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三木那由他さん「言葉の展望台」インタビュー マイノリティの言葉に触れて、差別思想に抗って

三木那由他さん

コミュニケーションは約束ごと?

――本書『言葉の展望台』と光文社新書『会話を哲学する』と、同時期に2冊刊行されて、どちらも話題になっています。三木さんはどういう研究をしているのでしょうか?

 言葉とコミュニケーションの研究と言っているんですけど、ある人とある人がコミュニケーションするとは一体どういうことなのか。特に話し手が発話をすることによって、何らかのことを意味する、伝達するとはどういう行為なのかを研究しています。

――2019年に出版した『話し手の意味の心理性と公共性』(勁草書房)などで、特にポール・グライスという哲学者を論じています。

 そうですね。言葉やコミュニケーションを考える哲学者は昔からいるんですけど、私の専門の分析哲学の分野では、ポール・グライスの1957年の「Meaning」という論文が大体出発点になっているんです。多くのひとが、グライスに賛同するにせよ、反対するにせよ、この論文の話を前提に議論を進めていきます。私ももともとはグライスを下敷きにした議論をしていたんですけど、ただ、博士論文を書こうとした頃、グライスに違和感を持つようになって、自分自身の理論を作ろうということになりました。

――どういうことでしょう?

 グライスは人がコミュニケーションで何かを意味することの必要十分条件は、その人が何らかの特定のタイプの意図を持って発話をすることだという立場なんです。話し手は、相手に何かを信じさせようという意図や関連するその他の意図のもとで、何かをしたり、言ったりしている。その意図を見れば、何を意味しているかがわかるんだと。それ以降の論者も、大体そのフォーマットに乗った形で、あれこれ議論しています。

 これに対して私が論じたのは、意図の中身をどんな風に特定したとしても、必要条件にも十分条件にもならないんじゃないかということでした。コミュニケーションは話し手の意図ではなく、話し手と聞き手が一種の約束をつくることで成り立つんじゃないか。

――具体的にはどういうことでしょう?

 例えば会話で「今日はとてもよく晴れている」ということを意味したとします。話し手と聞き手はどういう約束ごとを形成しているでしょうか。話し手が「今日はよく晴れている」と信じていると、2人とも見なしてこれから先を振る舞いましょうと約束ごとをしているのではないか。実際に話し手がそう信じているかどうかはともかくとして、少なくともそう信じていると見なすくらいはしようじゃないかということですね。

 私はそこで、哲学者マーガレット・ギルバートの「共同的コミットメント」という概念を参考にしていて、この概念をもとに、話し手だけに決定権があるんじゃなくて、話し手と聞き手で調整しながら、話し手が何を意味しているのかが決まっていくのではないかと考えました。話し手と聞き手が一緒に約束ごとを形成して、受け入れていると。

――本書では冒頭に「意味の占有」という概念がありました。コミュニケーションで話し手が立場の弱い側の場合、聞き手の都合の良いように意味が歪曲されてしまうという事例が挙げられています。

 私の中でパッと出てきたのが、イプセンの『人形の家』の主人公ノーラの夫トルヴァルによる印象的なセリフだったんです。その夫の言葉に、ノーラは口をはさむ間もなく、約束をしたことにされています。

「あのクロクスタは、もう何年も、嘘とごまかしで自分の子供たちを駄目にしているんだ。だから、あいつは道徳的に腐りきった人間だ、とおれは言うんだ。(ノーラに両手を差し出して)だからおれのかわいいノーラは、あんな男の弁解なんかしないと約束しなくちゃ。さあ、握手だ。うん? どうした? 手を出すんだ。ようし。これで、決まった、と。」

 そして私自身、トランスジェンダーとして生きる中で、過去に同じような経験があったと思ったんですね。社会的なマイノリティに当たる人のほうが、自分が意味したいことを意味できなくなっていることが多いんじゃないか。場合によっては、本当は話し手と聞き手のあいだでの調整のはずなのに、話し手が抗議する余地もなく、話し手が意味した内容を聞き手側が決めてしまうことさえある。その状況を表そうとして出てきたのが、「意味の占有」という言葉でした。

差別に抗う言葉について

――本書では差別的な言葉について論じられていました。取り上げられていた政治家の差別発言の実質的な害悪とは?

