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田房永子さん新刊「いつになったらキレイになるの?」インタビュー 私がかわいい水着でプールに行く理由

毒母と見た目コンプレックス

――「自分の姿がイヤすぎる!」と感じたピークは35歳だったそうですね。35歳というと、出産や加齢で、見た目に大きな変化が起きる年齢でもありますが、拒否感の原因は何だったのでしょう。

 私の場合、自分がおばさんになることにはそんなに抵抗がなかったんです。ある日、つっかけでパッと近所のスーパーに行ったとき、そこの鏡に映る自分にぎょっとして。「あれ! おばさんがいる!」って。でもその時も、あー、私もそのカテゴリーになったんだなっていうくらいで、そこまでショックじゃなかったんですね。

 それよりも、どんどん母に似てくるというのがとてつもなく嫌で。しかも自分が一番苦しめられていた時代の母親に、顔もそっくりなんですけど、姿勢や歩き方まで似てきて……。でもそれがこんなに嫌だなんておかしいとも思っていて、自虐ネタにもできないし、悩んでいるとも言えず、ここ数年はマインドが閉じていました。

『いつになったらキレイになるの? ~私のぐるぐる美容道~』(扶桑社)より

――母親との関係が見た目コンプレックスに影響していると感じる部分は、ほかにもありましたか?

 キラキラしたもの、派手なものを着けて着飾ることに最近まで抵抗があったのですが、それは幼い頃、母親や祖母に「そんなもんつけて、成金みたい」と何かと馬鹿にされたせいだと思います。母は祖母と二人で私を貶めて、笑いのネタにするということをよくやりました。二人が盛り上がるためだけの生贄って感じですね。

 私とは逆に、おばさんになること自体に激しく抵抗を感じる人も多いと思います。この本を描きながら見えてきたのは、私たちアラフォー世代は、親だけでなく、世間からも厳しい見た目ジャッジを受けていたんだな、ということ。私が思春期の頃はモノトーン全盛で、女子が着飾ると「ぶりっ子」とバカにされる風潮がありました。

水着で若い子を救う

――たしかにそうですね。この本のエッセイでは、タレントのぺえさんや、「毎日メイク動画」で人気のとうあさんなど、すっぴんや弱音をそのままSNSで配信する令和時代のYouTuberに感銘を受けたそうですね。

 彼らの動画には価値観をひっくり返されました。ちょっと前までは、きれいな家の中ですてきな料理が並んで、丁寧に暮らして……っていうのが主流でしたけど、ぐちゃぐちゃの方が面白いでしょ、ホッとするでしょ、って揺り戻しが起きたのかもしれない。人の目を常に気にしてきた私たちアラフォー世代には特に、令和のYouTuberたちの刺激がダイレクトに届くんだと思います。

 私は今年もリゾート水着でプールに入るって決めてるんですよ。

『いつになったらキレイになるの? ~私のぐるぐる美容道~』(扶桑社)より

――と、いいますと?

 海外のビーチでは、おばあちゃんも肌を露出した水着を着てますよね。でも日本では浴場くらいでしか、おばあちゃんの体を見ない。でも、いろんな体があって、みんな年を取る。それをもっと明らかにしたほうが、みんなラクになれると思うんですよね。

 私は20~30代のときは「こんな体を皆様の目に触れさせてはならない」と本気で思っていて、プールなんて全然行かなかったんです。海もプールも大好きなのに。標準より太ってるし、お腹が出てるし、「そんな体で水着着るの?」って思われるだろうって。そのうちに女性誌に載っていてもおかしくない体型の女性しか、水着着ちゃいけないって思うようになっていました。

 でも40代になった今は、遊園地のプールにかわいい水着で行きます。最近はプラスサイズにもお手頃価格でかわいいデザインの水着があって、本当にすごいんですよ。でも、トイレに行って鏡見ると、ギョッとします。太ってるし、全身ビショビショだし(笑)。だけどいいんです、今年も1着買いました。

 自分がそうなってみると、プールも海も、さまざまな体型の女性たちが大胆なデザインの水着を着てるってことに気づきました。私も、あえてかわいい水着を着ることで、誰でも水着を着ていいんだって空気を作る、じつはそんな壮大な決意でプール入ってます(笑)。おばあちゃんになっても、カラフルなかわいい水着、着ます。

その人の人生を認めて

――本書では田房さんが脱・母親の外見になるため、加圧トレーニングや断食道場などに挑戦。ただのレポートではなく、その体験を糸口に、見た目コンプレックスについて様々な角度から考察していきます。たとえば、「私は私なりに太る食べ物を太るように食べる必要があってずっと肥満だったんだ。そういう自分を認めてあげてもいいんじゃないか」という言葉に、はっとさせられました。

