ロシアによるウクライナ侵攻が、もう3カ月も続いている。こうなると誰かと会うたびに、話題はどうしても戦争におよんでしまう。それぞれの考えがあるから、私と意見が違っても否定はしないつもりでいる。しかし話すことそのものを避ける人も、中にはいる。ある時、理由を聞いてみたら「自分で見たわけではないから」という答えが返ってきた。
確かに、見ていないものを見たように語るのは愚の骨頂だ。でも「見てないから、体験してないから」と遮断してしまったら、多くの人が第二次大戦や凄惨な事件について、何も言えなくなってしまう。だからこそ体験した人の言葉に触れて、考えるものではないかなあ。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら、江東区の清澄白河にあるBooks & Cafe ドレッドノートに向かった。SNSなどで「特殊な品揃え」と言われているブックカフェだ。
転職のきっかけは「水戸黄門」
清澄白河駅から歩いて約10分。製本工場など下町の面影が残る界隈にドレッドノートはある。建物入口に置かれたテーブルに、「エチオピア」「メキシコ」と書かれたコーヒー豆が4種類並んでいるが、頼めば挽いてくれるのだろうか?
「もちろんです。この豆は両国で自家焙煎している、松崎珈琲から仕入れているんですよ」
と、店主の鈴木宏典さんが教えてくれた。
東京生まれの埼玉&東海地方育ちの鈴木さんは、大学を卒業したあとはとある地方都市の、「キッチリとした場所」に勤めていた。忙しくないルーティンワークで、家は勤め先の目と鼻の先。まさに「ベルさっさ(終業ベルがなったらさっさと帰る)」の日々だったが、当時午後5時から再放送されていた「水戸黄門」を目にして、ふと「この生活を続けるのは限界だ」と思い、3年で辞めたそうだ。
「安定した職場だったので、周りには『なんで?』と引き留められましたね。その後は当時住んでいた街の書店に勤めました」
野口英世の伝記を読んでは掘りごたつ恐怖症になるほど、本に熱中する子供だった。書店員になれば、じっくり本に触れられる。そう思い転職した鈴木さんは、多い時は300軒以上になる本の配達からレジ打ちまで、書店員の仕事に邁進した。そうしているうちに棚作りを任されるようになり、店長にまでなった。別の店に異動が決まりそこで外商担当になり、OA機器販売を手掛けるようになったことが、今の仕事を始めるきっかけとなった。
「その時は書籍よりも、OA機器のほうが未来は明るいと思っていたんです。でも2008年にリーマンショックが起き、その街の経済が冷え込んでしまって。同じ苦労をするなら東京の方がいいと思い、東京に行くことを決めました」
宇宙戦艦ヤマトが歴史や軍事に向かう扉に
オープンは2019年の11月。ドレッドノートを運営する鈴木商会は現在も、OA機器や複合機販売を続けている。なぜ、ブックカフェを手掛けようと思ったのだろうか?
「その頃、ちょうど50歳になったタイミングで。ブックカフェはあちこちにあるけれど、自分が寄りたいと思える品揃えの店がなかったし、ペーパーレスやクラウド化でOA機器の需要が右肩下がりになってきたので、違うことをしたいなと。何をやるかと考えた時に、自分がやりたいと思えるものが、ブックカフェだったんです。その時から新刊と古本の両方を置こうと思っていましたが、古本の初期在庫は自分の持ち物で対応できると思いましたし」
現在53歳の鈴木さんは子どもの頃、当時大ヒットしていた「宇宙戦艦ヤマト」に夢中になった。ヤマトのプラモが欲しい。しかし品薄で手に入れることができず、代わりに本物の戦艦の模型を買ってしまった。箱を開けると細かい字で、来歴やスペックが書かれている説明書が同封されている。そこに書かれている漢字が読みたくて辞書を手にし、内容を理解するために子供向けの戦争本を読み漁った。すると徐々に「歴史ものや戦争ものに、純粋に引き込まれていった」という。ドレッドノートとは、近代戦艦の礎と言われるイギリス海軍の戦艦の名前なのだ。
「でもとくにドレッドノートが好きだったというわけではなくて。象徴的な名前だけど知らない人も多いから、ドレッドノートにしたんです。イギリス人のお客さんが来店した時には、「どうかしてる」と店名に大ウケしていましたね。清澄白河に店を作ったのも、地縁や血縁があったわけではなくて。最初は台東区蔵前で物件を探したのですが、理想に適う場所を探すうちにここに行き着きました」
あえて負の歴史にも触れる
私は鈴木さんよりやや下の世代だが、確かに当時は子供向けに戦争を解説した図鑑や本は多かった。ドイツ軍を扱ったものはかなり充実していて、「ロンメル将軍」や「バルバロッサ作戦」、「Uボート」なんかにやたら詳しい同級生がいたっけ。そんなことを思い出しながら棚を眺める。入口すぐの場には新刊が、壁の棚には古本が並んでいるが、戦艦模型やイギリス艦隊を描いた絵なども飾られていて、これはもう好きな人にはたまらないのではないか……。と思ったものの、同じ時間に店に居合わせたお客さんは皆、PCで作業していたりおしゃべりに興じていたりメロンクリームソーダを撮影していたりと、フリーダムな過ごし方をしていた。