 政治家が差別を容認したり、積極的に推奨するような発言をした時に、マイノリティとして私が実際に感じる脅威とは何か。もちろん差別的な思想を持っていることは怖いし、社会保障の面で話が進まないかもしれないということもあります。ただそれ以上に、そうした発言のあとに、いろんな人が、特にネット上で顕著なのですが、水を得た魚のようにそれに乗っかって差別発言をし出すんですよね。

 本の中で紹介した哲学者・マクゴーワンの分析は、的を射ているなと思いました。単にその政治家が差別的な思想を持っていることにとどまらず、「こういう立場の人がそういうことを言うんだから、そういう言動は社会的にありなんだ」とされる文脈が出来上がってしまうこと。そこに脅威があると感じています。

――そうした差別的言動に対して、以前取材した社会学者の森山至貴さんは「逃げていいんだ」とお話ししていました。

 逃げたほうがいいというのは、私もすごく思いますね。違う意見の人もいると思いますが、差別的な人とわざわざ話さなくてもいいと私は思います。まずは逃げて安全を確保してほしい。

 そしてこれは理屈があるわけじゃなくて、私の日常的な信念ですが、差別に抵抗するためには、積極的に差別に加担している人と話すよりも、マイノリティ当事者であったり、アライ(LGBTQ当事者を理解・支援する人)であったり、あるいは差別に積極的に加担しているわけでもなければ積極的にアライというわけでもない単によく知らないという人だったり、ともかく「それ以外の人たち」と話すことが重要なんじゃないかと思っています。

 例えばマイノリティ同士でいっぱい話してみるというのもいいと思う。ある種のマイノリティグループは互いに接点をあまり持っていなかったりするんです。自分たちの経験を語る言葉がそもそも醸成されていないということも多い。だから当事者同士でいっぱい喋ったり、文章を書いたりすることで、言葉を調整していくといいと思っています。

 お互いに似ているところも違うところも、よりうまく語れるようになっていく。そこである程度語り方ができてきたら、差別的な人には伝わらなくても、だんだん自分たちの周辺のアライの人にも言葉遣いは流通していくかもしれない。そういうのには何か意味があるんじゃないかと思います。

――本書では初めてだったというトランス友達との交流について書かれていました。新しく見えてきたことはありましたか?

 新しく何かを知ったという感じではないんですけど、みんなそれぞれに言葉を探してる感じがあるんですよね。トランスジェンダーとシスジェンダーがそれ自体として表か裏かみたいにくっきりと分かれているとは思わないし、シスジェンダーの人でもある時期には性別違和のようなものを感じたことがあるという場合もあると思います。ただ、やっぱりトランス友達と話していると、私たちはこの社会のスタンダードなあり方とは違う経験をしてきたのだという感覚が共有されているようで。それを「これはいったい何だろうか」と悩みながら考えて、それぞれにそうした経験を言い表そうとしているんです。それを言い合う感じは、それまで経験したことがなかったなと感じました。

 あと私が大事だと感じるのが、当事者でもなく、積極的にアライでもなく、かといって積極的に差別してるわけでもない人。そういう「単にあまり知らないという人」と喋るのがすごく大事だなと感じています。言葉は何かひとつのネットワークを形成していくものだと思っていて。差別的でヘイトを煽る人にはかなり特有の言葉遣いがあります。もともとは単によく知らないだけだった人がそうした差別的な言葉のネットワークのほうに先に触れ、それを自分の言葉として身につけてしまうと、その後うまくマイノリティ側の言葉が受け取れなくなったりすることが少なくないように見えます。

 だからまだ言葉のネットワークをこれといって形成していない人に、差別的な言葉のネットワークに触れるより前に、マイノリティ側の経験を語る言葉に触れてほしい。それが差別思想に抵抗する何かのとっかかりになるんじゃないかと思っています。

 それに関連して、今回の執筆で少し心がけていたことは、私のマイノリティ経験をマジョリティ向けに解説するといった文章にはしないようにしていました。多少校閲の指摘を反映して、解説するような文章も入っているんですけど。

 私は自分が経験したものを、自分が持っている言葉のままに語っていこうと。なのでひょっとしたら、同じ風に物事を経験していない人には伝わりにくいかもしれないんだけど、それはそれでいいかもしれないと思っていて。トランスジェンダーの友達だとか、あるいはシスジェンダーの女性の友達だとかと、例えば性差別について話したりする時の話し方とあまり変えないように語っているつもりです。似たような経験をした人が目に留めてくれるのも嬉しいし、そこでひょっとして似たような経験はしていないけれどたまたまこの本に触れた人が「いったいこの人は何を語っているんだろう?」と興味を持ってくれたりしたら、それも嬉しいなと思っています。

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