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ブレイディみかこさん、初小説「両手にトカレフ」インタビュー 「見えない存在」にされた子どもたちに光を

ブレイディみかこさん

「『ぼくイエ』って、ウソだよね」

――これまでノンフィクションを書いてきたブレイディさんが、今回小説にチャレンジしたのはなぜですか。

 きっかけは、息子の一言でした。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、息子の通う英国の元底辺中学校の話なんですが、当の息子が読んだら、「これは幸せな少年の話だよね」と言われてしまって……。あれは、荒れた学校と言われた中学がクラブ活動でダンスや音楽や演劇を思いきりさせたら子どもたちの素行も成績もよくなった、という話がメインなんですが、「(貧しさや家庭の事情から)クラブ活動すらできない子もいるよね。そこが描かれていないから、そういう意味ではウソだよね」って。

 たしかに、そうなんです。私は以前、長期無職者の支援センターの中にある無料託児所の保育士をしていたんですが、今、その子たちが息子と同じ中学生くらいになっているんですね。小さい町だから、その子たちの現状も耳に入ってきますが、それは性的虐待だったりDVだったり、苦しくて重いものでノンフィクションではとても書けなかったんです。でもそのことに自分でもしこりがあって……。

 私自身、貧困家庭で育ち、定期代を稼ぐために学校に隠れてバイトをしていました。先生に見つかったとき、理由を話したら「今時そんな子がいるわけない」と信じてもらえなかった。貧しい子どもはたしかにいるのに、見えない存在にされたんです。同じことを大人になった私が、今度はする側になっていた。その反省から、あの子たちを小説の形で書くことにしました。今回挑戦してみて、フィクションのほうが本当のことを書ける場合もあると気づきました。

――14歳の主人公・ミアは働かず酒に溺れる母と弟の3人家族。食事にも事欠くほど困窮していますが、誰も信用せず助けも求めません。そんななか、図書館で大正期のアナキスト・金子文子の自伝と出会い、フミコを自分の一番の理解者だと感じます。イギリスの女の子・ミアを導く者として、日本の金子文子を選んだのはどうしてですか。

 これ、実際に目にしたことなんです。15、6年前、私が住むブライトンの図書館の「世界の女性問題」の棚に金子文子の自伝の翻訳本が置いてあって、それを若い女の子が手に取って、パラパラめくっていたんです。日本から選ばれた一冊が、平塚らいてうでも伊藤野枝でもなく、親に捨てられ、無戸籍児だった金子文子だったことが印象的で。ミアのような子どもたちに寄り添い、一緒に走ってくれるのは彼女だと思いました。

――金子文子は内縁の夫である朴烈と共に大逆罪で死刑判決を受け、わずか23歳で獄中死した女性ですね。この物語では彼女の少女時代がミアの現在と並行して描かれますが、父に認知されず、学校にも通えず、母にも捨てられ、拾われた先でも虐待を受け……壮絶でした。

 それでも、きっとこことは違う世界があるって彼女は信じ続けた人なんです。私が金子文子を知ったのは、中学の時に読んだ彼女の伝記『余白の春』(瀬戸内寂聴著)で、その後に自伝の『何が私をこうさせたか』を読んだですが、特にぐっときたエピソードがあって。この小説にも登場しますが、文字を読めないフミコが、野菜を包んでいる古新聞の写真を見て物語を想像する、というところ。この道しかないということはない。オルタナティブ(別の世界)はあることを信じよう、とフミコならミアを導いてくれると思いました。

 もう一つは、この物語をイギリスだけの話にしたくなかった、というのもあります。日本でも、見えない存在にされているけれど、同じように貧困に苦しんでいる子どもたちがいますよね。

――ミアとフミコの出会いもそうですが、この物語では、周りの大人が「本をたくさん読みなさい、本を読まないから私はこうなった」と言ったり、「本を読めば解放される」と言ったり、読書が重要な役割を担っていますね。

 苦しい立場にある子どもこそ、本を読んでほしいと思います。子どもはどうしたって狭い世界にいて、周りの大人はだれも自分のことをわかってくれないと思うけれど、本を読めば、会ったことのない大人の話が聞ける。反抗期でもね(笑)。本の中の人に支えられ、その人が、親よりも友達よりも自分のことを一番わかってくれると思うことがあるんです。私がそうでしたから。

 その意味で、町の小さな本屋さんが潰れていくことが悲しい。ネット書店のおすすめ機能じゃなくて、棚に並んだ本のタイトルが気になって手に取る、「偶然」の出会いこそが人生を切り開くと思うんです。

子どもは社会が育てるもの

――この物語では、ミアの母親は最後まで名前が明かされず、「母親」や「彼女」と表現されています。一方、ミアの友達のママであるゾーイは、なにかと親身になってくれ、ミアは「里親になってくれませんか」と自ら頼んだりします。実親との冷静な距離感に驚きました。

 ミアの母親を名前で書かなかったのは、そうすると彼女に感情移入して、どうしてこんな母親になってしまったのか背景を書きたくなってしまうから。親には親の事情があることを、無料託児所でたくさん見てきましたから。でもそんなの子どもからしたら関係ない。ここはミアの視点で描きたかったんです。

 英国では「子どもは社会が育てるもの」という考えがあります。息子のクラスにも里子が何人かいます。そんな環境だから、ミアも冷静なんでしょうね。

 日本はなんでも家庭内で解決しようとしますよね。でも親が苦しいときは、別の誰かが育てていいんです。最近、パートナーが言うんです。「もう一度、子育てしてみたい。人生で子育てが一番楽しかった」って。「えー! もう私産めないよ」と言うと、「親が必要な子どもはたくさんいるから、里親とかどうかな」って。子どもに手を差し伸べる大人は家庭の外にたくさんいるはずです。

ここにある世界を変える

――周囲から距離を置くミアにある日、同級生のウィルが「ラップのリリックを作って」と頼みます。最初は反発するミアですが、ミアの言葉を待ち焦がれ、理解しようと耳を傾けるウィルの姿に、心を開いていきますね。現実の子どもたちにもこんな出会いがあってほしいと思いました。

 それこそ、ウィルとの出会いは偶然なんですよね。ウィルはミアとは違うミドルクラスの家の子ですが、同じ教室に多種多様な人間がいることで、階級を飛び越えて出会っていく。もちろんそのせいでぶつかりあうこともあるけれど、同時にほのかな恋心や友情が生まれ、お互いの世界を学んでいく。分断が進む社会だからこそ、こういう出会いが必要です。

 子どものとき、私はここではないどこかに、もっといい別の世界があるんだと思っていました。でもそうじゃなくて、ここにあるこの世界を変えていくんだって、今は思うんです。子どもたちに「この世界はここから変えられる」と信じてほしい。この小説からそんな思いが伝わればうれしいです。