大切なのは身体を冷やさないこと
――TBSラジオで平日早朝、帯番組(「おはよう定食・一直線」)を担当中の生島さん。1998年の放送開始から、じつに24年の長寿番組です。走り続けるうえでは、心身の健康が第一ですね。
毎朝、3時半、もしくは4時に起きています。ただ、昨日は、最近ハマっている「Amazonプライム」の面白い番組があって、気づいたら午前2時(笑)。一度は目が覚めたのに4時25分まで寝てしまって、慌てて出てきて何とか間に合いました。僕の場合は自然体で、流れに任せています。ウィークデーでも「なんか体調も良いし、これ、面白そうな番組だな」と思ったら、その流れに乗って観ちゃうタイプ。「決められた時間に寝なければ」とは考えません。考えるとストレスになりますから。もともと「ま、いっか主義」。「70点」で良しとする性格です。
ただ、気をつけているのは「食事」。まずは「あまり体を冷やさない」のがコツかな。このたび刊行した本の共著・石原先生をはじめ、「こうした方がいいよ」という健康法のアドバイスを、これまで番組に出演してくださった数々の医師の先生方から伺ってきました。三日坊主の自分でも簡単に続けられるものを中心に見繕って、健康法ができていきました。
――長寿番組を続けていく、まさにその本番中に、健康を保つコツを習得していかれたのですね。
まず第1は「身体を冷やさない」。夏場でもアイスコーヒーは冷たくしません。そして「腸内環境を整える」。腸内環境は、免疫力のカギですよね。環境が良いと、自律神経のバランスが良くなります。僕は発酵食品が大好きなので、納豆やお味噌汁、ビフィズス菌と乳酸菌、サプリメントをしっかり取ります。たまに、ジャンクフード好きのマネジャーと、ハンバーガーやラーメンを食べてしまうこともありますが、そうすると、翌日の便の状態が途端に悪くなる。
――とった食べ物の影響が、身体に如実に現れる。
現れる! 食べ物ってすごく重要だと思います。それから、「睡眠」。僕は短期集中でも眠れるショートスリーパーです。睡眠導入剤を常用する芸能人も何人か知っていますが、僕、薬に弱くて、効き過ぎてしまう。夜、ぐっすり眠れたとしても、その後の昼間までモヤッと残ってしまうんです。「グリシン」というアミノ酸が入った睡眠サポートサプリメントを飲んでいます。2、3時間の睡眠でも、僕の場合、朝、シャキッと目が覚めます。睡眠医療の権威・遠藤拓郎先生から教えていただきました。
年齢を重ねると、睡眠の質が悪くなってきます。「眠り」を大切にするためには、「運動」です。適度に運動し、夜は、食べ過ぎない。食べ過ぎると、どうしても睡眠の質が悪くなると思います。できるだけ夜も早めに食べて、量を減らす。
――「腹七分目がベスト」であると、新刊本で主張されていますね。
「腹七分目」が大事です。そして、たとえ眠れない時があっても、翌日で調整すれば良い。あんまり神経質にならないのが良いと思います。なかなか眠れない時は、むしろ一度起きて、もう1回お風呂に入り、ゆっくり湯船に浸かります。これは免疫学の西原克成先生に教わりました。先生曰く、「湯船にゆったり浸かると、自律神経が整う。同時に60兆個の細胞が『リモデリング』(再生)する」。若い人たちもお伝えしたいです。
――ちょっと珍しいのは、生島さん、睡眠時間を1日2回設けていらっしゃるのですね。
いわゆる「分割睡眠」です。平日は基本的には、夜のNHKニュースを見終わって、10時半ぐらいに寝て、4時ぐらいに起きる。6時半の生放送本番の終了後、午前中は寝ていることが多いです。そんな感じでずっとこの24年間、このリズムがちょうど良い。眠くなったら寝ます。「何時になったら寝る」っていうよりは、「身体の声を聞こう」っていう感じですよね。それで欠席なしです。
