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うちの時計の序列 津村記久子

 自宅で見られる時計がいくつかある。そりゃ誰にでも参照できる時計の二つや三つはあると思うのだけれども、問題はそのどれもが示している時間が微妙に違うことだ。

 いちばんよく見る時計は、テレビの右下にある時間表示で、自宅ではだいたい何をする時にもこの時計に従って行動する。ただ、当たり前だがテレビがついていないと見ることができない。わたしはかなり長い時間テレビをつけているほうだと思うけれども、もちろん消すことだってある。それは外出する時だ。けれどもみなさん、生活の中で人間がいちばん時計を見る瞬間というのは、外出をする前だと思いませんか?

 外出前は、テレビがある場所とはまったく関係のない、洗面所と台所をおたおた行ったり来たりしている。顔を塗っている間も、あと何分自分には猶予が残されているのか気になるので、携帯で時間を確認していたのだけれども、電源ボタンを押してディスプレイを点灯させる一手間がつらい。なので一年ほど前から洗面所に時計を導入した。けれども百均の時計を導入してしまったせいか、湿度(おそらく)で表示が見えたり見えなくなってしまうので、たまに時間がわからなくなって台所にある給湯パネルの時計を見に行くという間抜けなことをしている。

 そして給湯パネルの時計は、なんていうか厳しい。あえて確認はしていないのだけれども、二分か三分早くて、常に外出前のわたしを絶望の淵に叩(たた)き落とす鬼軍曹的存在だ。けれども、冷蔵庫に持ち出し用の水を取りに行ったりした際に、まあまあ妥当な時間だと「パネル様がああおっしゃっているから大丈夫」と過剰に安心したりする。なんでそんなに時計内権力があるのか給湯パネル。

 そういう茶番を繰り返して、ようやく最近洗面所に少しいい時計を導入した。時報にも合わせた。パネル様の立場が危ういのだけれども、結局同時に見比べてパネル側の時間の早さを実感しない限りは、パネル様はパネル様でいるような気がする。=朝日新聞2022年7月13日掲載