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できる大人の「頑張らない」主義 都甲幸治・早稲田大学教授(アメリカ文学)

画・西村ツチカ

 できるだけ仕事を断り、少しのことに集中しなければいい仕事はできない、というグレッグ・マキューン『エッセンシャル思考』が禅みたいで面白くて、だから続編の『エフォートレス思考』(2021年刊、高橋璃子訳、かんき出版・1760円)も買ってみた。けれども当時は英語版しかなくて、頑張らないことについての本を頑張って英語で読むのもな、と思い、つい積読(つんどく)になってしまった。ようやく先日、日本語版が出て、一気に読み通した。そして人生がひっくり返るような衝撃を受けた。

 マキューンは言う。頑張れと言われて育った私たちが失敗するのは努力不足ではなく、努力のし過ぎによることが多いのではないか。たとえばある日、彼は大事なプレゼンを控えていた。もうとっくに準備はできていたのに不安になり、徹夜で新しいものを作り上げた。結果は散々だった。よく寝ていないうえに練り上げ不足で、顧客を大いに退屈させてしまったのだ。

 なぜこんなことが起こるのか。子どものころ、最後まで頑張りぬくことが大事だと我々は教えられてきたからだ。確かに子ども時代には体力があるし、しかも年々成長していく。だから頑張れば頑張るほどできることが増える。そうやって我々は、頑張ればどうにかなる、という成功体験を積み重ねてしまう。だが大人になるとこれが大きな落とし穴となる。年々体力は下がり、できることは減る。それでも高い水準で仕事をこなさなければならない。ならばできるだけ少ないエネルギーと時間で物事を成し遂げる方法を探すべきだ。それは手抜きではなく、むしろ誠実な態度なのである。

 頑張らない主義といえば、スティーヴン・ガイズ『小さな習慣』(17年刊、田口未和訳、ダイヤモンド社・1540円)も良かった。もともと習慣作りには興味があって、チャールズ・デュヒッグ『習慣の力』なども読んではいた。だが、具体的な習慣作りの方法を教えてくれたのは本書である。何事も続いたためしがない彼がある日、思い立ったのは、腕立て伏せ一回チャレンジだった。そしてこのあまりに志の低い挑戦が彼の人生を大きく変える。たった一回ならば気軽にできる。そして一度やり始めたら、二回三回と増やすのは容易だ。そうやって彼は抵抗感を感じない程度の小さな試みを毎日続けることで、自分自身を変えることに成功する。

 もちろん僕も三日坊主では誰にも負けない。ジョギングも筋トレも結局はやめてしまった。この本を読むと、モチベーションの高さこそが失敗に繫(つな)がっていたとわかる。志は低く保ち、決して頑張りすぎないこと。人間とはなんとあまのじゃくな存在なのか。

 想田和弘『なぜ僕は瞑想(めいそう)するのか』(21年刊、ホーム社・1870円)はすごい本だった。僕はもともとマインドフルネスに興味があり、その関連で入手したのだが、読んだのはごく最近である。一度正面から瞑想に取り組んでみよう、と思った彼は、千葉県にあるヴィパッサナー瞑想の道場で十日間の修行に取り組む。とはいえ、宗教臭いことはいっさい書かれていない。せっかく買ったサンダルを他の人に履いて行かれてしまい怒ったり、瞑想中に感じる激烈な足腰の痛みに耐えられなくなったりと、彼の反応はいたって人間臭い。それでも彼はある気づきを得る。

 怒りなどの感情が心に湧き上がったとき、それから距離を取って眺めていると、やがてはすーっと消えてしまう、という事実だ。日々の暮らしに戻った彼はさっそくツイッター上で攻撃される。今までなら怒りや正義感に駆られてすぐに反論していただろう。だが今の彼は違う。自分の感情を眺めているうちに、言い返す必要を感じなくなる。「それは、10秒もしないうちに消えていった」。すると不思議なことに相手の攻撃も止(や)む。しないことで多くを成し遂げる。これもまた頑張らない主義ではないか。=朝日新聞2022年5月21日掲載