生活のルーティンを若いうちから採り入れておけば、70代、80代になっても若さを保てるような気がしています。「老い方」って十人十色。個人差がある。僕、同級生と会うとビックリします(笑)。
「自分は自分」で気が楽に
――たしかに生島さん、実年齢よりだいぶ若い印象ですね。声だけでなく、お顔にもハリがある。
僕らの時代、テレビ局では、「暴飲暴食」がカッコ良かった。同世代のプロデューサーは今、老け込んじゃってね。僕の場合、お酒をもともとあまり飲めなかった。30、40代から身体のことを意識し始めました。ただ、だからといって、ストイックにする必要もない。人生は長いマラソンですから。現実問題としてコンビニの食事で済ませたり、あと、誘惑に負けてハンバーガーやラーメンを食べたりする時もある。何日も続くと問題でしょうけれども、うまい具合にコントロールしていけば良い。
和田秀樹先生(精神科医)は、「あんまり、『あれ駄目、これ駄目』ってやらない方がいいよ」って。私も同感です。若い時は誘惑も多いでしょう。時折、腸を意識して、週に1回ぐらいは羽目を外すぐらいの感覚でいいんじゃないかな。体重も、40歳ぐらいから増え始めますので、できれば2日単位で食べ物や体重のことを気にしていく。2、3日単位で調整しておけば、先行きは良いと思います。
――がんじがらめに考え過ぎない。数日単位の長いスパンで考え、帳尻を合わせていく。
目先の数字で言われると、なんかもう、息苦しくなりますもんね。
――ほかに、健康面で気を遣っていることは。
「病気の7割は、鼻と口から入ってくる」と思っています。だから、鼻と喉のケアは大切。まずは、歯のケア。2カ月に1回は歯医者さんに行き、歯垢を取ってもらいます。ご飯を食べたら毎回必ず歯を磨く。糸ようじ、歯間ブラシ、「ウォーターパルス(歯茎マッサージ)」。そして、舌苔を取る。僕のいとこは東日本大震災で、宮城県の気仙沼市役所で防災課長をやっていましたが、約1カ月間、帰れずに市役所に泊まりっぱなしで、水も使えず歯を磨けなかったらしいんです。すると、歯周病が一気に悪化し、他の病気も併発してしまったそうです。今回のコロナ禍では、「うがい・手洗い」の大切さを知りましたが、「鼻うがい」も大切です。ウイルス除去に効果的だと考え、実践しています。
――仕事と向き合う上では、「身体の健康」と同時に「こころの健康」を保つことも重要ですよね。社会人になって、「こんな毎日を続けて、何になるの?」と落ち込む日もあるはずです。そんな時、生島さんは、長年の仕事人生のなかで、自身をどう鼓舞してこられましたか。
考えてみたら、走り続けていますよね。25歳でTBSアナウンサーになって、最初の1年目で「向いてないなあ」と思いました。すぐにレギュラー番組ができたのですが、もう毎週毎週、厳しいディレクターに怒られてばかり。喋ることが怖くなりました。元々、例えば古舘(伊知郎)くんみたいに「アナウンサーになりたい!」と思って入ったわけじゃない。「彼のようになりたい」とは思ったけれど、「無理かな」っていうのは正直あったんです。
でも、どこかの時点で「ま、自分は自分だ」って思うようになってから、面白くなってきました。気がラクになったんです。世の中にはボキャブラリーが豊富で、言葉も落ち着いていて、レポートもインタビューもうまいアナウンサーもいる。でも、「俺は『お祭りアナウンサー』で良いんだ」って(笑)。「ノリノリの生島アナウンサー」という雰囲気。それが、今のラジオにも繋がっていると思うんです。
――批判・中傷など、周囲の声が気になったことは?
