1. HOME
  2. コラム
  3. 旅する文学
  4. 【福岡編】炭鉱・製鉄の町、共に生きた 文芸評論家・斎藤美奈子

【福岡編】炭鉱・製鉄の町、共に生きた 文芸評論家・斎藤美奈子

『花と龍』の舞台、洞海湾にかかる若戸大橋=北九州市、全日本写真連盟・佐藤誠一さん撮影

 福岡はかつて石炭と製鉄で鳴らした県だった。石炭は近代の産業を支えただけでなく文化も生んだ。

 先月他界した森崎和江の『まっくら』(1961年/岩波文庫)や、上野英信地の底の笑い話』(1967年/岩波新書)は炭鉱労働者の声を伝える稀有な記録文学だ。

 また、2011年には右2冊の挿絵にもなった山本作兵衛の炭坑記録画(田川市石炭・歴史博物館所蔵)がユネスコの「世界の記憶」(旧記憶遺産)に登録されている。

 小説も例外ではない。そびえ立つ大煙突。煙を上げる高炉。他県にもまして、福岡には土地の記憶や風景が刻まれた作品が多い。

 火野葦平花と龍』(1953年/岩波現代文庫)は作者の両親を主役に、ゴンゾと呼ばれる沖仲仕(石炭を船に積む労働者)の世界をパワフルに描いた長編小説だ。

 広島生まれの谷口マンと、愛媛で生まれた玉井金五郎。ともに野心を抱いて故郷を飛び出してきた二人は、沖仲仕の仕事仲間として門司で出会い、明治36(1903)年、結婚した。時にマンは20歳、金五郎は24歳。戸畑、若松、八幡と三つの町に囲まれて、煙突が並び船舶が行き交う洞海湾を前に金五郎は高揚する。〈ここの港は、生きている〉。やがて二人は若松で、石炭荷役を請け負う玉井組を立ち上げた。

 後半、物語は昭和に舞台を移し荷役業者の元締として機械化の波に抗(あらが)う金五郎らの姿を描くが、長男・勝則(作者の本名)の恋愛騒動あり、金五郎を慕う女性との悶着(もんちゃく)あり。最後まで活力満点だ。

 五木寛之青春の門 第一部 筑豊篇』(1970年/講談社文庫)の舞台は昭和20年代の筑豊である。

 主人公の伊吹信介は昭和10年生まれ。石灰岩の採掘で山頂が削られた香春岳(かわらだけ)が見える田川で育った。彼の人生を運命づけているのは、5歳のときに炭坑事故で死んだ父である。自らの命と引きかえに仲間たちを救った父。残された継母のタエと炭鉱住宅で暮らしてきた信介は、やがて身体を病んだタエと二人、父の恋敵だった塙組の組長・竜五郎に引き取られ、山ひとつ越えた飯塚に移住して青春時代を送るのだ。

 〈この土地にいるかぎり、その人間の出身も、人柄も、過去も、誰もほじくりだして問題にしようとはしない〉という共生の感覚は、福岡県発の小説の共通点ともいえる。

 村田喜代子八幡炎炎記』(2015年/平凡社)の舞台は、同じ時代の製鉄の町・八幡である。

 敗戦の年に生まれたヒナ子は小学2年生。実母と離れ、祖父母と暮らしている。もうひとりの主役は街中でテーラーを営む中年男性・瀬高克美。彼は戦時中、広島で働いていた際に親方の妻ミツ江と駆け落ちし、この地に流れ着いたのだ。

 家族関係は複雑だが、子どもたちは屈託がない。戸籍や血縁は二の次で養子養女や預かり子も珍しくない町。産業があって羽振りがよく各地から人が集まる八幡では〈そりゃようある話じゃ〉なのだ。

 しかしながら時はたち、リリー・フランキー東京タワー』(2005年/新潮文庫)が描く1960~70年代の炭鉱町にもう往時の面影はない。小倉で生まれ筑豊で育った少年は変化を察知している。炭鉱は閉山し、高炉の火も消え〈ふたつのボクの煙突は、もう昔のように煙を吐くことがなくなった〉。そして彼は故郷を出ようと考える。

 炭鉱施設の一部や製鉄所の高炉は現在、近代化遺産として保存されている。近代の夢の跡である。

 福岡市を舞台にした新作を一編。市名は福岡、駅名は博多。なぜこの地には二つの地名が? 三崎亜記博多さっぱそうらん記』(2021年/KADOKAWA)はこの謎をめぐるてんやわんやの喜劇である。

 市内の名所や年中行事を織りこみながら、物語は明治期の地名争いを蒸し返す。「福岡市」に負けた「博多市」側の怨念が裏世界で膨張し、町を破壊しようとしている!?

 福岡(おっと博多か)愛に満ちた濃度の高いご当地文学。〈いろんな素材ば寄せ集めて、良かとこばっかり受け継ぐとが博多の文化たい〉。いまの福岡(おっと博多か)の熱気がびんびんに伝わってくる。=朝日新聞2022年7月2日掲載