「もちろん本を探しにくる方もいらっしゃいますが、平日はカフェとして利用するお客さんが多いんです。だから品揃えが特殊と言われるのは、誉め言葉だと思っています」
第二次世界大戦、それもヒトラーを扱った書籍の品揃えは相当充実していて、こんな本があったのかと、つい見入ってしまうものも多数並んでいた。
「以前ドイツ人のお客さんに、なんでヒトラーの本ばかりなのかとお叱りを受けたことがあります。フランス人のお客さんからも『フランスではこんな本は置かない。日本人は戦争が好きなのか?』と言われました。でも面白半分で置いているわけではないし、『なぜその歴史が起きたのか』を知るためには、まずは読むから始まると思うんです。知ることによって、語る言葉が変わっていくと思いますから」
ドイツでは戦後70年間、ヒトラーの『我が闘争』は発売禁止になっていたから、そんな批判が来るのも理解できる。とはいえ、並んでいるのは確かな視点で書かれているものばかり。他国を貶めるために都合良く歴史を利用する「ヘイト本」や、「ホロコーストはなかった」と言ってのけたデイヴィッド・アーヴィングなどの、歴史修正主義者の本はなかった。むしろ「興味深いけれど、死ぬまでに読めるだろうか」と思ってしまうほどだった。
好きなものに囲まれ、居心地が良すぎる空間
自分が長居したい場所にしたかったから、オールジャンル扱う本屋にしようとは思っていない。でもミリタリーものばかりではなく福祉や写真が美しいもの、UFOやオカルトまで、鈴木さん自身が気になるジャンルは、力を入れることにしているそうだ。
「自分が食べたいと思うホットサンドやコーヒーもありますが、スタッフにパティシエがいて、スイーツにも力を入れています。好きなものばかりなので日中はOA機器販売がメインなのですが、店に来ると居心地が良すぎて。家になかなか帰れなくなっちゃうんですよね」
そう言って笑った鈴木さんに思わず、「なんかわかります」と言ってしまった。鈴木さんは全部ではないものの、かなりの本の中身を把握していて、手に取る本手に取る本、「これにはこういうことが書かれている」と教えてくれた。話を聞きながら棚を眺めていると、あっという間に時間が経ってしまったからだ。
統一ドイツ初代大統領をつとめたリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーによる「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」という名言がある。
ヴァイツゼッカーが言うとおり過去を直視することで、現在だけではなくきっと未来も開けてくる。それが人類最大の過ちである、戦争を終わらせる道にきっとつながる。そして私自身はヒトラーのこともスターリンのこともチャーチルのことも、蒋介石のことも金日成のことも知りたいと思っている。彼らの存在は今の世界と無関係ではないし、批判をするならまずは彼らの思想に、触れる必要があるからだ。
だからこれからも読むし、読みたい。でも何を読んだらいいのかわからなくなることもよくあるので、そんな時は、鈴木さんに相談してみようと思う。
(文・写真:朴順梨)
鈴木さんが選ぶ、今を生きる上で読むべき3冊
●『鷲は舞い降りた』ジャック・ヒギンズ(早川書房)
スパイ小説が好きで色々読んできましたが、ここまで完成された作品はないと言いたいです。第二次大戦中のドイツ落下傘部隊が登場しますが、彼らを悪ではなくひとりひとりの人間として描いているさまが素晴らしい。これを超えるスパイ小説は、おそらくこの先も出ないのではないかと思います。
●『臨死体験』立花隆(文藝春秋)
臨死体験を聞き取ることもライフワークのひとつなのですが、母親が亡くなる前にこの本に書いてある体験をしていたと語っていました。それまで存在していなかった『臨死体験』という言葉を世に生み出した、エポックメイキングな1冊です。
●『カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺』ヴィクトル・ザスラフスキー 、根岸隆夫(みずす書房)
1940年に旧ソ連にあるスモレンスク郊外のカチンの森で、ポーランド人捕虜が大量虐殺された『カチンの森』事件について調べることも、ライフワークにしています。なぜソビエトはポーランドを目の敵にしたのか、そこには誰のどんな意図があったのか。この歴史を知ることは、今ロシアがしていることへの理解につながると思います。生存者のジョゼフ・チャプスキによる『収容所のプルースト』(共和国)と併せて読むことをオススメします。