もちろん、批判されることはありました。番組で、台本に書いてあることを言っただけなのに、「失礼なやつだ」って意見が、新聞に載ったんです。「ここまで言われるのか!」。数日、テンションが上がらなかった時もあるにはありました。でも、「ま、いいか。これで命を取られるわけじゃないし」。
今の人はなおさらですけど、SNSでは、もう好き勝手に、いろんなこと言われるじゃないですか。背景も知らずに、自らの直感で「おかしい、これ駄目だこいつは!」と発言してしまう。ああいうのを見て「メンタルをやられてしまう」とこぼす若手アナウンサーもいます。基本的には、見なければ良い。僕はほとんど見ないんです。批判や文句は、皆も「そうだそうだ!」ってなりやすいですしね。
会社以外にも腹をくくって話せる仲間を増やす
――TBSに13年間勤め、独立。仕事にどんなビジョンがあったのですか。
自分なりのペースを保つうえで、僕がずっと意識してきたのは、「短期目標」「中期目標」「長期目標」をつねに設定することです。これを意識すれば、目標ができるから頑張れます。TBS入社試験の最終面接で、「僕は1回きりの人生を使って、『TBSの生島』で終わりたくない」って申し上げた。人生をどう生きるかを考え、その逆算をする。先のことは読めないですけど、「5年目標」「10年目標」は考えて、「いつか独立するためには、どうしよう」って考え続けました。たとえ会社で怒られた時も、自分の設定目標があるから、「ま、このぐらいで、へこたれることはないか」って思っていましたね。
――強いですね。自分らしく着実に、フリーランスの基盤をつくられて。
自分らしく生きるためには、当然のことながら、スキルを磨かなきゃいけない。これは、よくよく考え ないといけないと思うんですけど、例えばサラリーマンでいると、つい不満が出てきたりもする。でも、それは安定の上で、給料もある程度保障された上でのこと。一方、辞めてフリーになると、責任が全部、自分にのしかかってくる。自由もある代わりに、不自由も出てくる。さらに不安がのしかかるんです。この「先行き不安」との戦い。当時の僕のように、家族もいて、子どもが小さかったりすると、それこそ「どうなっちゃうんだろう」っていう、その怖さはフリーになって初めて感じました。
サラリーマン時代は、居酒屋に行って愚痴を言えば、それで終わり。「ま、いいか。明日またやるか」。昭和な感じがあったわけですよね。今は、居酒屋に同僚同士で行きにくいご時勢、なおさら孤独を感じることもあるはずでしょう。そういう中では、「腹をくくって話せる仲間を増やす」ことが大切だと思います。会社の中だけではなく、横断的にネットワークを広げる。僕の場合、入社の頃から作家の林真理子さん、田中康夫ちゃんなど、キラキラした人と繋がりました。会社だけでは行き詰ってしまうので、「縦」と「横」の繋がりを縦横無尽にやるのは良かった。僕の場合、いろんな人に出会うことが億劫でなかった。それは今の仕事にも活きているんです。
――多様な価値観を持つ人と触れ合うのは、ネットの発達した今、当時より容易になっていますね。それにしても、午前5時から毎日1時間半、軽妙で心地良いトークを24年。ホント、お元気!
