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初めての稲作 澤田瞳子

 先日ある取材で、「自宅で趣味を楽しんでおいでのところを撮影できれば」と言われて困った。私の最大の趣味は、幼少時からずっと読書。だが今ではそれはあまりに仕事と近く、仕事をしているのだか趣味を楽しんでいるのだか分からない。

 「なら最近、新しく始められたことを」と言われてみれば、確かにこの春から新たな取組を始めている。それは棚田保全運動への参加だ。

 山間などの傾斜地に階段状の小さな田が連なる棚田は、その美しさゆえ古くから多くの人々に好まれ、たとえば俳人・松尾芭蕉は現在の長野県千曲市姨捨にある棚田一つ一つに映る太陽を思い、「元日は 田毎の日こそ恋しけれ」との俳句を詠んでいる。ただこの棚田は各田の面積が小さいために収穫量が少なかったり、大型機械が入れぬため人力作業が多くなったりと、維持が難しい。そんな棚田を守るべく各地で行われているのが、会費を納めた者が農業を体験しながら棚田保全を行う棚田オーナー制度だ。

 なにせ稲作は現代社会はもちろん、日本の歴史とも切っても切れぬ関係にある。かねてそれを体験したいと思っていたので、棚田オーナー制度を知るや否や早速申し込んだ結果、すでに草刈りと水路整備を終え、連休明けには田起こし、六月には二日がかりで田植えといよいよ本格的な稲作体験が迫っている。田植えにはただの長靴では役立たぬとかで、田植え専用靴も準備済みだ。

 棚田での作業は当然屋外なので、結局これまた取材には役立たなかった。ただ実のところ人生初の農作業が、私は楽しくてならない。時折作業に来るだけの我々とは異なり、農家の方々は日々様々な作業に勤(いそ)しんでおいでなのだと考えれば、口に入る一つ一つが違った意味を持ってくる。顧みれば私が作家になって初めていただいた文学賞の副賞は、米三俵(百八十キロ)だった。ふむ、ならば私は何か稲作と縁があるのかもしれないな、と思うと、次の作業日がますます待ち遠しい。=朝日新聞2022年4月27日掲載