 人間ドックの医師に半笑いで「痩せないと大病をする」って言われたことがショック過ぎて、その言葉がグルグル頭を回って体が硬直してしまう時期があったんです。そのときに「世の中では『体に悪い』とされてることでも、その人にとってはそれが必要な時期だったってこともある」という視点を持ったら気楽になって、それまでどうやっても身につかなかった「日常的な運動」ができるようになりました。

『いつになったらキレイになるの? ~私のぐるぐる美容道~』(扶桑社)より

――子どもからの「ママ太ってるよね」という指摘に、「ママは自分が太ってることを知ってるからもう言わなくても大丈夫だよ」と答えるエピソードも素敵でした。

 テレビ番組で、太ってる人が「よく食べます」とか言ったり、薄毛の人が「毛が欲しいです」とか自分の特徴にまつわることを言うと、ドッとウケますよね。「この人太っている(薄毛だ)な」とその特徴を認識している状態って「でもそれは口にしてはいけない」という緊張がある。だけど本人が「私、自分の特徴をみなさんと同じように認識していますよ」って提示してくれると、みんなの体内に「同じものが見えている、そしてそれを許可された」っていう安堵が発生して、それで笑いが起こるんだと思うんですよね。子どもとか無礼な人は自分の緊張を早く和らげたくて、本人に「あなた太ってますよ、自分で気づいてます?」って確かめずにいられないんだと思います。

 私は明るく「太ってまーす!」なんてあんまり言えないんですけど、子どもにはマナーを教えなきゃいけないから、感情的にではなく淡々と「ママは自分が太っていることを知ってるから、もう言わなくていいよ。太ってる人が目の前にいて、『太ってるなー』って思っても、それは本人に言わなくていいんだよ」と伝えました。それ以降は言わなくなったので、子どもなりに納得したんだと思います。

「中の人」を最優先に

――この本で一番感銘を受けたのが、エステでのエピソード。エステティシャンに「セルライトを取り除かないと」と脅されて傷ついた田房さんが、「あの人もノルマが大変なんだ」と頭で納得しようとせず、ショックを受けた自分の心=「中の人」に寄り添う、というのはとても勉強になりました。

 他人や理屈じゃなく、心である「中の人」に従うのは、親との関係に悩んでいたときに見つけた方法で、色んなモヤモヤに応用できます。この本にも書きましたが、私は当時、「理想の仕事場を作りたい」という中の人の気持ちを、「そんなことにお金をかけていいのか」と理屈で抑え込もうとしてたんですね。すると、中の人は要求を聞いてくれない私に対して不満で、私のことが気に入らない。だから、鏡を見ると「母親にまた似てきた」と曲がった見方をしてしまう。中の人の声を大切にして、仕事場にお金をかけて整えたり中の人の要望に応えていたら、鏡を見ても「母親に似てる」なんて思いつきすらしなくなったんです。

『いつになったらキレイになるの? ~私のぐるぐる美容道~』(扶桑社)より

 自分がやりたいと思っていることをまずはやってあげる。そのあとで、周りを気遣う。私は私の中の人についていく。そう決めると自然にラクになってきました。

――なるほど。でも、ずっと空気を読んできた私たちには、中の人の声に気づくことすら、難しいかもしれません。なにか手立てはありますか?

 まずは一個、モヤッとする関係性や出来事をやめてみるといいと思います。一個だけで結構劇的に変わったりしますから。

 「なんかここにいても楽しくない」「この人と会うといつもモヤモヤする」ってことありますよね。でも「行かないと周りに悪いし」「付き合っておいたほうが丸くおさまるから」って、「イヤだ」と思っている中の人の声を無視していると、中の人が自分を攻撃し始めるんです。だから思い切って、行かない、会わない、SNSで相手を非表示にするとか、中の人の代わりに行動してあげると、心が落ち着いてきて、中の人も前向きになってくれます。

 関係性を断つのって、罪悪感があると思いますが、じつは相手の為にもなるんですよ。お互い、これまで相手に囚われていた時間を、本当に一緒にいて楽しいと思える相手に使えますから。

「弱い者いじめ」を考え続ける

――田房さんはこれまでにも家族やジェンダーなど、様々な「モヤモヤ」を描いてきましたが、その原動力はなんですか。

 私は、どうやったら大人は子どもをいじめないで済むか、ずっと考えているんです。最初は母親と自分との関係に悩んで描き始めたんですが、そのうちに、この弱い者いじめの構造って、ジェンダーとかハラスメント、あらゆる社会問題に通じるって思うようになりました。弱い者いじめって、人間が社会で暮らしていくなかで、ものすごく起きやすい。むしろ、自然なことなんですよね。だからこそ、この問題を考え続けるのが人間なんじゃないかって思います。

 子どもが生まれてから、いじめの構造がより深く見えるようになりました。自分が加害者になりうる立ち位置になったことで、さらに考えなくちゃいけないと思っています。