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むき出しの命の意味 人生のコントロールを超えて 都甲幸治〈朝日新聞文芸時評25年12月〉

絵・大村雪乃

 ふだん我々は社会で評価を高めるべく頑張っている。年収が高い方が偉い。SNSのフォロワー数が多い方が偉い。だがそれだけではない。お金にならなくても、どれだけ他人のために動けるかが大事だ。

 けれども、これらすべてが奪われた人々には、果たして価値がないのだろうか。収入もなくSNSもできない。そもそも、ほとんど言葉を発することができず、動くことさえ困難で、他人のために何もできない。ならばその人の命には意味がないのか。だが思い出してみよう。我々全員が、そうした存在として生まれ、そして死んでいくのではないか。

     ◇

 グアダルーペ・ネッテル『一人娘』(宇野和美訳、現代書館)の語り手であるラウラは自分自身に驚く。女性にとって、子どもを持つことはキャリアを台無しにする行為だと彼女は確信してきた。だが友人のアリナが妊娠した、という知らせを聞いて、自分の内側から喜びが溢(あふ)れていることに気づく。しかし、この感情は続かなかった。出生前の検査で、生まれてくるはずのイネスは遺伝子の異常で脳が発達しきれていないことがわかる。おそらく呼吸すらできず、誕生と同時に亡くなるはずだ。こうしてアリナは、娘の誕生を心待ちにしながら、同時に別れに備えてグリーフケアに通い始める。

 準備した子ども部屋を片付け、葬式やお墓の準備までして迎えた出産だったが奇跡が起こる。なんとイネスは死ななかったのだ。さらには徐々に音や光に反応するようになり、ついにはトレーニングを通して、自力で体を動かせるまでになる。そのためには、周囲の人々による凄(すさ)まじい日々の努力が必要だった。もちろんイネスはいつ亡くなるか分からない。けれども、そのことに絶望していてはアリナは生きられない。そうした闘いの中にある彼女を、ラウラは友人として支え続ける。

 プリーモ・レーヴィの『休戦』(岩波文庫)を引きながら、ラウラはアリナを、日課のおかげでアウシュヴィッツを生き抜いた人々に例える。「紅茶を一杯飲んでひと休みするとか、チョコレートをつまむとか、観葉植物の状態を観察しながらベランダでタバコを一本吸うといったささやかな喜びのおかげで、アリナは奈落の底に落ちずにすんでいた」。今できることは何か。そうやって、一週間先のことさえ考えないようにする。それを徹底すると、日々は修行に似たものになる。

 やがてアリナは優秀なベビーシッターを見つけ、同じような子どもを持つ親たちのネットワークに参加するようになる。粘り強く生き続けるイネスの命に引きずられるように、アリナは未知の世界に開かれて行く。人生をコントロールしようとするのを止(や)めたときに見えてくるものがある。イネスとの出会いに感謝するまでになったアリナの姿に、僕は深く動かされた。

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 絲山秋子『細長い場所』(河出書房新社)の語り手は奇妙な世界にいる。ここの住民に名前はなく、体すらない。そして生きていた時の感覚の記憶だけがある。どうやら細長い場所とは、生命として転生する合間に魂が佇(たたず)む、時間も空間もない場所らしい。そこで語り手は、微生物や植物や鳥のヒナだったころを思い出しながら、人間の苦しみの根源について考える。

 「思い通りにしたかったのだった。たとえ、他人の幸福を願い、他人の快適のために尽くす人生であっても、それは他人を思い通りの状況に置きたいということなのだった」。だが他人は、そして自分さえ思いどおりにはならない。ならば何もできないのか。語り手は思いつきで、心の中で卒業式をしてみる。過去に嫌だった人々を集めて卒業証書を渡す。すると彼らは笑顔で出て行く。そして語り手は、彼らを少しだけ許せるようになる。

 豊永浩平「G(h)etto」(「群像」一月号)で描かれるのは、日本に返還されないままアメリカの州に移行した、もう一つの沖縄だ。英語とウチナー・ヤマトグチが混ざった言語で話す人々の体には電子デバイスが埋め込まれ、インターネットに接続されている。自由と引き換えに命が保障される世界。だがそこは決してユートピアではない。誹謗(ひぼう)中傷や排外主義的な言葉が渦巻き、それらが直接体内に入ってくる。その中で唯一戦っているのは、「伊江アイランド」の抵抗勢力だ。英語やルビを駆使した異様な字面の物語はドライブ感に満ちている。(翻訳家・米文学者)=朝日新聞2025年12月26日掲載