1. HOME
  2. インタビュー
  3. 著者に会いたい
  4. 川合康三さん「中国の詩学」インタビュー 精緻に読み、息吹伝える

川合康三さん「中国の詩学」インタビュー 精緻に読み、息吹伝える

川合康三さん

 かつて古典と言えば、中国の古典が真ん中にあった。今は違う。
 「でも、中国の古典詩は、今日の文学として読んでも豊かな意味を持っています。おもしろさや息吹を伝えるには、専門家が工夫しないと」
 600ページを超える本書は、中国古典詩の全体像をとらえようとする。通史でも詩人論でもない。川下りのスピードを好む李白や、川の奔流を見る杜甫の「感覚」から、著者自らが興味を持つ問題を考えていく。

 3千年近い伝統として、詩は知識階級の士大夫(したいふ)が作る。いかに言うか(表現)より、何を言うか(内容)が重んじられ、「社会性」をもつ。「恋愛の文学」は少なく、友との送別をうたう「友情の文学」が多い。
 女性の生涯を語る詩もあるが、私たちが今読めるのは、儒家の理念に合うとされて残った詩だけだ。「ただ、『女たちの文芸』とでも呼ぶべきものが、目に見えない形で脈々と地下に流れていた」と想像する。

 京都大で吉川幸次郎、小川環樹に学んだ最後の世代だ。専門書や一般書に加え、上古から清末まで約500首を読む『新編 中国名詩選』全3冊(岩波文庫)など翻訳も多い。
 本書の終章「詩の存在意義」は、勤勉という世間的な価値について書いたあと、陶淵明の詩「子を責(せ)む」を引く。9歳から16歳までの5人の男の子は、みな勉強が嫌いだ。一人ずつ名前を記し、「文術を好まず」「梨と栗とを覓(もと)むるのみ」と、どのように勉強嫌いかを書く書き方のなかに、愛情があふれているという。

 「詩には、世の中の価値観と異なる価値観があります。それに基づいて弱者や敗者をうたうのも、詩の存在意義でしょう。20代のころは、盛んだった構造主義にひかれ、中国研究者は方法論に鈍感だと思った。でも、次第に自分の力で精緻(せいち)に読むしかない、と思うようになりました」(文・写真 石田祐樹)=朝日新聞2022年8月6日掲載