朝、迎えの車に飛び乗ったら新聞・雑誌を読み、気になるニュースをチェックして本番に臨みます。午前5時からトーンが高いのは、車内でラジオやテレビを観ながら、発声練習をきちっとやっているからかな。以前は、滑舌には自信があったんですけど、だんだん弱くなってきました。「基本に帰ろう」ということで、毎朝10~15分、発声練習を必ずしてからスタジオに入ります。テレビも嫌いじゃないですけど、ラジオの方が、より、自由奔放さが出せるので好きですね。
――リスナーとの距離も……。
近い! ラジオというメディアが僕にはとても合っていると思います。テレビはいろいろと制約が多く、観ている人の数も桁が違います。出演者の皆さんは気を遣っていらっしゃる。テレビ番組を何本も掛け持っていた当時を思い返すと「よくやれていたな」って、ビックリするほどです。ラジオに今、良いかたちで「ライフシフティング」ができている。コロナ禍で、講演会の数が劇的に減りました。そのぶん収入も減るんですけど、いっぽうで(事務所所属の)後輩たちを売り込める。これがすごく面白いんです。自分でも、70歳を過ぎてまで仕事を続けられるとは思わなかった。
自分の個性や強み、弱みを把握し、アップデートし続ける
――現在、ファイナンシャル・プランナー、福祉住環境コーディネーター、防災士など、数々の資格を取得していらっしゃいますね。そのバイタリティにも敬服します。
ラジオでただ原稿を読んでいるだけでは面白くない。コメントも、ただの感想だけじゃつまらない。各分野に関して、独自情報をゲットするにはどうしたらいいか。そう思って、資格試験の勉強をし始めました。手始めはファイナンシャル・プランナー。株、債権、不動産、保険……。いろんな意味で(人生の)見直しにもなりました。今度は、防災、環境問題を勉強し、SDGsの資格もとりました。その時代に合わせたもので、興味のあるものを学ぶことは、僕にとっては本当に必要なことです。
――絶えずアップデートさせていこう、と。
つねにアップデートして変わっていくことは、自信にも繋がります。1回の人生ですからね。せっかくのチャンスを逃がさないで、自分の個性は何か、自分の強みは何か、弱みは何か、そこを冷静に見つめていく。客観的に、自分自身をちょっと上から俯瞰して眺めて、今、業界の中でどんなポジションにいるのかを判断していく。「ここを補っていけば、ガーンとは行かなくても、キラキラ輝いていられるんじゃないか」。そういうことは考えてきました。他のビジネスでも同じではないかと思います。
――他人と比べるのではなく、自分自身を俯瞰して眺めてみるのですね。
客観的に比べてみる。自分なりに、「強みと弱みをどうしたらいいか」。あとは、自分自身の「メンター」をつくって、そういう存在から厳しい意見を聴きます。僕にとっては大沢悠里さん。ひじょうにシビアなことを言ってくださった。カチンと来るようなこともありましたが、この人は心から僕のことを思って言ってくれている。そんな人を探すと良いと思います。常に「良いね!」ばっかりでは駄目ですからな。「これはこう直した方がいいよ」って言ってくれる先輩がいると良いですね。プーチンなんか、そういう存在がいないから、こんなことになってしまうわけです……。
何歳になっても、自分より5歳、10歳上の人の生き方、考え方を聞くようにしてきました。「そうか、この歳でもこんなに頑張れるのか!」「この年齢になったら、ちょっとスローダウンしていかないと駄目だな」。エンジンが、つねにフルスロットルでは持ちません。年代に合わせた仕事のやり方で、自分の目標設定を置いておけば、意外に無理せず、気楽に前に進められるはずです。
かつてテレビ出演が減って、へこんだ時期もありましたが、今では気にならなくなりました。というのも、ラジオ番組のゲストの発言を紹介する「ネット記事」が、たくさん配信されるようになったからです。こんなふうに、ラジオとネットの融合が、一つのパワーを生み出していく。新たな潮流が生まれているように感じます。「どこで」仕事をやっているのか、ではなくなってきました。
――時代と共に、価値観も変わり、仕事に対する捉え方だって変わる。深い知見を得ました。
「百篇の経典、日下のともしび」という言葉を最近知りました。いくら多くの本を読み、学びを得たとしても、それを実行に移さなければ、太陽の下のロウソクに過ぎない、という意味です。「いや、ホント、そうだな」って。得た知識やノウハウを、「面白かったな」で終わるんじゃなく、「自分の仕事で今後どう使うのか」というふうに結びつけて考えていくと、人生もっと面白くなるかも。そんなふうに思っています。