの心臓』なども読んでいたんです。
――小説では、柴田元幸さん訳のレベッカ・ブラウンの『体の贈り物』や『私たちがやったこと』なども挙がっていますが、こちらも話題なった当時、大前さんは小学生だったのでは。柴田さん訳ではバリー・ユアグローの『セックスの哀しみ』も挙がってますね。
なぜ手にとったのかは憶えていないんですが、俳優の山崎努さんの『柔らかな犀の角』という読書日記を読んだんです。そこでたしか、柴田さん訳のバーナード・マラマッドの『喋る馬』が紹介されていて、そこから柴田さんが訳された本を読むようになりました。柴田さん責任編集の「MONKEY」も創刊されて、そこで紹介されていて作家さんや翻訳者の本も読むようになりました。翻訳者だったら岸本佐知子さんとか。岸本さんが訳されている作品では、ミランダ・ジュライとかが好きですね。
――アレクサンダル・ヘモンの『愛と障害』やジャネット・フレイムの『潟湖(ラグーン)』やもありますね。白水社のエクス・リブリスとかエクス・リブリス・クラシックスもお好きなのかな、と。
今思い出したんですが、柴田さんや岸本さんによってアメリカ文学にはまって、京都の四条にあったジュンク堂の海外文学の棚のコーナーを定期的にチェックしていた時期がありました。海外文学は、そこで手に取った本が多いんです。『潟湖(ラグーン)』はそのコーナーで棚差しされていたのをたまたま手に取って、文章が面白かったから買ったのを憶えています。
――ああ、本は書店で選ぶことが多いですか。
SNSを見ていてちょっとでも気になったものは買うようにしてるんですが、最近はあまりSNSを見なくなって、ふらっと書店に行って知ることのほうが多いです。そうなったぶん、新刊なのか古い本なのかを気にせずに、その時の自分の気分に合った本を見つけて手に取るようになった気がします。
――リストを見ると詩集や歌集もたくさん挙げられていますよね。詩集では水沢なおさんの『美しいからだよ』、石松佳さんの『針葉樹林』、歌集では初谷むいさんの『花は泡、そこにいたって会いたいよ』、榊原紘さんの『悪友』、穂村弘さんの『手紙魔まみ、夏の引越し』......。
短歌を好きになったのは「たべるのがおそい」がきっかけでしたね。短歌も載っているので読んでみたら面白くて。それと、大阪の中崎町に葉ね文庫という、詩集や句集や歌集を探すならここ!という感じの書店があるんです。そこにたまたま行ってみたことがきっかけで、詩集も頻繁に手に取るようになりました。それ以前から、谷川俊太郎さんや最果タヒさんのように、詩について全然知らない人の耳にも入ってくるような方の詩集は手に取ったことはあったのですが。
小説を書いているせいか、物語疲れすることがあるんです。読むのも書くのもしんどくなる時期がある。そういう時に詩集や歌集を手に取ると、ふっと楽になるんです。小説を書くにあたってずっと登場人物のことばかり考えていると、自分自身のことは全然考えなくなってしまう。そういった時に短歌や詩を読むと、生活のリズムがゆっくりになるというか。窓の外の景色をぼんやり眺めているみたいな気持ちになれるますね。
――ご自身でも短歌を詠んでますよね。
そうなんです。短篇を書く時の、散歩していて「あ、これ面白い」と思ったことがきっかけになる感覚とあんまり変わらないというか。面白いと思ったことを言葉にしておきたいのかもしれません。近いうちに『柴犬二匹でサイクロン』という短歌集が書肆侃侃房から出る予定です。
――活動の幅を広げてらっしゃいますよね。昨年には絵本『ハルには はねがはえてるから』、今年は児童書『まるみちゃんとうさぎくん』も刊行されています。どちらも子ども騙しではない内容が魅力ですが、これらは依頼があったのですか。
たしか、『まるみちゃんとうさぎくん』は『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』がきっかけで依頼がきたんです。タイトルに「ぬいぐるみ」って入っているせいか、手に取ってくれた児童書の編集者さんが多かったようです(笑)。
どちらも、たくさんの子どもに向けたものというよりは、その"たくさん"の中になかなか入れなかったりする子が手に取ってくれたらいいなと思いながら書きました。教室のグループの輪からちょっと離れていたり、輪に入りたくないような子が、ひっそり手にとってくれたら。
――『ハルには はねがはえているから』の絵は宮崎夏次系さん、『まるみちゃんとうさぎくん』もカバー絵を板垣巴留さんが描かれていますね。
本のカバー絵はだいたい編集者さんとデザイナーさんにお任せしているんですが、この2作の場合はどちらも、僕のほうからダメ元で「可能ならこの方がいいです」と編集者さんに言いました。そうしたら、引き受けていただけました。
最近面白かった本は...
――お忙しいと思いますが、1日のタイムテーブルって決まっていますか。
執筆時間帯は決まっているわけではなくて、とりあえず毎日2400字くらい書けたらいいな、と思ってやっています。自分の小説の場合、それくらいの長さが一場面分にちょうどいい感触があります。それは毎日続けることで、自分の書けるラインの底上げをしたい。体調が悪い日でも、出てくる想像力は体調がいい日とあまり変わらないようにしておきたいんです。
――散歩もよくされているようですが。
:時間があれば行くようにしています。日光を浴びておきたいので、日中に散歩したいですね。結局、日々の自分の気分や機嫌とかって身体のコンディション次第だなと思うんです。辛いことがあったりしても、散歩とかサウナに行くとわりと忘れることが多いです。
――今年、東京に越されたそうですね。散歩コースは開拓中ですか。
開拓中で、今はひとつ見つけたくらいです。京都に住んでいた頃は鴨川沿いを散歩していたので、東京でも川や自然がある散歩コースを見つけたいですね。
――本を読むのはどんなタミングが多いですか。
お風呂に入っている時が多いです。入浴しながらコツコツ読んでいく感じです。
――最近読んで面白かったのは。
浅倉秋成さんです。
――へええ。いきなりミステリ系の方が出てきましたね。超話題作『六人の嘘つきな大学生』でしょうか。
それをまず手に取って面白かったので、『教室が、ひとりになるまで』を読んでみたら、こっちのほうが僕の好みでした。
――とある高校で、不思議な能力を受け継いた少年が、連続する生徒の自殺の謎を探っていく話ですよね。緻密に作られたミステリです。
文章がものすごく好きなんです。無駄がなくて、的確な表現で。なんていうのか......個人的に、どんどんはやいテンポで畳みかけてくるあの文章が、物語にとってすごく誠実だなと感じます。
同時代に生きていて、めちゃくちゃ小説や文章が上手な人がいてくれることが嬉しいですね。元気が出ます。浅倉さんもそうだし、すぐ思い浮かぶ方だと、柴崎友香さんや藤野可織さんも自分の中でそういう存在です。町屋良平さんも『ほんのこども』ですごいことを書いているし。いろんな作家さんがいて、いろんなことを書いてくれているから、だからこそ自分は自分が書くものを書けるのかなとすごく思っています。
――歌集『柴犬二匹でサイクロン』の他に、今後のご予定は。
去年「文藝」に掲載した「窓子」という、ホラー小説を幽霊の側から書いた話があって、それと書き下ろしの短篇と合わせた本が今年中には出るかなあ、という感じです。それと、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の英訳版が出る予定です。