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「弱者に仕掛けた戦争」 断種生んだ「淘汰の欲望」の暴走 朝日新聞書評から

評者: 藤野裕子 / 朝⽇新聞掲載:2022年07月09日
弱者に仕掛けた戦争 アメリカ優生学運動の歴史 著者:エドウィン・ブラック 出版社:人文書院 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784409510926
発売⽇: 2022/04/27
サイズ: 22cm/702p

「弱者に仕掛けた戦争」 [著]エドウィン・ブラック

 「戦前に、優生学に基づいて、断種を行っていた国」といえば、「ドイツ」を挙げる人が多いだろう。それだけ、ナチのユダヤ人迫害はよく知られている。だが本書を通読したあとは、真っ先に「アメリカ」を思い浮かべるようになるはずだ。
 優生学は、科学の名のもとに、特定の集団に優劣をつけ、劣ると見なした集団の子孫を絶つことで、人種を改良しようとした。本書が追究したのはただ一つ。その優生学の温床が、アメリカだったことだ。
 社会進化論や遺伝学をベースに、優生学の理論はイギリスで作られた。だが、それを隔離・結婚禁止・強制断種といった政策・行政にまで発展させたのは、20世紀前半のアメリカだった。根底には、白人至上主義と移民排斥の欲望があった。
 優生学記録局が設立され、障害者・貧困者など社会的弱者を「不適者」と見なし、その家系を調査した。各州は優生学の見地から断種・結婚禁止を合法化する法律を制定した。1940年までに断種された人は、3万5千人を超える。アメリカ先住民・黒人・移民も多かった。
 名の知れた団体・人物が優生学を支援した事実にも驚く。ロックフェラー財団、カーネギー協会、鉄道王の妻メアリー・ハリマンが、巨額の資金を投じた。
 優生学の暴走を、誰も止められなかったのだろうか。一部の新聞は、優生学の現状を報じ、警鐘を鳴らした。国外の科学者もその非科学性を批判した。それでも、長期にわたる運動によって、法制化が進む。
 こうして発展した優生学は、国際優生学会議を通じてヨーロッパ諸国に伝播(でんぱ)した。その一つがドイツである。第2次大戦後、敗戦国ドイツでは、ニュルンベルク裁判により、人種迫害が明るみに出た。
 これに対し、戦勝国アメリカでは、優生学の実態が検証されぬまま、少なくとも70年代まで断種は続く。各州知事が被害者に謝罪したのは、2000年代に入ってからだ。
 アメリカ優生学運動の通史を、日本語で読めるようになった意義は大きい。監訳者は、優生保護法下の日本で行われた強制不妊手術や、津久井やまゆり園での障害者殺傷事件とのつながりを指摘する。
 加えて本書は、生産性に重きを置く社会を生きる私たちの身の内に、淘汰(とうた)の欲望が潜んでいることを自覚させてくれる。かつて優生学が引き起こした深刻な問題を学び、人権の原則に立ち返りつつ、社会と科学、倫理について考える。そのための一冊として、本書は書店や図書館の棚に長く置かれてほしい。
   ◇
Edwin Black 1950年、米国生まれ。ジャーナリスト。人権、ジェノサイド、政府の不正行為、エネルギーなどがテーマ。著書は20の言語に訳され、190カ国で出版されている。著書に『IBMとホロコースト ナチスと手を結んだ大企業』など。